放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

圓窓師匠の独演会!秦野のホール!

 圓窓師匠がお亡くなりになった。ご冥福をお祈りいたします。

 

 40年程前。東海大学落研時代に落語会の主催者から連絡があった。会ってみると…。「今度、開催する「圓窓独演会」に学生を出したいので、三人出てもらえますか」との依頼だった(ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊」にも詳しく記しています)。

 

 今、考えると三人は多すぎだが、私は素直なので「分かりました」と言って、出演希望者をつのった。そして、くじ引きで三人を決めた。主催者は「どこかのイベントで観た私に出て欲しかった」様だが、私は公平にあみだくじで選び、運よく私も選ばれた。

 

 数日後。主催者から連絡があり「出るのは一人にして下さい」と言われた。多分、落語家さんから、素人三人も出せないと「ダメ出し」が出たのだろう。

 

 しかし、私は「大きなホールで落語が出来る!しかも、プロと同じ高座にあがれる」と楽しみにしている先輩と同期に「無くなった」とは言えない。

 主催者は「ギャラを三万払うので、出るのはあなただけでお願いします」と言った。ご指名は嬉しいが私は「素人なので、ギャラはいらないので三人出して下さい」と譲らなかった。

 

 独演会の当日。秦野の千人以上入るホールで、我々三人が落語をやることになった。プロの前座さん無しで、私の同期、私、先輩の女性の順で出た。同期はまったくウケなかったが、私が枕から「ドカン!」とウケてしまった。その調子で一気に「反対俥」をやったら笑いが最後までジェットコースターの様に続いた。

 その後にあがった女性の先輩は、普段は地味な芸風だが、この日は「初天神」がとてもよくウケていた。一生の記念になったことだと思う。

 

 我々の後に、柳家さん橋師匠(二つ目だったかも?)が上がり「棒鱈」。その次は圓窓師匠が「宮戸川」を長めにやった。そして、会は終わりとなった。

 何と!独演会なのに圓窓師匠は一席しかやっていない。

 

 我々、素人が三席もやったので時間が無くなってしまったのだ。何とも申し訳ない話である。師匠は素人が三席やることになったのは「主催者の責任で、我々のせいではないことを知っていた」様だ。

 

 打ち上げに誘われた我々は、恐縮しきり。おとなしく無口にビールを頂いていると…。圓窓師匠が今日ウケた女性の先輩に優しい口調で言った。「女性ながら噺家になろうなんて、思っちゃいけないよ!」。※この頃。女性噺家が前座になって話題になっていた。

 

 それがどうしたという訳ではないが…。とても印象に残っている。

 

 私には何も言ってくれませんでした。

 

 

 

 

 宣伝。ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」上・中・下

 

「嗚呼!青春の大根梁山泊~放送業界編~」も出てます。

 

直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

安いです。上→200円。中→300円。下→300円。

「放送業界編」800円(高そうに見えますが、上中下に分けていないので、枚数と値段は同等です)

 

放送作家で専門学校の先生・下村稔さんが「上」に登場する「初めての下宿の描写」を褒めてくれました。私としては意外な部分でした。落研入部前の不安な若者の描写が良かったそうです。

 

「青春落語バカの楽しいエピソード」有名劇団の主催者や脚本家、演出家絶賛!

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