放送業界のお話と落研と私的な思い出

放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

専修大・國學院・早稲田・甲南・上手すぎる先輩達!

 昭和54年~56年。私が東海大学落語研究部の2年から三年生の頃。専修大学が主催する大学の競演会があった。

 

 新宿のNCホールという半分外みたな小さなホールで年に何回か開かれていた。この会には今まで2年先輩の切奴(きりど・現・昇太師匠)が東海の代表としてゲスト出演していた。その会に「今度、お前行って来いよ!」と、私が指名されてしまった。

 その時、私は二年生の秋頃。ネタは3つしかない。しかも、ウケるのは一本だけだった。これは、とても不安である。

 もし、他の大学が私より先に同じネタをやったら、ウケるネタがないのだ。

 

 不安を抱えたまま、当日、会場へと入ると…。そこには、何と! 東海落研の1年先輩・太田スセリ(現・ピン芸人・1年で退部)さんが司会をしていた。

 

スセリ(高い声)「ねえ! 黒舟君! 何やるの?」

私「「饅頭怖い」をやります」

スセリ「あら! 切奴さん仕込み?」

私「全然違います」

 

 「饅頭怖い」は切奴さんが学生日本一になった時の噺だが、私がやり方をマネするとシラケるので、自分なりのやり方でやっていた。

 

 他の大学は、3年、4年が多く、さらに、専修大のOBが数人出演していた。社会人落語(天狗連)で活躍している様だ。

 

 私が高座に上がる前。専修の学生がきいた。

 「出囃子は何にしますか?」

 「じゃあ、祭囃子で」

 「はっ? それなんですか?」

 「三平師匠の出囃子で」

 「ああ、屋台囃子ですね」

 チョット間違いを正すような言い方だったので、私の知識が足りないような感じになってしまった。

 私の2年先輩のおそ松さんに「屋台囃子は祭り囃子ともいう」と教えられていたので、そのまま言ったのだが…。

 

 「まあ、いいか!」少し動揺しながら、高座に上がると…。これが、ガンガンとウケた。声が大きくてスピードが速いだけだが、はつらつと楽しそうにやっていたので、新鮮に映ったのだろう。私をバカにしていた学生の態度が変わった。

 「凄いパワーでしたねー!勉強になりました!」

 急に態度が大きくなる私…。「いや、久々だからイマイチですいません」かなり嫌味な私である。

 

 高座が終わった後。太田スセリさんが言った。

 「やっぱり、切奴さんのパターンじゃん!」

 「じゃん!」って…。でも、少し嬉しかった。そう見えただけでも嬉しかった。

 ウケるネタは、これ一本しかないことは隠して「上手い奴」のフリをして他の落語を観ることにした。

 

 そこに、専修のOBで梅朝(亭号不明)さんと言う方が登場して「馬のす」を始めた。私はこの噺を初めて聞いた。八代目・桂文楽師匠で有名なネタだが、この当時、寄席で「馬のす」を聞くことはほとんどなかった。

 名人・文楽のイメージが強すぎて手を出せなかったのかもしれない。

 

 この梅朝さんがやたらと上手い。目の使い方が他の者とは別次元。プロでもやらないような細かい描写と目の動き。何だ!この人! そんなに笑いが起る噺ではないが、客の心に刺さる上手さだ。プロで言うと先代・馬生師匠のような存在感と談志師匠の様な怖さがあった。

 この方は別の日に「たいこ幇間」を聞いたが、こちらも、大変なものだった。

 私のガチャガチャと騒がしく笑わせる落語とは地肩が違う。ピッチャーなら百六十キロで伸びのある重い剛球。私のは一見早いが、バットに当たるとすぐホームランになる軽い球だ。

 

 その後。私はこの会には三度呼ばれている。この時の評判は悪くなかったのだと思う。翌年、覚えたての「反対車」さらに「火焔太鼓」をやったが、どれも笑いが多かった。ヘタでも笑いが起れば一矢報いた気持ちだった。

 この数か月後。私は全国大会の本選まで行けた。多分、気づかぬうちに「まあまあ」上手くなっていたのだろう(調子に乗って自慢している自分よ!みぐるしいぞ!)。

 

 同様に衝撃をウケたOBに、國學院落研の五代目・三優亭右勝(九年位先輩)さんがいる。文化祭で「鰍沢」を観て驚いた。

 「鰍沢」は昭和の名人・三遊亭円生師匠や、先代・林家正蔵師匠で有名だった大ネタだ。素人でこんな噺に手を出す人を初めて観た。笑いがまったくない噺である。

 口調は志ん朝師匠風で、仕草が抜群に上手い。囲炉裏に薪を折ってくべる仕草が絶品なのだ。そこに本当に薪があるかのように、薪を折る時の質感が伝わってくる。これは、ジブリ映画で座った椅子が少し後ろにしなる拘りに近い。ほとんどの人は気づかないが、演者(製作者)自身の気持ちが許さないのだ。

 

 うちの先輩の話では、この右勝さんは学生時代、夏休み中に落語のネタが五~六本増え、どれも上手かったそうだ。

 学生時代9本しか覚えなかった私とは大変な違いである。しかも、五本はまったくウケなかった。

 

 早稲田のOB・月見亭うどんという方の学生時代の音源を聴いたことがある。「トンカツ」という昔の新作だったが、口調が良くやたらと上手い。「昔の名人の若い頃の音源だよ!」と言われて渡されたら「これは、可楽ですか?」と聞いてしまいそうなプロの口調だった。

 

 この方が枕で「パチンコ店の看板のネオンのパの字が消えていた」というネタをふっていたのを聞いて気づいた。

 同じ枕を昔観たことがあったからだ。憶測だが、この方は「第二回全日本学生落語名人位決定戦」で切奴さんと一緒に決勝に出ていた方だと思う。

 パチンコ店の枕が同じだったのだ。この月見亭うどんという名は、元フジテレビアナウンサーの牧原俊幸さんが早稲田の寄席演芸研究会時代に継いだ名前である。

 多分、牧原さんの先代なのではないだろうか?

 

 最後に…。大阪の圧倒的なスーパースターは、甲南大学落研の甲福亭満我(こうふくてい まんが)さんである。

 私はテレビで観ただけで面識は無いが、技術、上手さ、華、が圧倒的。アマチュアのレベルではなかった。

 多分、全国大会決勝に三年連続で出ていたのではないだろうか?

 しかも、いつも、二位か三位。上手すぎて優勝できなかったタイプだ。プロにならなかったのは、何か事情があったのだろう。

 

 私の担当するラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)のリスナーに満我さんの後輩(桂べちょべちょ)さんが居る。メールで教えて下さったのだが、満我さんは学生時代すでに桂枝雀師匠に稽古をしてもらっていたそうだ。

 これは、東京では考えられない羨ましい話だ。今、思い出すと、私の一つ後輩の明治学院大・落研にも枝雀師匠に稽古してもらった男が居た。

 上方の落語界には、そんな素人に優しい土壌があるのだろうか?

 羨ましい限りである。

 

 しかし、もし私が学生時代に憧れの噺家に稽古してもらえる話があったら…。と考えると怖くなる。多分、震えて落語など出来ないだろう。

 

 学生時代、談志師匠に呼び出されて「学生が古典なんかやるな!自分で作れ!そうすれば、新しい形が生まれるかもしれない」と言われた時。私は直立不動で「はい!」としか言えなかった。

 

 凄い方達は、私とは度胸が違う様である。

 

 

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國學院大落研と東海大落研

 四十年程前の学生時代。私の所属する東海大学落研國學院大學落研はとても仲が良かった。青山学院の落研も仲が良かったのだが…。

 東海、国学に比べるとダントツにオシャレで女子部員が可愛かった。

 どこか、卑屈になって東海・国学が親密になったような気がする。

 

 我々、東海からしたら国学も大都会・渋谷の大学だ。神奈川県の田舎・大根駅の学生にはまばゆいばかりだった。

 

 國學院の文化祭は、東海大とは時期がずれていたので、毎年、お邪魔して楽屋でバカっ話をしていた。

 

 一年の時。初めて国学院の文化祭の楽屋を訪ねると、OBや先輩達が優しいのに驚いた。応援団の様な東海落研と違い、一年生の私に色々と気を使ってくれるのだ。

 楽屋でOBが持参した寿司屋やドリンクもふるまわれていた。

 

 私に國學院四年生の三優亭右勝(元・若木家元治)さんが話しかけてきた。

 「黒舟!よくきてくれたね~!まあ、飲みなよ!寿司でもつまんで」とドリンクをついでくれた。頂いていると…。

 「せっかくだから一席、やってきなよ!誰か!着物貸してやって!」

 

 私は一つしかないネタ「長短」をやることになった。お客さんは重く、誰も笑わない。とは言っても、私は半年ほど落語をやっていて、ウケたのは一度だけの部員なので、いつも通りのツマラナイ高座だった。

 

 高座を降りた私に右勝さんが言った。

 「黒舟は喋りがしっかりしてるね!東海さんは誰を聞いてもチャンとしてるよ」

 大変なヨイショである。私はクスリともウケていない。無理して褒めるなら「ネタをつっかえないで凄いね!」ぐらいしか褒め言葉が無い状態だ。

 そこをうまく、大学ごと褒めることでまとめるところが、この先輩の凄い所だ。

 

 その時。楽屋を訪れた人が居た。

 「落語会の〇〇です。今日はゲスト出演に呼んで頂いて…」

 

 國學院大には当時二つの落研が存在した。私と仲の良かったのは落語研究会。その他に落語会という名の別の落研が存在していた。こちらの落語会はOBに「さだまさし」さんが居ることで有名だ。

 

 ゲストの落会の方に、国学の会長・三年の若木家志楽(後に入船亭扇辰師匠がこの名を継いだ)さんが聞いた。

 「今日、ネタは何をやりますか?」

 「「うなたい」を一つ!」

 私は驚いた! 「うなたい!」って何だ? どうやら「鰻の幇間」のことらしい。「饅頭怖い」を「まんこわ」と言うのと同じ理論で「うなたい」と縮めていたのだ。

 この人はただものではない! この理論だと「居残り佐平治」は「いのさへ」「地獄八景亡者の戯れ」は「じごむれ」かも知れない。

 しかも、ゲストは軽い噺をやるものだ。いきなり、大ネタというのも凄い!

 

 この方が高座に上がると、落研の先輩が小さな声で言った。

 「うちと色違うでしょ! 「うなたい」だもん!」

 

 同じ大学とは言え、ライバル同士。お客を取り合う敵としての炎が燃えていた。

 

 この方の「うなたい」いや「鰻の幇間」を袖から見せて頂いた。とても、本格派で上手い人だと思った。

 

 実は、この方は、現在、プロとして活躍している、三遊亭遊吉師匠である。上手いのは当たり前だ。

 

 その日は、國學院の皆さんに飲みに連れて行って頂いた。いつしか、東海の先輩は帰って東海は私だけになっていた。

 右勝「誰か、黒舟を泊めてやってよ!」

 「じゃあ、うちに来いよ!」

 

 三年生のプレスリー(漢字は不明)さんのお宅に泊まることになった。先輩の部屋は吉祥寺だったか明大前だったか、憶えていないが、昔ながらのボロアパートでドラマ「俺たちの旅」を連想させた。

 部屋には古新聞が天井まで積み重ねられ山の様になっていた。まるで、倉庫の中の様だ。

 この新聞は、勉強の為に記事を読み返す資料だという。そんなもの図書館に行けばいいのに、不思議な人だ。

 

 ここで、私は記憶が無くなった。飲み過ぎと、疲れ。そして、他大の先輩達に気を使ったのだろう。

 応援団の様な理不尽な東海大の先輩に体が慣れてしまい。優しすぎる先輩達に気を使ってしまったのだ。

 

 このブログ。あまり面白くならなかった。やっぱり、悲惨な目に合わないと笑いは生まれないものだ。

 

 

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四十年程前、青学落研の文化祭!

 およそ四十年前の話だが、一度だけ青山学院大落研の文化祭に行ったことがある。何故一度しか行っていないかと言うと、私の居た東海大落研と同じ時期に文化祭をやっていたからだ。

 

 仲の良かった渋谷三大学(東海大、青山学院、國學院)の行事は互いに顔を出していたのだ。國學院の文化祭は毎年行っていたし、國學院東海大の平日の部室に普通に居たりした。しかし、青学の文化祭だけは日程が重なっていたので、なかなか観に行けなかったのだ。

 

 初めて観た青学落研の文化祭は、ある意味刺激的だった。

 教室を二つ借りて、一つは落語の寄席。もう一つは漫才・コント・等の色物の寄席を開いていたのだ。

 落語は本業なので分かるのだが、漫才・コントはプロのコピーなど、適当に覚えて宴会芸的な「ゆる~い!」感じでやっていた。

 つまり、学生なのに寄席の掛け持ち、しかも、ジャンルの違うお笑いをやっているのだ。

 東海大もシャレで漫才・コントをやる者はいたが、落語の間に極まれに入る程度だった。

 

 しかし、この年の環境は最悪で、隣でロックバンドがガンガン演奏している状態。声の小さな一年生など落語が客に聞こえないのだ。

 私はそれを観て「これは、絶対ウケないな~!」と思った。実は楽屋を訪ねるのをやめた。もし、訪ねて「着物貸すから一席やってよ」と言われたら困るからだ。

 

 そこに、火の見家はん生(一年後輩・源海より襲名)が登場した。彼はロックバンドの騒音など気にせず、古典落語の「禁酒番屋」に入った。絶対シラケると思って観ていた私の予想をあざ笑うかのように…。始めて三分もすると笑いが起った。

 隣のロックバンドは今もノリノリの演奏をしている。彼はプロの様な重厚な本格派だ。環境が最悪でも「心の乱れ」が無い。

 もし、私が上がったら高座で「隣、うるさいよ! こんなのウケるわけないだろう!罰ゲームかよ!」と言って誤魔化して、すぐに降りて来るところだ。

 

 最終的に、はん生君は、大きな拍手とともに「どうだ!」と言わんばかりに去って行った。彼は今、放送作家として活躍している(作家としては私より先輩だ)。モノマネが上手く、コージー富田より先にタモリのモノマネをしていた。伝え聞いた話では、立川談志師匠の前で談志のモノマネをして、師匠に「俺より談志がうまい」と言われたという。

 

 ここまで、来たら宣伝も入れておこう。彼は橋克弘と名乗り(本名だ!)最近「江戸川柳完全攻略読本」という書籍を出版している。

 私も購入したが、面白くて為になる一冊だ。今まで、何も知らなかった自分を反省する程である。彼は川柳の研究も本格派でブレがない。隣にロックの本が並んでも気にしないだろう(コーナーが違うから並ばないが…)。

 

 その後。OB三人のコントが出て来た。一人は料亭花柳(芸術院せん生より襲名)さんだったが、他の二人は記憶にない。

 やったのは「コント赤信号」の「東京を埼玉にする薬」が登場するネタの完コピだ。これが、爆笑となった。

 隣のバンドは今も演奏している。なんだ!この人たちは…。

 

 さらに、驚いたのは。そこに、プロの噺家桂文朝師匠が登場したことである。文朝師匠は青学のOBではない。学生がギャラを払ってお願いしていたのだ。

 隣のバンドは今も演奏している。他の噺家なら「バカにするな!」と怒って帰ってもおかしくない状況だ。

 

 そこに何事もなかったかのように登場した文朝師匠は、騒音をいじることもなく、淡々と噺に入った。しかし、ドカ~ン! 大きな笑いが起った。

 「学生さんたち、これがプロの芸ですよ!」と言わんばかりの高座だった。

 

 当時、文朝師匠は学生の高座に上がるような師匠ではない。

 上野・本牧亭で「小三治・扇橋・文朝・三人噺」という会を定期的に開いていた落語会の超エースである。

 多分、ファンの学生に頼まれたので特別にシャレで出てくれたのだろう。

 

 ちなみに、文朝師匠は大学生の落研に人気があり、何人もの落研出身者が弟子入りを志願して「断られた」師匠である。師匠は弟子を取らないことで有名だった。

 生涯弟子をとっていないので、入れなかった元学生達もあきらめがつくというものだ。

 

これも「買ってチョ~だい!」

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新聞・テレビ・書籍・情報は話半分!

 私は子供頃。新聞・テレビの情報は全て正しいものだと信じていた。田舎者は素直なのだ。それだけに、詐欺に騙されやすいのも田舎者だ。

 

 放送業界では、「情報の間違い」は細心の注意をはらって伝えているのだが、人間のやることだけに、ミスは付きものである。

 意図的な「捏造」はもっての他だが、放送されてから間違いに気づくことがある。

 

 とある老舗の情報番組で三味線の店を紹介した時。三味線のネックを繋ぐ部分に金を入れているという説明に「見えないところにお金をかけるのが江戸の粋」と紹介していた。

 これは、間違いである。三味線の繋ぎに金を入れると音が良くなるのだ。三味線の名人のエピソードに「音が良すぎるので、きっと金をいれている」と思った別の芸人が、本人がトイレに立った時に確認したら、金は入っていなかった。という伝説がある程だ。

 私は知っていたので指摘したが…。放送後に指摘しても後の祭りである。

 

 私が書いたナレーションでの失敗だが、東証のグッズでゴルフボールがあったのだが「これを使えば、ボールも株も上がるというジンクスがあるとか?」的な文章を書いてしまった。後日、別の作家に指摘されたのだが「ジンクスは悪いことが起きる時」なので、「株が上がる」に使うのは間違いだというのだ(この間違いは各局今もよくやっている)。

 視聴者の皆様には誠に申し訳ないが、これも、後の祭りである。演出側もくまなくチェックはしているのだが、時としてこんなことが起きるのだ。

 

 最近は教科書ですら、聖徳太子の絵が別人だったとか? 年号が間違っていたとか? ミスがあるのだから、撮って出しの放送ではこんなことが起こるのだ。

 

 ある番組で、落語の演目として「元禄花見踊り」と出たことがあった。そんな落語は無い。元禄花見踊りは演者の師匠の出囃子である。

 落語に詳しくないスタッフのイージーミスである。

 

 私はある新聞社系の真面目な雑誌の取材をうけたことがある。私の取材ではなく、春風亭昇太師匠の取材で学生時代のことなどを知りたいということだった。

 

 私はどこの雑誌も間違って出しているので東海大は「落語研究部」で「落語研究会」ではないと教えてあげた。昇太さんが学生時代優勝したテレビの大会も「全日本学生落語名人位決定戦」なのだが、ほとんどのネットや雑誌は「全国落語大会」などと書いている。実際は日テレの放送なのだが、ネットでは「テレビ東京」と書いてあるものもある(これは昇太さんが学生時代出た「ドバドバ大爆弾」等別の番組と勘違いしている)。

 私は、そこを「間違えないで下さいね。ネットの情報や過去の記事は間違ってますから」と説明した。

 

 出来上がった雑誌が送られて来た。見るとクラブ名は「落語研究会」。大会の名前も間違ったままだった。インタビューのテープも撮っていたのに、この間違いである。

 

 何故マスコミは当人よりネットや過去の記事を信じるのだろう。

 

 これは、昇太師匠の人間性の良さが原因である。

 昇太さんは、取材記者に「落語研究会のことを聞かせて下さい」と聞かれると、間違いを指摘するのは失礼と思い、本人も「僕の落語研究会時代は…」と、記者に恥をかかせないように合わせてしまうのだ。

 

 同様に大会名や放送局名も、記者が間違っても指摘しないのだ。その為、昇太さんのインタビュー記事でも「落語研究会」となっている。

 それを見た雑誌のスタッフは、私が間違っていると判断したのかも知れない。

 

 まったく「ふざけんなよ! だったら、俺に取材なんか来るなよ! 謝礼も無しのくせに!」となってしまう。

 

 実は「学生落語名人位決定戦」は、音源のテープも渡している。徳光アナの声で「第二回全日本学生落語名人位決定戦」と入っているのに、何故、ネットの嘘を信じるのだろうか? 私には理解できない。テープを聞いていないとしか思えない。

 

 テレビマンは雑誌の情報を見て番組を作るので、間違いの情報がさらに広がる可能性もある。

 

 皆さん! マスコミの全ては信じないで下さい。

 

 真実を語っているのは、春風亭一之輔のラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)だけです。

 

 すでに、上の二行が大きな捏造である。

 

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桶田敬太郎君の構想した・コントのアニメ➁

 亡くなった、フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎君が構想していた、名作コントをアニメにするという企画が立ち上がり。クラウドファンディングで資金集めの最中だ。

 11月23日が彼の命日。もう、亡くなって1年が立つ。昔の仲間たちが作るアニメを、是非、実現させて欲しいものだ。

 

 後で気づいたのだが、私は獅子座のO型だが…敬太郎の相方・村田渚も獅子座のO型だった。実は敬太郎の奥さんも獅子座のO型。しかも、誕生日は3人共数日しか違っていない。

 敬太郎とは、初めて番組で一緒になった時から仲が良いが、これは、獅子座のO型だったからなのかも知れない。

 

 敬太郎は私に「小林さん、運が強いですよね」と言っていた。私は籤にもジャンケンにも弱く、運が良いと思ったことがない。

 確かに、「知り合いが仕事に導いてくれる」という意味では「運」があるが、それなりに努力もしている筈だ。

 

 今、思い出したが…。番組の打ち合わせで占い師の先生に診てもらったことがある。その時。あなたは「成功する」「これから、もっと良いです」と言われたことがある。

 仕事帰りにたまたま一緒になった、有名な仮面の占い師GIさんにも「運は強い」と言われたことがある。

 

 最近、ネットの姓名判断(無料)で自分の名前を調べてみた。すると、確かに、相当良い字画である。

 そこで、今、成功している放送作家の名前の字画を色々と調べてみた。

 すると、私より「運が強い人」はほとんどいない。私の見た中では一人しかいなかった。「何~! ネット占いの嘘つき!」と思ったが…。

 冷静に考えると、皆さん、努力を重ねて成功を収めているのかも知れない。すると、私は「運」だけに頼っているので「大金持ち」になれないのか。

 

 これは、心を改めねば。日々、勉強をしよう。そこでアニメ「鬼滅の刃」をアマゾンプライムで一気見した。その勢いで映画も観てしまった(私の努力はこの程度だ!)。

 お陰で、今や「全集中ブログ書き!適当の型」を習得している。

 

 話は飛んだが…。敬太郎君は占いで調べて、私の「運」と「性格」が自分に合うと思ったのかもしれない。

 しかし、一緒に釣りをすると、いつも、私より敬太郎の方が釣れる。私は「運」を全然使うことなく、敬太郎の釣った魚を少し貰って帰って来る。しかも「サバクの大変だから、あんまりいらないよ!」等と、善意に対して酷いことを言ってしまったこともある。彼は「ははは~!3匹ぐらいなら良いでしょう!」と、私のクーラーに魚を入れてくれる。本当はありがたい。

 

 私の一生の運は、まだ、ほとんど使っていない。「運」マイルがパンパンである。

 

 

桶田敬太郎の構想。クラウドファンディング

       ↓

クラウドファンディングHP https://camp-fire.jp/projects/view/339950

【公式ツイッター https://twitter.com/SketchSore

youtube ティザー】https://youtu.be/D2x2zBpxM-o

 

 

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自己主張が出来ない静岡県!

 日本を代表するご当地キャラに熊本の「くまもん(⤵)」があるが、正しい発音は「くまもん(⤴)」と語尾が上がるらしい。

 最近では、マスコミも発音は「くまもん(⤴)」と正しく伝えるそうだ。

 

 これは、地元の方が「違う」と、しっかり主張したのだと思う。流石は九州だ! しっかりと意見を言えるのだ。

 

 実は、私が生まれた静岡県磐田市の「磐田」の発音は⤵。語尾は上がらない。しかし、マスコミ各社はサッカーの「ジュビロ磐田(⤵)」を「ジュビロ磐田(⤴)」と語尾を上げて発音している。

 いまや、それが正しいと思われていて、正しく「ジュビロ磐田(⤵)」と発音すると「間違ってる」と直されることもあるようだ。

 

 これは、静岡県人の「おくゆかしさ」「自己主張の無さ」が原因なのかも知れない。ジュビロ磐田のサポーターは、大声で「ジュビロ磐田(⤵)」と語尾を下げて応援している。

 しかし、その中継を放送しているマスコミは「訛ってる」ぐらいにしか思っていない。地元の呼び名が「一番正しい」はずだが…。

 

 静岡人は、そこを主張しない。「マスコミは、ジュビロ磐田(⤴)」って言ってるけど…知らないだら? その方が言いやすいだら? 東京の人が言うなら、その方がオシャレだら?」と仲間で言うだけで、直そうとはしないのだ。

 

 ちなみに、この発音の間違いの元は、磐田市(⤴)、磐田駅(⤴)など、「磐田」の後に一文字入る時の発音が⤴だからなのかも知れない。

 「磐田」単品での発音は⤵なのだ。つまり、磐田で終わる「ジュビロ磐田」は⤵となる。これが、「磐田の活用の法則」だ!(そんな法則ないが…)

 

 結論! 「くまもん」の正しい発音を主張した熊本の方達は流石である。そして、「主張しない」磐田の人々も素敵である。

 

 県民性、市民性なのだから、それで良いのかもしれない。しかし、私が「間違っている」と思われるのが苦痛である。

 

 

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サンデーフリッカーズの空気は原点の魅力!

  春風亭一之輔師匠のFМラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN・日曜朝)の構成作家をしているが…。

 

 有楽町の某放送を聞いていると、うちのリスナーのラジオネームがよく登場する。他の番組でも採用されると言うことは、どのスタッフが見ても「面白い」と言うことだ。 私は甲子園に地元の高校が出て勝った時の様な気持ちになる。サンフリが地方予選とは思わないが、リスナーの羽ばたく姿は(見えないが)嬉しいものだ。

 

 同じ人物がパーソナリティの二つの番組には、空気感に違いがある。どちらが正解かは分からないが、向こうはアシスタントやアナウンサーが「師匠」と呼ぶ。

 

 そこで、はたと気づいた! 「サンデーフリッカーズ」で一之輔を「師匠」と呼ぶスタッフは居ない。私も文章に書く時は「一之輔師匠」と書くが、打ち合わせでは「一之輔さん」である。場合によっては「一之輔!うるさいよ!」等と突っ込んでいるかも知れない。

 サンフリで「師匠」と呼ぶのはゲストのハイパーヨーヨだけだ。

 

 「サンフリ」は十一年目突入の番組なので、番組開始時、一之輔さんは「二つ目の噺家」。「師匠」ではなかったので仕方が無いが、真打に成った時も我々は言い方を変えなかった。我々が急に「師匠!」と呼ぶと、なんだか遠い所に行ってしまった感じがするからだ。

 ちなみに、私は学生時代から先輩の春風亭昇太さんのことも「師匠」と呼んだことが無い。落語芸術協会会長に「師匠」を付けないとは失礼な話だが、しっくりこないので仕方がない。

 となると、一之輔さんを「師匠」と呼んだら…。昇太さんにも失礼である。私がそんなだから、この空気はスタッフにも反映する様だ。

 

 おかげで歴代アシスタントは誰も「師匠」と呼んでいない。トークも楽屋ネタ的なマニアックなものが多い。落研の部室で後輩の女子をからかっている状態だ。

 向こうはベテラン美人アナがアシスタントなので、そこまでは強くは出られないのだろうが…。一之輔さんにも、どこか先輩を敬う感じがある。大物OGを笑わす後輩部員みたいな感じだ。

 サンフリの美人アシスタントは(片方だけに美人を付けると角が立つ)、理不尽な先輩にいじられまくる後輩女子。「また、何か言ってる!」的な対応なのだ。それが、魅力ともいえる。

 そう言えば、落研の後輩女子はよくクラブを辞める(昔の東海大だけだが)。サンフリのアシスタントも、出産でよく卒業する。ここも、一致した。

 

 ふとおもう…。一之輔さんにとって某有楽町の放送は落語で言う「ホール落語」。「サンデーフリッカーズ」は寄席なのではないだろうか? 

 

 ホール落語は広い豪華な会場で、大ネタをたっぷりとやる。寄席は臨機応変にネタを短くしたり、長くしたり、言ってはいけないことを言ったりできるのだ。

 落語ファンは「寄席」にも「ホール落語」にも足を運ぶ。リスナーも同じだ!

 

 ホール落語は寄席に比べてギャラも高い! あっ! それは…語るまい!

 

 サンフリは、知り合いに頼まれたから仕方なく行く、地方営業でないことを祈るばかりだ。

 

 今、有楽町を聞きながら、これを書いている。メールでも送ってみようか? ボツにされるのでやめておこう…。

 

 

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