放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

下村先生とプロレス研究会

私の好きな先輩作家に、下村稔先生がいる。この人との出会いはラジオの加ト茶さんの番組だったと思う。 歳はいくつか上で放送作家としても先輩である。この方は、放送の歴史、お笑いの歴史、スポーツに精通している。飲んでいると面白い昔話や蘊蓄がドンドン…

藤井聡太・七段の五四金で思う、あの師匠…。

テレビで藤井聡太・七段の一手「五四金」が話題になっている。これは、常識では考えられない手だという。テレビで解説する大御所のプロによると、昔なら「勝っても怒られる」手なのだそうだ。師匠が「田舎へ帰れ!」と言う手だ! とも言っていた。さらに「10…

中学生の冒険!ポルノ観ようぜ!

中学生の頃。同級生の男Aが言った。 「みんなで、ロマン・ポルノ観に行かないか?」 「えっ! それ何?」 「知らないのかよ! 「エマニエル婦人」みたいなやつだよ!」 すでに、ここで間違っている。当時の私たちは日活ロマンポルノと「エマニエル婦人」の…

「バック トウ ザ フューチャー」思い出…

テレビで「バック トウ ザ フューチャー」を放送していた。見ていると、新人の放送作家の頃のことを思いだした。 私の師匠Мは、当時、業界を代表する売れっ子。誰もが知る大きな番組を何本も抱えていた。その一本に、公開コント番組のKがあった。 師匠のМが…

夏祭りの悲劇!

気温が上がると、いつも、子供の頃の夏祭りを思い出す。 静岡県磐田市で育った私は、毎年、天竜川の花火大会に出かけていた。お婆ちゃんの家が天竜川近くにあったからだ。 お祭りは磐田側から天竜川を渡った浜松側のものだが、上がる花火の見える距離は変わ…

あの凄い店・再び!

かつて、世田谷区経堂にあった「〇〇〇の看板」のバー。春風亭柳好師匠に教えてもらつた「必ず何か起こる店」に数か月後に行った時のことだ。 カウンターの右にダンディーな紳士。左にミュージシャン風のカッコいいオジサンが座っていた。 私はその真ん中に…

本当は誰に似てるんだ?! 完全版!

ある番組の収録の後。私が会場を去ろうとすると…。色紙を持った六十才ぐらいの男性が、私に「サイン下さい」と言った。私は放送作家なのでサインなどねだられる人間ではない。 「お願いします。小遊三師匠」 私は花粉症で一年の半分はマスクをしている。この…

ラジオのリスナー!

三十年も前のことだが、大学の先輩に呼び出されて「ゴールデン街」の店に行った。先輩はまだ来ていないので、一人でビールを飲んでいると…。 カウンターの隣に居た客が店のママに話しかけた。 「ママ、この前、ラジオ聞いてたら面白いダジャレがあってさー!…

今日、新聞を見てフォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎を思い出す

今、新聞を見たら…。「オンライン名刺」の広告が大きく出ていた。それを見て、私の脳裏に蘇ったのは、桶田敬太郎君(フォークダンスDE成子坂)だ。 十五年か二十年前だろうか? 敬太郎君が言った。 「小林さん、僕今、紙の名刺に代わるデジタルの名刺を考…

大学時代は女子校のコーチだった!

昭和五十七年のこと。東海大学落語研究部の三年だった私は、先輩の切奴(現・春風亭昇太)さんに「お前、今年から女子校のコーチやれ!」と言われた。 当時、東海の落研は代々、都内でも超名門女子校(中高一貫校)Jの落研のコーチをやっていたのだ。私の前…

前回の続き。ラジオの思い出!

Pli:z(プリーズ)のオールナイトニッポン(金曜二部)は、極普通の聴取率だったが、私にとっては毎週何が起こるか分からない刺激的な時間だった。 ある日。ディレクターのHさんが言った。 「なんか、慣れて来ちゃって…つまんないな~!」 「新コーナー考え…

まさかの大抜擢か!?

私が新人放送作家でアシスタントライターをしていた頃。ラジオディレクターのHさんが言った。 「小林君、次のオールナイトニッポンやって!」 「えっ! 僕でいいんですか?」(心の声) 突然のことに喜びの言葉も出なかった。 その前に「久本雅美のオールナ…

プロの落語会にアマチュアが出演

私が東海大学落研の三年生だった時。秦野市のホールで落語会を開催しているスタッフから連絡があった。 会うと、秦野で開かれる「三遊亭圓窓独演会」の前座を学生にやって欲しいというのだ。主催者は老人ホームの慰問で私の落語を見たようで、是非、素人を出…

他大学OBの天国と地獄

東海大学落語研究部だった私の、国学院の同期に、高座名・K・Aという男がいた。彼は、私と同じ静岡県の生まれで進学校出身。真面目で落語の知識が豊富な男だった。一年で最初にやった噺が「長短」で私と同じであった為、よく、会話をする仲だった。 彼の下…

新幹線で…。前回の続き

名古屋駅でミュージシャンの中野督夫さんと別れた後。新幹線に乗ると、激しい吐き気に襲われた。徹夜で飲み過ぎたのが原因である。 あまりに苦しいので、洗面所に行ったが胃の中はカラで何も出てこない。この何も胃に無い時の吐き気はくせ者である。やたらと…

新幹線で…(序章)

三十年程前。私は毎週土曜日に名古屋・中京テレビで「5時SATマガジン」という番組の構成をしていた。 当然、毎週、新幹線に乗るのだが、車内では色々なことがある。 土曜の生放送。その後、会議を終えて他の作家と飲みに行くのが毎週の定番だった。 ある時…

起死回生の「飲み屋ブッキング」

毎週、日曜の朝六時から生放送されている春風亭一之輔のFМラジオ番組「サンデーフリッカーズ」(JFN)にはゲストコーナーがある。 朝早いラジオだと、ゲストのブッキングは中々骨が折れる。ディレクターは大変だ。しかし、時々、驚くようなゲストが入る。そ…

柳好師匠と、またも…

世田谷区経堂に住んでいる時。いつもの様に駅前で酔っぱらった春風亭柳好師匠と会った。 「小林さん、一軒飲みに行きませんか。ヒャ~ヒャッヒャッ、ヒャ~!」 ここまでの会話は、一年中、いつ出会っても変わらない。柳好師匠はぶれない性格なのだ。 駅前の…

世田谷区のバーで…

世田谷区経堂に住んでいる時。ある日、駅前で酔っぱらった春風亭柳好師匠と会った。 「小林さん、変な店行きませんか。ヒャ~ヒャッヒャッ、ヒャ~!」 柳好師匠は、独特の笑い方で飲み歩く街のアイドルだ。 この界隈の「変な店」「マニアックな店」「人気の…

マンションと警察と昇太師匠

私が昇太師匠に紹介された世田谷のマンションに住んでいる時。 突然、警察官が訪ねて来た。 「あなたと同じ車種の車が、渋谷でひき逃げしまして、車を調べさせてもらえますか?」 「いいですよ!」 これは、明らかに私が容疑者である。当時、中古のクレスタ…

春風亭昇太師匠の給付金

今も現役で使用している昇太支給レンジ 春風亭昇太師匠が弟子の前座さんに「特別給付金」十万円を与えたと報道された。春風亭一之輔師匠は落語の枕で「私はしません」と言っていたが、私は昇太さんらしいと思った。 落語の弟子は基本、食えないと分かって入…

私は「ちりとてちん」を作ったことがある

チリトテチンの瓶詰め 瓶の裏側 知り合いが経営する下北沢の劇場「しもきたドーン」では、落語会が開かれている。芝居やお笑いライブの劇場で、この会社には元・フォークダンスDE成子坂の敬太郎君が役員として参加していた。 この劇場の立ち上げの頃。「落…

「落研・落語・斎藤君の野球」

若い頃の私は落研出身が恥ずかしく、なるべく隠しているところがあった。とこが、放送作家の師匠Мが私を紹介する時、必ず「元・落研ですよ」と、余計な情報を加えるのだ。しかも「こいつ、落語のことなら何でも知ってるんです」と嘘までつく。 弟子を売れさ…

桶田敬太郎君が突然➈庭ファーム

二つ隣に住む、元・フォークダンスDE成子坂の桶田君が、突然、訪ねてきた。 「小林さん、庭で野菜育てましょう!」 「何それ? ここで育つかな?」 「僕も始めたんです」 賃貸だが、この物件には十畳ほどの庭が付いている。桶田君はうちの庭に出ると、芝生…

桶田敬太郎君が突然⑧

元・フォークダンスDE成子坂の桶田君から、電話があった。 「小林さん、ネット番組出て下さい」 「えっ! どういうこと?」 聞くと、趣味でネット番組を作るというのだ。言うとおりにやるだけで良いというので、やることにした。何故なら私は「断らない男」…

桶田敬太郎君が突然➆

元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎君から、突然、電話があった。時代はさかのぼる。私が名古屋・中京テレビで「電波結社バババ団」という成子坂司会の番組を構成していた頃だと思う。 「小林さん、うちに遊びに来ませんか?」 「えっ! うちはどこだっけ…

「春風亭昇太のジョーダンDEナイト」と言う番組。そして一之輔!

先輩の春風亭昇太さんが言った「チョット、企画書書いてくれない」。 事務所のマネージャーに詳しいことを聞くと、静岡放送のミニ番組で昇太さんが地元静岡のスポットを訪れる番組だと言う。 この手の企画書は、何十通と書いたことがあるが通った試しがない…

あるミュージシャンのラジオ番組

三十年ほど前。私は埼玉で開局したばかりのFМ放送局795の朝の番組を構成したことがある。 この時のパーソナリティは新人の女性ミュージシャン。二十四才ぐらいの小柄な可愛い娘さんで、おとなしく素朴な感じ。芸能人を気取ったことろがまったくない好感…

入船亭扇辰さんの思い出日記…

国学院大学・落研のOB、入船亭扇辰さんは学生時代からの知り合いである。初めて会った時は、私が東海大の三年。扇辰さんは国学の一年生「シベリ家翌柳」だった。流石は歴史学の国学院だ。名前も気が利いている。 扇辰さんが真打になる頃だろうか…。上野の蕎…

自宅で仮面の忍者赤影だ!

まだ自宅にいるので、ネットで「仮面の忍者赤影」を見始めた。私は忍者ものはそんなに好きではない。しかし、子供の頃の記憶では何故か「赤影」が好きで映画版の飛び出す「赤影」(セロハンをは貼った眼鏡で画面が飛び出す、昔の3D)も観た記憶がある。 あ…