放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

2020-01-01から1年間の記事一覧

意外な仕事!「まさかのパチンコ番組」

私はパチンコをあまりやらない。二十代の頃、朝一で並ぶと打ち止め出来るパチスロに並んで生活をしたことがあるが(当時、近所の店が朝一は必ず出る設定がされていた。後に営業停止。違法だったかも)…。あまり熱くなった記憶はない。 当然、パチンコの釘も…

東海大落研の伝統は「教えない」とハマリ!

昭和55年。東海大学落語研究部に入部した私は、先輩達の自己紹介に驚いた。 大学院に通う先輩が何人も居たからだ。確かにみんな頭の良さそうな顔をしていた(している様に見えた)。 このクラブは優秀な先輩達が多いのだと感心したものである。 しかし、こ…

落研のカメレオンマン!同期の切笑君!

昭和55年入学。東海大学落語研究部の同期に頭下位亭切笑(とうかいてい せっしょう)と言う男がいた。この、「切」る「笑」いとは、落研にはチョット縁起でもない名前である。 「切」の字は切奴(きりど・現・春風亭昇太師匠)の「切」。つまり、切奴さん…

経堂の人情!栄光の風呂付アパートと昇太師匠のマンション!

私が25才ぐらいの時。放送作家として、やっといくつかの仕事が入って来た。当時はまだ「風呂なし・トイレ共同の四畳半」に住んでいた。 貧乏学生と怪しい労働者しか住んでいない格安物件だ。玄関を出てすぐがトイレだったので、部屋まで匂いが漂って不快な…

親バカ青春白書・ついに、最終回!

東海大・落研・OBの穴吹一朗(27期・兵枝・ひょうし)君が脚本を担当する、ドラマ「親バカ青春白書」が、ついに最終回なのだそうだ。 このドラマは「娘が好きすぎて同じ大学に入ってしまった父親」の話だ。ムロツヨシの父親がキャンパスライフを謳歌する…

三遊亭金馬襲名!でふと思い出す!東海大落研のお噺!

私が東海大学落研部・四年生の時。昭和58年のことだ。一年生に頭下亭宇音宙(とうかいてい うぉんちゅう)君が入部した。 九州出身で気の弱い痩せた男だったが、芯は強く、上下関係を大事にする東海らしい男だった(彼は「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大…

有名人の子供達!

私は、昔から有名人や大物政治家・財界人の子供たちが羨ましいと思っていた。これは田舎者でナマケモノの発想のようだ。 私は子供の頃から、苦労や努力をさけて生きて来た。それだけに、親のコネで何でもできる「若大将シリーズ」の青大将(田中邦衛)の様な…

↓ https://note.com/bakodayo1874basu

ラジオに「親バカ青春白書」の脚本家・穴吹一朗さんが登場!

東海大落研OBの頭下位亭兵枝(27期・とうかいてい ひょうし)、こと、脚本家・穴吹一朗君がラジオにゲストとして登場することになりました。 8月30日(日)朝6時から生放送。「サンデーフリッカーズ」(JFN)。放送は民放FМの、青森、秋田、栃木、長野…

「早稲田の寄席研・伊達家酔狂と言う先輩」

私が学生の頃。早稲田大学の落研(寄席演芸研究会)に、伊達家酔狂(だてや すいきょう)という上方落語のスターがいた。この人は、私の二年上で、東海大学で言えば頭下位亭切奴(とうかいてい きりど 現・春風亭昇太)さんと同期となる。 学生時代、直接面…

中学時代「小さな恋のメロディ」の衝撃と談志師匠!

中学二年の頃だと思う。土曜日に母方のお婆ちゃんの家に遊びに行った時。テレビで映画「小さな恋のメロディ」を見た。 映画好きのオジサンが見ているのを親戚中でなんとなく見ていた。この映画は日本の封切からは五年程たっていたが、映画にうとい私には「初…

ハリウッド映画スターと会った!

まだ私が二十代前半の新人放送作家の頃。ラジオで新作映画を紹介するコーナーを担当したことがある。 試写会を見て、その内容を紹介する原稿を書くのが仕事である。その作品の中には「ターミネーター」(一作目)や「コクーン」も有った。 「ターミネーター…

ミニスカポリスと三遊亭愛楽さんの悲惨な地方営業!

東海大学落語研究部の一つ後輩に、頭下位扇平(とうかいてい せんべい)君という、ある地方の優良企業の社長がいる。 二十年以上前のことだと思う。彼が有力なOBに頼んで、地元でイベントをやることになった。彼は商工会の青年部の会長を務めていた。 そこで…

大学で観た!山下久美子は輝いていた!

昭和55年。私が落研1年の時。東海大学では文化祭以外にも有名アーティストの無料コンサートが企画されていた。 新入生歓迎の意味だと思うが、二号館の大教室でプロミュージシャンのライブが無料で開かれていたのだ。 1年の春。まだ、新人の山下久美子さん…

何気ない電話が仰天の仕事へ!

細々と放送作家を続ける私は、以前も書いたように、「自分で動く」より「誰かの導き」で仕事が入る。 二十年程前のことだが、東海大落研二年先輩の頭下位亭実志(とうかいてい じっし・現・ディレクター山崎)さんから電話があった。 「放送作家のインタビュ…

東海大落研後輩の反乱!

昭和55年~57年頃。東海大学落語研究部の部室には、いつも頭下位亭楽陳(とうかいてい らくちん)さんと言うOBが居た。 私より6年も先輩だが、当時は会社を辞めて毎日部室に来ていた。この楽陳さんは、とても頭が良く機転が利く。キャンプなどの仕切…

業界ところかわれば

昔から「ところ変われば品かわる」と言う言葉があるが、新人放送作家は局による言葉の違いに悩まされる。 私が初めて赤坂のラジオ局で仕事した時。キューシートと呼ばれる進行表に、SS~と書かれている。新人の私が初めて見た記号だ。私は素直なので恥を承…

「何を言うかではなく、誰が言うかだ!」

私が二十代後半の頃。某テレビ局で朝のニュース番組を担当していたことがある。この会議は空気が重く、若手の発言などは無言で黙殺される。 それを知っているので、若手のディレクターは提案をせず、上司とチーフ作家の発言を待っている状態だった。 チーフ…

放送業界の嘘つき➁

私の放送作家の師匠Мは、業界人らしくハッタリや嘘が上手い。成功する為のノウハウらしいが、この方法は私には合わなかった。私はこの嘘に悩まされた。 ある日。ラジオのディレクターが私に言った。 「おや! 大先生! Yのコーナーの仕掛け人なんだって?」…

放送業界の嘘つき達!

私が新人放送作家の頃。師匠のМから「六本木の料理屋へ来い」と連絡があった。事務所の近くなので、すぐに訪ねると…。 そこには、師匠と大阪の超大物放送作家Tが飲んで居た。TさんはМをヨイショしていて「大阪のナンバーワン作家の収入は東京だと300番…

超大物プロデューサー登場!

小田急線の経堂駅周辺に住んでいる時。一流放送作家の私は、駅前の「千円カット」に通っていた。 私が順番待ちをしていると、今、座ったばかりの男が女性の美容師さんに話しかけた。 「美容師さん、芸能界って興味あるかな?」 「ええ! まあ!」 「僕、業界…

落研とラジオ番組が企業と提携する野望…。

昭和58年。私が東海大学落語研究部の四年生の頃。一年生にボーイッシュな女の子が居た。名前は、頭下位亭矢鱈(とうかいてい やたら)。もう一人、芽っ鱈(めったら・漢字は不明)と言う名前も居て、対の名前だった。この手の対の名前は大抵片方がクラブを…

突然!確変状態!なんだこれ?!

某半蔵門のラジオ局で「耳の穴」を担当している頃。「わらしべ長者」状態で仕事が繋がった私だが、このあたりから、周りがかってに色々な仕事をくれるようになって行く。 放送作家を始めて最初の三年は、これと言ったギャラの出る仕事がなかったので、「くれ…

わらしべ長者!

ご祝儀袋 同学年の先輩作家Sさんのおかげで入ったFМ795の朝の番組は3~4年やったと思う(遡ってお読み下さい)。 その数年後。この795の番組のディレクターだったTさんから電話があった。 「小林君、東京FМで新番組が始まるんだけど、やってくれない」 …

同じ学年の天才!

昭和59~62年頃。私は見習い作家として某ラジオ局の番組に参加していた。その時、ある曜日を担当していたメイン作家にSさんが居た。 この人は、月~木の各担当作家の中では最年少。コント系の原稿に定評があり、本番前に書き始めて名作を次々と生み出し…

バカボン鬼塚さんって知ってる?

私の落研時代(東海大学)の青学の同期に、「秋風(亭号はうろ覚え)とんぼ」(通訳・学校の先生)さんと言う女性がいる。渋谷三大学落研OB飲み会をやった時、彼女が私に聞いた。 「黒舟! バカボン鬼塚って知ってる? 東海の落研なんでしょ?」 「えっ! …