放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

ひらめきの天才!春風亭一之輔という男とラジオと昔の記憶!

 日曜朝6時から生放送のFMラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)の作家を13年やっている。私は「この人!天才だな!」と思う人に数人出会ったが…。この男も、その一人だ!いや!「天才」に「鬼才」も混ざっている。

 

 先日。朝の生放送の3分前。スタジオから一之輔さんが出て行った。私は新しく来たリスナーのメールをチェックしていたので気づかなかった。気配を消してそーっと出て行ったのだ。忍者みたいな奴だ!

 「さあ、本番だな!」と頭を上げると…一之輔さんが居ない…。そのまま、生放送が始まってしまった。

 アシスタントがパニックになっている。それが面白い…。見ると一之輔さんはトイレではなく、スタジオの外の影で笑っている。スタッフも大爆笑だ!

 

 我々はこれに関してまったく打ち合わせをしていない一之輔・演出である。私は「やられた!」の思いで笑うしかなかった。

 

 元々、この番組はスタッフがよく一之輔さんを騙しているのだが…。我々は騙し返された形だ。

 

 普通。オープニングでメインが居ないなど考えられない。タブー過ぎて我々凡人には無い発想だ!

 一分程。アシスタントを泳がせて戻ったのだが…。生で聴いたリスナーにハプニング性が伝わったと思う。

 

 私は、この時。新人の頃の出来事を思い出した(有料ネット書籍にも書いている)。30年以上前のことだ。有楽町の深夜番組Aの二部をロックバンドPが担当した時。ディレクターのHが放送30分前に言った「なんか、インパクトが無いなー!よし!パンツ一丁でオープニングだ!」一同「えええ~!」

 カッコイイロックバンドの皮ジャンは脱ぎ捨てられ、メンバーを全員パンツ一丁にしてしまった。「はい!小林も脱げ!」「えっ!私も…」「当たりまえだ!」

 私はブリーフだったのでとても恥ずかしかった。裸になった井出ラッキョの形である。

 

 Hはニュースの宿直のアナウンサーさんを呼んで、我々がパンツ一丁でスタジオに入るところを実況中継した。甲子園の入場行進の様に一人ずつスタジオに入る様子を「熱闘甲子園」のテーマのに乗って実況したのだ。

 その実況の原稿は私が突然書くことになり、とても戸惑った。自分の入場実況も自分で書かなくてはいけないのだ。

 「おーと!最後に登場したのは作家の小林だ!何と!白のブリーフだ!30のオッサンのブリーフは気持ち悪いぞ!心なしか黄ばんでいる…」もう破れかぶれの自虐である。

 

 生放送で天才に翻弄される生活は、今も昔も変わらない様だ。まあ、今は、放送30分前に原稿を頼まれるムチゃブリは無いが…。歳をとった証拠だ。

 

 

 

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古本市の誘惑!

 新橋駅前の古本市は、つい見てしまう。普段も街の古本屋があると入るが…。買うことはまずない。

 しかし、何軒もがまとまった古本市になると、何故か購買意欲が湧いてくる。人ごみなのでつい…これは、集団心理なのだろうか?

 

 中でも良く買ってしまうのが、レコードと浮世絵と広告である。レコードは圓生志ん生文楽、金馬、米朝、小さん、あたりが多い。

 浮世絵は本物ではなく、新聞社が景品で配ったものが数百円で売られている。私も新聞をとっていた頃。「東海道五十三次」のシリーズを貰い、保存している。テーブルの上に気に入ったものを置いて、その上から透明ビニールのカバーを置いて、食事をしている。こぼした牛乳などが間から入って滲んでいたりする。

 それでも、ダダでもらったものだから…と気にしない。しかし、古本市で売られていると…なんだかもったいない。

 

 そんな私が、先日。また、新橋の駅前で古本市に捕まった。次の用事まで四時間もあり、時間をつぶさなければいけないのだ。

 なにげなく見ていると…。海外の広告チラシを売っている。大量の束をめくっていると車やステレオの広告が目立つ。車は憧れの名車のチラシなら欲しくなるが…。ここにあるのはイマイチの車だ。

 ペラペラとめくっていると…。ひと際目立つ「赤」が目に飛び込む…。知らないタバコのチラシである。

 値段が書いてないが、チラシなど安いに違いない。これを額に入れるとオシャレになると思い、購入した。「800円です」「…」思ったより高いが、それなりの額に入れればインテリアになるから良いだろう。

 

 帰ってネットで額をみると…。ピッタリの大きさがない。特注すると一万円弱になるので断念。大き目の額を3千円程で買うことにした。

 

 昨日。100円ショップに行くと、同じ大きさの額が売られていた。なんだか損した気分だ!

 

 そして、今、気づいた!このチラシは見かけを良くするために黒い厚紙の上に乗せてビニールをかけているのだ。つまり、私が買った額よりさらに小さい。定型で丁度だったのかも知れない…。後の祭りだ!

 

 合計3千800円程のインテリア。どこに飾ろうか?…。あれ!うちはその手の額ばかりで、飾る場所がターハイである。

 

 ♪わかっちゃいるけどやめられない!スースースーダララッタ、スラスラ、スイスイスイ~! である。

 

 

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名もないあのゲームかな!?

お題「人生で初めて遊んだゲーム」

 

 人生で初めてのゲームと言われて思い出すのは…。

 

 私が小学校1年の頃。もっとも楽しかった野球ゲームだ。野球と言っても、あのメジャーなエポック社の「野球盤」ではない。

 その「野球ゲーム」の正式名は分からない。多分、駄菓子屋で売っていたのか…何かの付録なのか…?「少年画報」の付録かもしれない。

 

 そのゲームは野球のスコアーボードの紙が一枚。カードが無数にあって数字が書かれている。カードの大きさはボードの一回、二回…九回と書かれた白紙の四角と同じ大きさである。

 カードを伏せて神経衰弱のようにめくる。二人で対戦するなら「先行・後攻」をジャンケンして決め、交互に一枚めくってボードに置く。

 つまり、一回の攻撃がカードを一枚めくって置くという行為だけで終わるのだ。単純極まりないゲームだが、得点は0点、1点、2点、が多く。展開はかなりの激戦となる。9回に数少ない5点や6点が出て大逆転もあるのだ。

 

 私はこのゲームを一人でやるのが好きだった。単純すぎて友達を誘うとバカにされる可能性があるからだ。

 

 しかし…。一度やると意外にもエキサイティングで展開が早く、ワクワクする。

 

 その後。「バンカース」「モノポリ」という面白過ぎるゲームが流行ったので、やらなくなってしまったが…。

 

 今でも、あの「野球ゲーム」は名作だと思っている。ボードの紙が本物の球場を模していて臨場感があった。

 今思うと、点ではなく「アウト」「ヒット」「二塁打」「三塁打」「ダブルプレイ」「トリプルプレイ」などのカードを作れば、リアルな試合にも出来た筈だ!

 子供はそこに気づかないので、そのまま遊んでいた。

 

 ところで、あの野球ゲームの正式名称は何だったのか?何の付録だったのか?謎は深まるばかりだ。昭和42年~46年ぐらいのものだと思う。

 

 

 

歳を取ると訃報に良くふれる…

 ラインで中学の同級生Sが逝去したとの書き込みがあった。今年62才の昭和36年生まれ。この手の訃報を聞くことの多くなる年齢だ。S君!ご冥福をお祈りいたします。

 

 S君は中学の2年~3年と同じクラス。彼は静岡県磐田市という田舎では珍しく、洋楽に精通していた男だ。

 我々は海外アーティストと言えば、ビートルズとモンキーーズ、ベンチャーズしか知らなかった。我が家には、吉田拓郎の「元気です」とかぐや姫の「フォーエバー」、井上陽水の「氷の世界」しかレコードが無かった。

 そんな時代にS君だけは「KISSってバンドが凄いんだぜ!」と、私にメイクをしたあの顔のグラビアを見せてくれた。

 

 私は「歌詞の意味が分からないから、つまんないよ!」(頭の悪い答えだ!)と言うと…「何言ってるんだ!ロックはサウンドなんだよ!」とエレキの仕草をしていた。

 S君はブラスバンド部所属だった。田舎では珍しくドラムが叩けた(ブラスバンドで何をやっていたかは不明)。

 

 合唱大会の時。「誰が指揮者をやるか?」という話になり誰かが「S君がいいと思います」と言った。S君は驚いていたがブラスバンド部というだけで決定してしまった。

 彼はまっすぐな人で「嫌だ!」とは言わない。

 

 クラスでサッカーをやると、彼はいつもゴールキーパーの前に居て、誰かがドリブルしてくると鬼の形相で、まっすぐ猪の様に正面から突進する。ボールと言うより、体ごとぶつかってしまう。「鬼滅の刃」の伊之助みたいなタイプだ。

 上手い相手が、チョットボールを横にずらすと、そのまま、空振りして走り過ぎてしまう。まるで立ち合いで身をかわされた力士の様だ。私は、ボールにも触れない運動オンチなので、そんなS君を見るのが好きだった。彼のお陰でオフサイドはほとんど起きなかったが、学校にサッカー部もない我々にはどうでも良かった。むしろ点が入った方が面白い!ジュビロ磐田のホームと最も近い中学とは思えないサッカー後進町だった。

 

 そんな彼の合唱の指揮は、やはり、まっすぐだ!柔らかいタクトの動きは無いが、機械的で正確。ドラム好きの本人には苦痛だったかもしれないが…。合唱大会は学年優勝。S君は唄っていないがなんだか誇らしそうだった。私もハモリのパートを目立たない様に歌っただけだが誇らしかった。

 

 中学のクラス会は時々開催されたが、私は中学卒業以来会っていない。私が初めて参加した時。確か「病気療養中」と聞いた。内臓のどこかを壊していた様だ。

 その後。三度ほど同窓会に出席したが…。私が休みの時にしかS君は参加していない。そのままコロナ禍で同窓会は中止と成り…。今日の訃報である。

 

 今からユーチューブでKISSを聞いてみようか。いまだに曲名も知らない…。

 彼はやはり高校ではバンドを組んだのだろうか?仕事は何をしていたのか?私は何も知らない。ただ、まっすぐな「俺は直角」みたいな思い出が残っている。

 

 印象に残る男…。しかし、家に遊びに行ったことはない…。私はやはり友達が少なかったのだろう!桂宮治の自伝と似ている。

 

PS、今、KISSを聴いてみた。私が昔、構成していた番組、名古屋の「5時SATマガジン」によくゲストで来ていた聖飢魔Ⅱを思い出す。

 今更ながら影響の凄さを感じる!そんなのみんな知ってるよ!」の突っ込みが聞こえてきそうだ。私も聖飢魔Ⅱのメイクを見て薄々感づいていたが…。あらためて思う。名古屋の店で夜中にKプロデューサーと一緒に小暮さんと話したのを思い出す。

 

 でも、KISSの歌詞の意味は今も分からない…。

 

映画「大名倒産」の脚本家!

 6月に「大名倒産」という映画が全国公開される。この映画の脚本(共同脚本)の一人は、私の大学時代の知り合い、稲葉一広さんである。

 

 ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語~」(note)に登場する人物である。

 

 そう。國學院大學落語研究会で、私の一年先輩だった万年堂まん丸さん(花廼家団五楼)である。

 私の所属した東海大学落語研究部が文化祭に突入する時行われる「山手一周徒歩で歩く」というイベントに、他大ながら参加(通常、國學院は新宿の出発を見送るだけなのだが…)。うちの部員が持参したオモチャの刀をうばいとり。街の自販機や電柱を斬りまくっていた先輩である。その想像力は凄く、電柱に向かって「また、つまらないものを斬ってしまった!」と、五右衛門みたいなことを言いながら、映画に登場した剣豪の切り方を使い分けて闘っていた。立ち回りのモノマネという珍ジャンルと何かが憑依したような動きが笑いを誘っていた(30分ぐらいで飽きましたが…当人は一晩中やっていた)。

 

 この、まん丸さんは学生の中でも特に真面目な性格なのだが…。よく警察に尋問される運命の人だ。大学時代に駅の改札を出ると知らない女性が手を掴んで「この人です」と言ったら、警察に取り囲まれて連れて行かれた経験の持ち主だ。

 どうやらレイプ犯と顔が似ていたらしい。警察も被害者本人が自信をもって「この人です」と言ったので、なかなか帰してもらえず講義に出られなかったらしい…。

 この不運は社会人になってもあったらしい…。

 

 そんな、真面目で不運な先輩が共同脚本の映画「大名倒産」。私は注目せざるおえない。実は…あの番組のゲストにと考えている。

 

 この人。脚本家になった経緯も変だ!(ここでは書きません)。ちなみに、青山学院落語研究会OBのフリーター・アナ・森たけしさんと、この方は落研同期となる。青学と国学は渋谷の校舎が歩いてすぐ。お互いの部室を行き来していた様だ。

 

 私は一年後輩となる。三年の時。まん丸さんと同じ落語会に出たことがある。青学の先輩が「饅頭怖い」をやった後。私が「反対俥」。この時、私はヘタなのに変なウケ方をしていたので、次に登場した、まん丸さんはやりにくそうだった。「粗忽長屋」を真面目に変えずにやっていた。やはり、真面目な人である。

 

 

 

水戸黄門の第一シリーズ!の驚き!?

 BSで「水戸黄門」の第一シリーズを放送している。杉良太郎が助さんを演じる豪華なシリーズだ。

 

 子供頃。毎週、見ていたのだが…。私の認知する水戸黄門と少し違うことに驚く!

 

 なんと!水戸黄門は印籠を出さない。あの、定番と思われた「ひかえおろう~!」が無いのだ。

 あのスタイルは途中から導入されたのか?子供の頃の記憶とは「あやしいもの」だ。私は最初から印籠を出すスタイルだと思い込んでいた。

 

 そして、助さん、格さんは「みねうち」せずに、ガンガンと悪を斬っている。黄門様の格闘シーンもかなりある。後期は杖で突くだけ!のイメージだが、しっかりとタテがついている。

 格さんが首を斬って、血しぶきがかかるシーンもあった。凄い!この頃の方が映画よりだ。

 

 助さんが最後に「弥七が、もっと早く来ていれば…」と嫌味を言い。黄門様が「いや、遅れても弥七が来たから解決したのじゃ」とフォローを入れてから、次の街へと旅立っている。ご隠居に気を遣わせるとは、格さんは不良ぽい。

 

 そして、お銀がいない。つまり、定番と思われた入浴シーンが無いのだ。

 

 水戸黄門は、どこのタイミングで、「あのスタイル」になるのだろう?再放送に目が離せない…。

 

 でも…たまにしか観ないと思うが…。

 

 

 

藤田まことの「てなもんや三度笠」を思い出す!

 今日、スーパーで買い物してレジに向かう途中で…気づいた!「やっちまった!」財布の入ったカバンを忘れている。

 これは、エコバッグの弊害である。玄関でエコバッグを持つと鞄も持ったと錯覚してしまうのだ。最近、数回同じミスを繰り返している。

 

 仕方なく…買った物を元に戻すが、意外にもどこにあったか覚えている自分がいた。まだ、記憶力は大丈夫の様だ。「なら、財布を忘れるな!」という突っ込みが聞こえてきそうだ。

 

 家に帰り。昼は出前を取ることにした。また、スーパーに行く気がしなかったのだ。郵便受けを見ると…。宅配業者のチラシに「今ならお皿三枚プレゼント」と書かれている。すぐに「上チラシ」と「海鮮茶碗蒸し」と「味噌汁」を取った。

 宅配のお兄ちゃんにプレゼントのお皿を受け取ると…「あれ?小さい!」チラシではお皿に見えた物は、醤油を入れる小皿だったのだ。

 写真アップのマジックである。ダダなので文句は言えないが…なにかモヤモヤする。

 

 夕方。結局、スーパーへと行く。悔しいので別のスーパーだ。そこで、買い物していると…。お菓子の中に「あたり前田のクラッカー」を発見した。まだ、売っていたのか!?

 

 「あたり前田のクラッカー」と言えば、61歳の私の世代は脳に強く刻まれているワードである。

 その昔。藤田まことさんの舞台コメディー番組「てなもんや三度笠」でチャンバラシーンの後。敵を倒した「あんかけ時次郎」が、歌舞伎風のミエを切る。その時「俺がこんなに強いのは…あたり前田のクラッカー!」(と、クラッカーのパッケージを出す)。これが毎週のルーティーンだったのだ。

 子供達の脳には「あたり前田のクラッカー」が算数の九九と同じぐらい叩きこまれていた。そんな、世代の私はスーパーで「あたり前田のクラッカー」を見かけたら…。買うしかないのだ。午前のスーパーで財布を持っていれば買わなかったものである。運命とも言える出会いだ。

 しかし…私は「このクラッカーの味」を覚えていない…。

 

 今、家で食べてみた…うん!なるほど…。ザ・普通の昭和のクラッカーだ。ジャムやマーガリンを付ければ旨いのでは?リッツと同じく何か乗せたらパーティーだ!

 

 今。BSで「水戸黄門」の第一シリーズを放送している。これも懐かしい!そして、驚きの発見があった!それは、次のブログで…