昭和五十七年のこと。東海大学落語研究部の三年だった私は、先輩の切奴(現・春風亭昇太)さんに「お前、今年から女子校のコーチやれ!」と言われた。
当時、東海の落研は代々、都内でも超名門女子校(中高一貫校)Jの落研のコーチをやっていたのだ。私の前が切奴さん。その前は獅子頭(現・柳家一九)さん。古くは、日本最後の演芸作家と呼ばれる、畜生(ちくしょう・元木すみお先生)さんもやっていたという。
この女子校は全てのクラブのコーチが大学生。六年間女子だけの学校なので、社会勉強も兼ねて男子大学生と交流させていたようだ。しかし、他のサークルのコーチを見ると、早稲田、慶応、など名門校ばかり。何故か、落研のコーチだけが東海大だった。
先輩達に聞くと、昔、うちの先輩とこの女子高の先生がボーイスカウトで知り合って、気に入られたそうだ。
しかし、Jは名門校で偏差値は半端なく高い。私が教えて良いのだろうか? 落語を教えるのだから、勉強は関係ないのだが、私は大学から落語を始めて二年と数か月。
Jの落研に直すと、経験値は中学三年と同じである。高一から高三まではキャリアでは先輩なのである。
切奴さんの話では
「あの娘達、落語の知識無いから大丈夫! 基本だけ教えればいいから。うちの一年生と同じ! 問題だけ起こさないように!」
私に断る選択肢は無かった。何故なら、このコーチには生徒達と問題を起こさない真面目な人間が求められる。私に白羽の矢が立ったのは、そこが一番だったのだ。
つまり、「お前がやれ!」と言う命令なのだ。
この女子高Jは夏休みに一週間ぐらいの合宿がある。生徒は合宿で新しい落語を一つ覚えて、最終日に発表するのだ。
合宿初日。集合すると顧問の先生がやって来た。見ると、その先生は大学出立ての女性教師で、とても綺麗な人だった。落語の知識はまったく無いので「コーチに全てお任せする」ということだった。
夕食を大食堂で頂く時、顧問の先生が言った。「今日は、コーチの落語が楽しみです。他のクラブの顧問も観に来ますから」
私はチョットびびった。
合宿の初日はコーチの模範演技があって、生徒の前で一席やるのが決まりなのだ。
過去、学生日本一だった切奴さんの模範演技と、学生日本二位の獅子頭さんの模範演技を見た生徒達の前で、やらなくてはいけないのだ。
(心の声)「どうする? 頭下亭黒舟(とうかいてい くろふね)! ここでシラケたら、生徒に教えても説得力がなくなってしまうぞ!」
とは言え、やるしかない。幸い、この年のコーチは私一人だったのでシラケても東海落研にはバレれない(昨年までは二人だった)。
とりあえず、平静を装い。勢いで短い噺をやってみた。すると、驚いた! ウケる! ウケる! 何をやっても大爆笑。美人の先生も大喜びしている。
これは、甘い客だ。 私は調子に乗って、もう、一席長い噺をやってしまった。これが、また、ウケたのだ。これで、一週間は偉そうに教えても大丈夫だ。
急に気が楽になった私は、毎日、「仕草」「言葉の訛り」「時代背景」「描写のテクニック」等。色々教えたのだが、実は、正しかったかどうかは分からない。
生徒たちは、市販のネタ本から思い付きで落語を選んでいる。中には私が一度も聞いたことのない落語もあるのだ。
かと言って「知らない」とは言えない。何故なら、私はコーチだからだ。
初めて聞く噺は、私の方が必死に聞くことになった。まるで私が稽古に来ている様である。しかも、噺を知っているふりをして「ああ、こういうやり方してますか…。ここは、この方がいいかも…」などと言ってみる。ほとんどコーチ詐欺である。
何とか一週間の合宿を終えて、最終日。生徒全員が合宿で覚えた噺を披露する発表会が開かれる。
ここで驚いたのは、生徒たちが突然上手くなっていることであった。東海落研の例では、昨日までヘタだった後輩が、今日、突然、上手くなることは無い。
ところが、都内屈指の名門校となると、徹夜で練習して当日には自分のベストの状態を作れるのだ。これは、多分、受験勉強にたけている彼女たちだからできる技である。
昨日まで、ネタをつかえてばかりの娘まで、流れる様に話しているのだ。三年の会長などは、昨日まで全然できていなかった仕草も完璧だし、笑いまでとっていた。
なんだ! この娘たちは? もう、私の教えたことなどどうでもいい。
「みんな、もう、自由にやりなさい!」と言いたい高座だった。
合宿は無事に終わり、私はJの文化祭に呼ばれた、ゲストで一席やって欲しいというのだ。
当日、会場に行くと、合宿ではイマイチだった中学生が、ガンガン! 笑いをとっている。客席は父兄ばかりで、とても温かく、生徒が何をやっても、キャー! キャー!とウケるのだ。
しかし、次に私が出ると、空気は一変した。「何この男? 女子高なのに何よ!」と言う父兄の冷たい視線が刺さった。クラブのコーチだと言うことをつげて、生徒の勘違いネタなどふるのだが、まったくウケない。
父兄は「何、うちの娘たちの悪口言ってるのよ!」みたいな感じなのだ。
これは、完全アウェーの戦いになってしまった。私は、ひびって持ちネタの中でもウケない噺をやった。得意な噺でシラケると心が折れるからだ。
当然、反応は無し。私は顧問の先生に挨拶だけして、逃げる様に帰って来た。
名門校の父兄は娘が命。よその大学生には冷たいと知った瞬間である。
このJのコーチは、私の後も何人かの後輩がやったが、どこかで、問題でも起きたのか、いつの間にか無くなってしまった。
二十年ぐらい前。このJの落研の創立〇〇年の集まりがあり、歴代コーチがパーティーに呼ばれた。参加すると、中学生の頃、私が教えた女の子が某大手自動車会社のエンジニアになってエンジンの開発をしているという。
この娘に聞くと、当時の私の評判は高かったそうだ。
文化祭のドッチラケを除いての話だが…。
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