放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

専修大・國學院・早稲田・甲南・上手すぎる先輩達!

 昭和54年~56年。私が東海大学落語研究部の2年から三年生の頃。専修大学が主催する大学の競演会があった。

 

 新宿のNCホールという半分外みたな小さなホールで年に何回か開かれていた。この会には今まで2年先輩の切奴(きりど・現・昇太師匠)が東海の代表としてゲスト出演していた。その会に「今度、お前行って来いよ!」と、私が指名されてしまった。

 その時、私は二年生の秋頃。ネタは3つしかない。しかも、ウケるのは一本だけだった。これは、とても不安である。

 もし、他の大学が私より先に同じネタをやったら、ウケるネタがないのだ。

 

 不安を抱えたまま、当日、会場へと入ると…。そこには、何と! 東海落研の1年先輩・太田スセリ(現・ピン芸人・1年で退部)さんが司会をしていた。

 

スセリ(高い声)「ねえ! 黒舟君! 何やるの?」

私「「饅頭怖い」をやります」

スセリ「あら! 切奴さん仕込み?」

私「全然違います」

 

 「饅頭怖い」は切奴さんが学生日本一になった時の噺だが、私がやり方をマネするとシラケるので、自分なりのやり方でやっていた。

 

 他の大学は、3年、4年が多く、さらに、専修大のOBが数人出演していた。社会人落語(天狗連)で活躍している様だ。

 

 私が高座に上がる前。専修の学生がきいた。

 「出囃子は何にしますか?」

 「じゃあ、祭囃子で」

 「はっ? それなんですか?」

 「三平師匠の出囃子で」

 「ああ、屋台囃子ですね」

 チョット間違いを正すような言い方だったので、私の知識が足りないような感じになってしまった。

 私の2年先輩のおそ松さんに「屋台囃子は祭り囃子ともいう」と教えられていたので、そのまま言ったのだが…。

 

 「まあ、いいか!」少し動揺しながら、高座に上がると…。これが、ガンガンとウケた。声が大きくてスピードが速いだけだが、はつらつと楽しそうにやっていたので、新鮮に映ったのだろう。私をバカにしていた学生の態度が変わった。

 「凄いパワーでしたねー!勉強になりました!」

 急に態度が大きくなる私…。「いや、久々だからイマイチですいません」かなり嫌味な私である。

 

 高座が終わった後。太田スセリさんが言った。

 「やっぱり、切奴さんのパターンじゃん!」

 「じゃん!」って…。でも、少し嬉しかった。そう見えただけでも嬉しかった。

 ウケるネタは、これ一本しかないことは隠して「上手い奴」のフリをして他の落語を観ることにした。

 

 そこに、専修のOBで梅朝(亭号不明)さんと言う方が登場して「馬のす」を始めた。私はこの噺を初めて聞いた。八代目・桂文楽師匠で有名なネタだが、この当時、寄席で「馬のす」を聞くことはほとんどなかった。

 名人・文楽のイメージが強すぎて手を出せなかったのかもしれない。

 

 この梅朝さんがやたらと上手い。目の使い方が他の者とは別次元。プロでもやらないような細かい描写と目の動き。何だ!この人! そんなに笑いが起る噺ではないが、客の心に刺さる上手さだ。プロで言うと先代・馬生師匠のような存在感と談志師匠の様な怖さがあった。

 この方は別の日に「たいこ幇間」を聞いたが、こちらも、大変なものだった。

 私のガチャガチャと騒がしく笑わせる落語とは地肩が違う。ピッチャーなら百六十キロで伸びのある重い剛球。私のは一見早いが、バットに当たるとすぐホームランになる軽い球だ。

 

 その後。私はこの会には三度呼ばれている。この時の評判は悪くなかったのだと思う。翌年、覚えたての「反対車」さらに「火焔太鼓」をやったが、どれも笑いが多かった。ヘタでも笑いが起れば一矢報いた気持ちだった。

 この数か月後。私は全国大会の本選まで行けた。多分、気づかぬうちに「まあまあ」上手くなっていたのだろう(調子に乗って自慢している自分よ!みぐるしいぞ!)。

 

 同様に衝撃をウケたOBに、國學院落研の五代目・三優亭右勝(九年位先輩)さんがいる。文化祭で「鰍沢」を観て驚いた。

 「鰍沢」は昭和の名人・三遊亭円生師匠や、先代・林家正蔵師匠で有名だった大ネタだ。素人でこんな噺に手を出す人を初めて観た。笑いがまったくない噺である。

 口調は志ん朝師匠風で、仕草が抜群に上手い。囲炉裏に薪を折ってくべる仕草が絶品なのだ。そこに本当に薪があるかのように、薪を折る時の質感が伝わってくる。これは、ジブリ映画で座った椅子が少し後ろにしなる拘りに近い。ほとんどの人は気づかないが、演者(製作者)自身の気持ちが許さないのだ。

 

 うちの先輩(楽陳さん)の話では、この右勝さんは学生時代、夏休み中に落語のネタが五~六本増え、どれも上手かったそうだ。

 学生時代9本しか覚えなかった私とは大変な違いである。しかも、五本はまったくウケなかった。

 

 早稲田のOB・月見亭うどんという方の学生時代の音源を聴いたことがある。「トンカツ」という昔の新作だったが、口調が良くやたらと上手い。「昔の名人の若い頃の音源だよ!」と言われて渡されたら「これは、可楽ですか?」と聞いてしまいそうなプロの口調だった。

 

 この方が枕で「パチンコ店の看板のネオンのパの字が消えていた」というネタをふっていたのを聞いて気づいた。

 同じ枕を昔観たことがあったからだ。憶測だが、この方は「第二回全日本学生落語名人位決定戦」で切奴さんと一緒に決勝に出ていた方だと思う。

 パチンコ店の枕が同じだったのだ。この月見亭うどんという名は、元フジテレビアナウンサーの牧原俊幸さんが早稲田の寄席演芸研究会時代に継いだ名前である。

 多分、牧原さんの先代なのではないだろうか?

 

 最後に…。大阪の圧倒的なスーパースターは、甲南大学落研の甲福亭満我(こうふくてい まんが)さんである。

 私はテレビで観ただけで面識は無いが、技術、上手さ、華、が圧倒的。アマチュアのレベルではなかった。

 多分、全国大会決勝に三年連続で出ていたのではないだろうか?

 しかも、いつも、二位か三位。上手すぎて優勝できなかったタイプだ。プロにならなかったのは、何か事情があったのだろう。

 

 私の担当するラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)のリスナーに満我さんの後輩(桂べちょべちょ)さんが居る。メールで教えて下さったのだが、満我さんは学生時代すでに桂枝雀師匠に稽古をしてもらっていたそうだ。

 これは、東京では考えられない羨ましい話だ。今、思い出すと、私の一つ後輩の明治学院大・落研(らりこう?という名)にも枝雀師匠に稽古してもらった男が居た。

 上方の落語界には、そんな素人に優しい土壌があるのだろうか?

 羨ましい限りである。

 

 しかし、もし私が学生時代に憧れの噺家に稽古してもらえる話があったら…。と考えると怖くなる。多分、震えて落語など出来ないだろう。

 

 学生時代、談志師匠に呼び出されて「学生が古典なんかやるな!自分で作れ!そうすれば、新しい形が生まれるかもしれない」と言われた時。私は直立不動で「はい!」としか言えなかった。

 

 凄い方達は、私とは度胸が違う様である。

 

 

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