昭和56年。私が東海大学二年生の春に、ある噂が神奈川の東海大まで流れて来た。國學院大學の一年に木馬君と言うスーパー一年生が入ったという。
彼は早稲田を中退して國學院に入学したそうだ。彼の高座「野晒し」を聞いた先輩・おそ松さんによると「何だ!あいつ!一年のクセに、あんなに上手くやりやがって!」とのことだ。
この先輩の「何だ!あいつ!」は最高の褒め言葉だ。桃山学院落研のタージンの「田楽食い」を見た時も、おそ松さんは「なんだ!あいつ!」と言っていた。
一年先輩の私としては、木馬君が気になりだした。当時の私は一年間で一度しか笑いをとったことがなかった(爆笑は一度だけ)。しかも、ウケた時も先輩の評価は「客が良かったから…」である。
木馬君に嫉妬心が芽生えたのを憶えている。
この木馬君は、当人はいつもニコニコ笑っていて礼儀正しい。真面目で優しい性格。東海大の文化祭には毎回訪れていた。残念ながら「野晒し」は聞いたとこがないが…。
「火事息子」の吊るされて目ぬりする番頭さんの描写を完璧にこなしていたのには驚いた。仕草や人物描写に拘ったプロ風の演じ方だ。
仕草より言葉とスピードで誤魔化していた私とはアプローチが違っていた。
私は木馬君と東海大の文化祭でリレー落語をやったことがある。演目は「火焔太鼓」。私の出番の時、楽屋に遊びに来ていたので「俺、後半やるから前半を木馬君やってよ!」と頼んだ。
実は私は「前半の木馬君より俺の方がウケて、鼻を明かしてやろう」と思っていた。この時は四年生で「文化祭の客はよく笑う」ので、自信があったのだ。
そしてあがると…。木馬君がウケていない…。私は「あれ?この状況で俺がウケちゃうと、可哀そうだな!」とまで思っていた。
そして、私が自信たっぷりに高座に上がると…。クスリともウケない!あれれ…。全然話など聞いてくれないお客さんである。
結局最後まで、笑いは一カ所もなくお通夜の様に高座を降りた…。この時の、打ち上げのお酒の不味かったこと…。夢でうなされる程だ…。
木馬君は卒業後。高校の先生になり、時々学校で落語を披露していたそうだ。確か、教頭の名刺を頂いたことがある。
そして、このエッセイも見てくれている。木馬君!書いといたよ!「あんたは上手い!」
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