私が東海大学落研部・四年生の時。昭和58年のことだ。一年生に頭下亭宇音宙(とうかいてい うぉんちゅう)君が入部した。
九州出身で気の弱い痩せた男だったが、芯は強く、上下関係を大事にする東海らしい男だった(彼は「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語~」完全版!(ネット書籍・noteの中で部室で悲惨な目にあっている)是非、お読みください)。
彼は工学部だったと思うが、ある日、部室で私に言った。
「うちのクラスに金馬さんの息子がいるんですよ!」
「えっ! 金馬って、あの、三遊亭金馬師匠?」
「そうなんです!」
「お前、その同級生、落研に入れろよ! お父さんに顧問になってもらって合宿に呼ぼうぜ! 文化祭も出てもらおう! 大喜利の司会頼んだりして! 息子と共演ってのもいいんじゃないか! 打ち上げは金馬師匠に奢ってもらおう!」
私は思い付きで適当なことを言っていた。
「絶対、そいつをクラブに入れろ! 名前「子供金馬」とか「七光り金馬」とかつけちゃおうぜ!」
数日後。宇音宙君が言った。
「先輩! 言いにくいんですが…ダメでした! 金馬師匠の息子は、落研はチョット…」と言って入ってくれませんでした。
私は「クラブに入れろ!」と命令したことも忘れていたが、「それは、そうだろう!」と思っていた。
もし、プロになるのなら素人の変なクセが付くと邪魔になるし、プロにならないとしても「落語」で素人の先輩に何か言われるのは嫌やな筈だ。
この時の金馬師匠の息子さんとは、現在の三遊亭金時師匠ではないかと思う。他の息子さんの可能性もあるが、多分、そうである(違ってたらすいません!)。
金時師匠は、2020年9月下席より、父親の大名跡・三遊亭金馬を襲名し、父の金馬師匠は金翁と改名すると発表されている。
あの時。もし、金時師匠が落研に入っていたら、我々OBは襲名パーティーに出席することになったのだろうか?
私は金時師匠と面識はないが、どこかでお会いしたら、東海大時代のことを聞いてみたいと思っている。
やはり、学生時代から「噺家になる」と決めていたのだろうか?
五代目・三遊亭金馬襲名! おめでとうございます! 寄席での襲名披露を観に行こうかと思う私である。
宣伝。ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語~」上・中・下
安いです。上→200円。中→300円。下→300円。
↓
https://note.com/bakodayo1874basu