放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

まさかの大抜擢か!?

 私が新人放送作家でアシスタントライターをしていた頃。ラジオディレクターのHさんが言った。

 「小林君、次のオールナイトニッポンやって!」

 「えっ! 僕でいいんですか?」(心の声)

 突然のことに喜びの言葉も出なかった。

 

 その前に「久本雅美オールナイトニッポン」をやっていたが、それは、アシスタント的な仕事。メインの作家に従っていればよかった。台本も上手く書けず、褒めてもらったのは一度だけ。あとは、可もなく不可もなくの仕事ぶりだった。

 久本さんと対面でハガキを読み合うコーナー「日本の心」で出演させられていたが、これは、ダメさをいじられただけで、作家の仕事ではない。メイン作家の書きまわしの上手さを見るたびに自信を失っていた。

 

 そんな私に金曜二部を一人で構成させてくれると言うのだ。

 私は躍り上がる気持ちを抑えて「ああ~!そうですか、やりますよ!」と、感情のない声で答えていた。当時、あまり喜ぶのは「売れていない」のを暴露する様で恥ずかしいと思っていたのだ。

 実際、スケジュール的には寝られない時期だったが、仕事のほとんどはアシスタントか、無料奉仕ばかりで、実質「売れていなかった」のだ。

 

 パーソナリティは、デビューしたばかりのロックバンド・pli:z(プリーズ)。男性・六人組のグループ、平均年齢21才だという。

 はっきり言って、私はチョット怖かった。ロックグループは怖いお兄ちゃんのイメージがあったからだ。

 

 会うと性格の優しい高校生みたいなグループで、あまりにメンバーの仲が良く、全員が同じアパートに住んでいた。人間関係の不安は消えたが、問題は番組の構成である。私は26歳ぐらいだったと思うが、経験の少ない私に、この若者達を光らせることが出来るだろうか?

 

 Hディレクターは言った。

 「6人スタジオで喋ったら、誰が誰だか分かんないよな! どうする?」

 「いや~! どうしましょう…」

 私はとっさに答えるアイディアが無かった。すると、Hさんは

 「よし! メンバーをまびこう! 外に出す!」

 「えっ! 外に出す?」私には意味さえ分からない。「どうするんですか?」

 

 メンバーの一人、ドラムの堀川君が高専出身で、ガラクタから自作の電気製品を作れるというのだ。彼は技術の部屋に入り、放送中一人で何か作り、様子を中継すると言うのだ(完成品はフリーマーケットでリスナーに無料配布した)。

 さらに、方向音痴なベースの塚本君に銀座の街を歩かせて、指定した目的地に向かわせ、その迷子具合を中継するというのだ。しかも、リスナーの希望者には特製のマップを郵送して、どこで迷っているか分かる様にするという。

 何と! 毎週、二元中継をすることになってしまった。オールナイトの二部では異例の手の込んだ放送である。

 

私が思うに、Hさんは、すでに番組の構想があって、自由に作りたかったのではないだろうか? それで、絶対反対しそうにない私を作家にしたのだ。私は仕事しながら勉強になることばかりだった。仕事というより、クラブ活動の一年生みたいな気持ちである。

 

 放送当日。Hさんは、言った。 

「第一回目のオープニングは、局アナのナレーションでメンバーの紹介を作るから、今から書いて! BGМは甲子園の学校紹介の時の曲だすから、よろしく!」

 放送まで後2時間ほど。私はびびりながら原稿を書いた。当時の生放送は、現場で急に原稿を書くことが多かった。

 

 私は、メンバーの話を聞いて、学生時代のそのままのエピソードをナレーションにした。ありがたいことに、全員、面白エピソードがあったのだ。

 

 オープニングのナレーションは、本人達の笑いも起こり、何とか形になった。

 リーダーの今西君が「これ、面白い!」と言ってくれたので、救われた思いだった。

 

 「電化製品作りの中継」も「方向音痴の中継」も、臨場感があり盛り上がった。私はHさんの言う通りに、のっかっただけだが、初めて一人で構成した達成感があった。

 

 2回目の放送の時。集まると、Hさんが言った。

 「先週の放送聞いたリスナーから、局に電話があってさ~!」

  私は苦情だと思った。騒ぎすぎて空回りした様な気がしたのだ。

 「苦情ですか?」

 「面白かったから、作家は誰ですか? って問い合わせがあったって!」

 力が抜ける程嬉しかった。私は言われた通りに書いただけだが、リスナーは作家のセンスだと思ってくれたのだ。

 

 Hさんは「全部、俺の企画なのに!」とは一言も言わず、私に「やったな!」と言う顔でニコニコ笑っている。

 Hさんは現場ではADや私を怒鳴ることもあったが、手柄を人に譲ってくれる優しさのある人だった。

 

 この噺、先が長いので、「この後が、面白いが…本日はお時間です」。続く!

 

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