放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

東海大落研の伝統は「教えない」とハマリ!

 昭和55年。東海大学落語研究部に入部した私は、先輩達の自己紹介に驚いた。

 大学院に通う先輩が何人も居たからだ。確かにみんな頭の良さそうな顔をしていた(している様に見えた)。

 

 このクラブは優秀な先輩達が多いのだと感心したものである。

 

 しかし、これは全て嘘っぱち。「大学院」の先輩は留年した6年生や遊びに来たOBだったのだ。OBの中には「浪人の長かった一年生」と偽って、1年生として新しい高座名までつけてもらって、1年生がタメ口で仲良くしていると、1か月後にOBだと発表され、一同土下座することになる。

 

素直な田舎者の一年生は、特に騙しやすく先輩のターゲットになっていた。

 

 落研がたむろする喫茶店「マキ」で、当時、失業保険で暮らしていた大OBの頭下位亭楽陳(とうかいてい らくちん)さんが言った。

 「今年のプロ野球の優勝予想やるぞ! みんな、書き込め!」

 

 優勝を当てるゲームである。部員は、巨人、阪神、ヤクルト、と好きな球団を書き込んでいた。そこで、楽陳さんが一年生の女子の夜来人(ヤクルト)に「君はどこが優勝だと思う?」と聞いた。すると、彼女は「法政!」と答えた。

 彼女は長野県の女子高出身でとにかく真面目で世間をまるで知らない。なんでも、甲子園で活躍した木戸という選手のファンで、今、法政大学で活躍していると言うのだ。

 

 ここで、普通なら「これは、プロ野球の話だよ!」と教えてあげるのだが、そこは「教えない」のが基本の東海。

 楽陳さんは「そうか、案外、法政の優勝あるかもな~!」と言ってみんなで笑っていた。

 夜来人さんはキョトンとしていたが、あまり把握していないようで、法政の木戸選手がいかにカッコいいか話し出した。楽陳さんは嬉しそうに話を合わせていたし、まわりの先輩も一切本当の事は教えなかった。

 これはクラブでは「ハマリ」と言い、自分で気づくまで誰も何も言ってくれないのだ。

 

 この女子は、野球の結果が出る前の秋に退部したので、「ハマリ」に気づくことは無かった。

 

 毎年夏に、東海大落研は群馬の「榛名山荘」(大学所有)で合宿をしていた。高崎駅で降りてバスで合宿所に向かう前のお昼。駅前のレストランで昼食をとるのが決まりだった。

 先輩は、1年生に「何食べる?」とメニューを渡す。この場合、田舎者の一年生は何故かカレーを頼む者が多かった。

 これは、先輩達の「ハマリ」のフリである。一年生が注文した後。

 

 「いえ~い! ひっかかった~! 合宿初日の夕食はカレーなんだぞ! いえ~い!

 実は私もカレーを頼んでいた。聞くと、毎年カレーを頼んだ1年は「ハマリ」となるのが伝統なのだそうだ。

 

 クラブのOBを集めての落語会の打ち上げで、1年生の男・我裸門(ガラモン)が飲み過ぎで両脇を抱えられて歩いていた。

 

 私は危険なものを感じて「あいつ、危ないですよ! 大丈夫ですかね?」と、先輩に聞いた。すると、横に居たOBが顔と目を見て「大丈夫!寝れば治る」と言って去って行った。

 無責任な判断に見えた私は、すこし腹が立って「大丈夫じゃないですよ!」と言ってしまった。

 

 すると、三年生の二十八号さんが怒った口調で「余計なこというな! 満兵衛(まんべい)さんが、大丈夫って言うなら大丈夫なんだよ!」と叫んだ。

 

 私は納得が行かなかったのだが、後で聞くと、あのOBはドクター・満兵衛と呼ばれる、医学部卒・現役医師の先輩だったことが分かった。

 それなら「医者だと」教えてくれれば良いのに、教えずに泳がすのが東海なのだ。

 

 さらに、話は変わるが…。

 私が英語の試験の前で、英文の訳が何もわからず、喫茶店の「マキ」で悩んでいると、マキのオバチャンが言った。

 「あら、黒舟さん、英語は言葉なんだからあきらめずにやれば、きっと分かるわよ!」

 「オバチャンは、英語の事わからないからそう言うんだよ!」

 「あら、私、黒舟さんよりは英語得意かもよ!」

 「またまた~!」

 

 数か月後。喫茶「マキ」のオバチャンは、昔、高校の英語教師だったことが判明した。それなら「元、教師」と言ってくれれば良いのに!

 喫茶店のオバチャンまで「教えない精神」は同じだった様だ。

 

 ちなみに、その時の英語は奇跡的に単位がとれた。丸暗記の訳の山が当たったのだ。確かにあきらめずにやれば、うまく行った。「オバチャン! ありがとう!」