放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

國學院大落研と東海大落研

 四十年程前の学生時代。私の所属する東海大学落研國學院大學落研はとても仲が良かった。青山学院の落研も仲が良かったのだが…。

 東海、国学に比べるとダントツにオシャレで女子部員が可愛かった。

 どこか、卑屈になって東海・国学が親密になったような気がする。

 

 我々、東海からしたら国学も大都会・渋谷の大学だ。神奈川県の田舎・大根駅の学生にはまばゆいばかりだった。

 

 國學院の文化祭は、東海大とは時期がずれていたので、毎年、お邪魔して楽屋でバカっ話をしていた。

 

 一年の時。初めて国学院の文化祭の楽屋を訪ねると、OBや先輩達が優しいのに驚いた。応援団の様な東海落研と違い、一年生の私に色々と気を使ってくれるのだ。

 楽屋でOBが持参した寿司やドリンクもふるまわれていた。

 

 私に國學院四年生の三優亭右勝(元・若木家元治)さんが話しかけてきた。

 「黒舟!よくきてくれたね~!まあ、飲みなよ!寿司でもつまんで」とドリンクをついでくれた。頂いていると…。

 「せっかくだから一席、やってきなよ!誰か!着物貸してやって!」

 

 私は一つしかないネタ「長短」をやることになった。お客さんは重く、誰も笑わない。とは言っても、私は半年ほど落語をやっていて、ウケたのは一度だけの部員なので、いつも通りのツマラナイ高座だった。

 

 高座を降りた私に右勝さんが言った。

 「黒舟は喋りがしっかりしてるね!東海さんは誰を聞いてもチャンとしてるよ」

 大変なヨイショである。私はクスリともウケていない。無理して褒めるなら「ネタをつっかえないで凄いね!」ぐらいしか褒め言葉が無い状態だ。

 そこをうまく、大学ごと褒めることでまとめるところが、この先輩の凄い所だ。

 

 その時。楽屋を訪れた人が居た。

 「落語会の〇〇です。今日はゲスト出演に呼んで頂いて…」

 

 國學院大には当時二つの落研が存在した。私と仲の良かったのは落語研究会。その他に落語会という名の別の落研が存在していた。こちらの落語会はOBに「さだまさし」さんが居ることで有名だ。

 

 ゲストの落会の方に、国学の会長・三年の若木家志楽(後に入船亭扇辰師匠がこの名を継いだ)さんが聞いた。

 「今日、ネタは何をやりますか?」

 「「うなたい」を一つ!」

 私は驚いた! 「うなたい!」って何だ? どうやら「鰻の幇間」のことらしい。「饅頭怖い」を「まんこわ」と言うのと同じ理論で「うなたい」と縮めていたのだ。

 この人はただものではない! この理論だと「居残り佐平治」は「いのさへ」「地獄八景亡者の戯れ」は「じごむれ」かも知れない。

 しかも、ゲストは軽い噺をやるものだ。いきなり、大ネタというのも凄い!

 

 この方が高座に上がると、落研の先輩が小さな声で言った。

 「うちと色違うでしょ! 「うなたい」だもん!」

 

 同じ大学とは言え、ライバル同士。お客を取り合う敵としての炎が燃えていた。

 

 この方の「うなたい」いや「鰻の幇間」を袖から見せて頂いた。とても、本格派で上手い人だと思った。

 

 実は、この方は、現在、プロとして活躍している、三遊亭遊吉師匠である。上手いのは当たり前だ。

 

 その日は、國學院の皆さんに飲みに連れて行って頂いた。いつしか、東海の先輩は帰って東海は私だけになっていた。

 右勝「誰か、黒舟を泊めてやってよ!」

 「じゃあ、うちに来いよ!」

 

 三年生のプレスリー(漢字は不明)さんのお宅に泊まることになった。先輩の部屋は吉祥寺だったか明大前だったか、憶えていないが、昔ながらのボロアパートでドラマ「俺たちの旅」を連想させた。

 部屋には古新聞が天井まで積み重ねられ山の様になっていた。まるで、倉庫の中の様だ。

 この新聞は、勉強の為に記事を読み返す資料だという。そんなもの図書館に行けばいいのに、不思議な人だ。

 

 ここで、私は記憶が無くなった。飲み過ぎと、疲れ。そして、他大の先輩達に気を使ったのだろう。

 応援団の様な理不尽な東海大の先輩に体が慣れてしまい。優しすぎる先輩達に気を使ってしまったのだ。

 

 このブログ。あまり面白くならなかった。やっぱり、悲惨な目に合わないと笑いは生まれないものだ。

 

 

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