放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

ラジオのリスナー!

 三十年も前のことだが、大学の先輩に呼び出されて「ゴールデン街」の店に行った。先輩はまだ来ていないので、一人でビールを飲んでいると…。

 カウンターの隣に居た客が店のママに話しかけた。

 「ママ、この前、ラジオ聞いてたら面白いダジャレがあってさー! 「臭いもんとガーファンクル」だって! あれは秀逸だったよ!」

 この客を見ると、四十を超えようかと言うオッサンである。ラジオを聞く年代とは思えない。しかし、そのラジオの面白さを力説しはじめたのだ。相当なファンである。

 

 その番組は、某有楽町のAМで大人気だった夜の番組である。

 とても嬉しかった。私は、その番組の見習い作家だったからだ。

 しかも「臭いもんと(サイモンと)ガーファンクル」は、私が考えたダジャレだったのだ。

 

 二十代の頃。何の考えも希望もなく、目の前の仕事をこなしていただけの私だったが、こうして、楽しみにしていてくれるリスナーもいるのだ。

 番組の末端とは言え、自分の存在が肯定された様で嬉しかった。私は人見知りなので、この客とは会話はしなかったが、心の中では「ありがとう!」と握手したい気分だった。

 

 こんなこともあった。下北沢の駅のホームで電車を待っていると、知らない男が握手を求めて来た。

 「小林さんですよね?」

 「えっ! どなたですか?」

 「HМのオールナイトニッポンのリスナーです」

 昔、私が担当した金曜二部のリスナーが、イベントで私の顔を憶えていたそうだ。こんな人が居ると言うことは、気づいても声をかけないリスナーも居るはずである。

 つまり、街で恥ずかしいことは出来ないと言うことだ。タレントでも無いのに、これなのだから、有名人はさぞかし大変だろうと思った瞬間である。

 

 また、ある日。立川流の前座さんと飲み会で一緒になったことがある。初対面のはずなのに、この前座さんが「小林さんですよね?」と聞いてきた。

 「僕、HМのオールナイトのリスナーだったんです」

 

 聞くと、これも海のイベントで私を見たことがあると言う。

 「HМさんが、ハガキの住所の江東区を「えとうく」と読んで、盛り上がった時ありましたよね?」

 これは、私も覚えている。スタジオに居た作家二人とディレクターでいじったネタである。

 「あの、ハガキ出したの僕なんです。内容はウケませんでしたが!」

 

 ちなみに、HМさんとは、久本雅美さんである(イニシャルの意味ありませんでした)。

 

 いつか、日本の総理大臣が「「サンデーフリッカーズのリスナーでした」(春風亭一之輔・JFN)という日が来るかもしれない? なんてことは無い! 

 

 

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