放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

徳島の珍笑君!才能の宝庫だった!

 東海大学落語研究部の一年後輩に、頭下位亭珍笑(とうかいてい ちんしょう)という男が居た(昭和56年入部)。

 彼は徳島県出身で高校ではソフトボール部。それも、かなりの選手(投手)だったらしい。その球は腕を大きく回す本格派。下からとは思えない剛速球を投げていた。草ソフトではまず打てない。

 

 珍笑君は、高校まで落語の知識は無く、入学式の後歩いていたら少林寺拳法部の怖い先輩に捕まり、強制的に入部届を書かされていた。
 彼が肩を落として不安な顔で歩いていると、そこに声をかけたのが4年の実志(現・テレビディレクター)さんである。この実志さんは不思議な勘の働く人で、ひらめきが凄い。この男は落語に向いてると瞬時に思ったそうだ。

 

 しかも、話を聞くと、少林寺拳法部への入部届を書いてしまって、ビビっている。

 

 そこで、実志さんのトークが炸裂だ!

 「大丈夫!落研に入れば、文化部連合から体育会に連絡して、穏便に取り消せるから」

 「本当ですか? 入ります!」

 

 文化部と体育会では、本人の気が変わった時の公式な取り決めがあったのだ。

 

 私はキャンパスで勧誘した一年生の女の子を連れてブースに戻ると、実志さんが言った。

 「バカ野郎! 女子ばっかり連れて来るな! ナンパじゃね~んだぞ!」

 「すいません!」(男子は生意気で声をかけにくいのだ)

 「黒舟! それより、いい顔した奴捕まえたぞ! 絶対落語が上手い顔だ!」

 「誰ですか?」

 

 見ると、いい男だが愛嬌があるし、ファッションがオシャレだ。雑誌「ポパイ」に載っている様な服を着ている。

 しかも、先輩の言う通り落語の上手そうな顔をしている(これは私も本当に思った)。

 

 珍笑君は徳島出身ということもあって、東海大では少数派の上方落語をやることになった。最初のネタ「牛ほめ」である。

 

 見ると流暢だし、ミスがない。仕草も表情もとても豊かだ。ただ、不思議だが一年の時は、あまりウケなかった。

 これは「一年生あるある」だが、上手い奴でも何故か一年の時はウケないケースが多い。チョットしたデフォルメや余裕がないからだろうか?!

 

 彼は二年で「つぼ算」を憶えたのだが…。これも、上手いが笑いが薄い。何故だろう? それが私の正直な感想だった。

 

 珍笑君は人なつっこく、よく先輩達と飲みに行くようになった。すると、彼は大物OBにもビビらず飲み会で笑いをとる様になる。

 私が嫉妬する程のOB人気である。この面白さが何故落語に出ないのか…。そんな私の心配は、すぐに吹っ飛んだ!

 

 次にやった「崇徳院」が大爆笑をとったからだ。いったい、何が変わったのか分からない。しかし、学生達が大爆笑していることは事実である。

 

 この後、珍笑君が覚えた落語に外しは無かった。学内の落語会は「青菜」で客席をひっくり返した。

 

 四谷倶楽部(現在は無い)で開かれた、関東各大学の上方落語の精鋭が集まる「上方落語の会」で演じた「上燗屋」などは、まるで枝雀師匠の様だった(チョット言い過ぎ)。

 

 珍笑君は、三年時。同期の一団楽君と組んだ素人漫才「せ~の!」で「テレビ演芸」(テレ朝)のチャンピオンにもなってしまった。もはや落研のスーパースターである(以前のコラムを遡ってお読みください。さらに、詳細はネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」note版に記されている)。

 

 そして、四年生最後の高座「年忘れ落語会」で演じた「時そば」は、古典に忠実だが、良いウケ方をしていた(上方落語では通常「時うどん」なのだが、何故か江戸落語の「時そば」のネタでやっていた)。

 

 私は当時。都内の名門女子高の落研でコーチをしていたのだが(コラムを遡ってお読みください)、夏合宿に、この珍笑君を連れて行くことにした。前年は一人でやったのだが、女子高は中高一貫・部員が多いので二人の方が指導がしやすいのだ。

 

 女子高落研の合宿初日には、コーチによる模範演技がある。

 ここで、珍笑君は一年で初めて覚えたネタ「牛ほめ」をやった。しかしこれが、まったくウケない。

 女子高の部員はいつもなら爆笑してくれる良い客だ。それなのに、笑いが起きない。

 

 これは大変だ!次に私が上がらなくてはいけないからだ。コーチがシラケてはバカにされてしまう。

 

 私は恐る恐る「提灯屋」というチョット長い噺をやってみた。

 

 すると…。驚くことに! ウケる! ウケる! 会場が爆笑に包まれてしまった。実は、この噺は現代に通じない噺と言われている。家紋が出て来る噺だが、現代人には名称が分からないのだ。しかし、その分からなさ加減が偏差値の高い女子高生のツボにはまった様だ(分からないけど憶測して雰囲気で笑っている)。

 

 高座を降りた私に、珍笑君が言った。

 「黒舟さん! プロになった方が良いんじゃないですか」

 「えっ!ありがとう!」(心の声)

 

 実際は私は言葉が出なかった。そして、私より上手い後輩の、この言葉は嬉しかった(私の数少ない自慢である。「また、自分大好きかい!」)。

 

 話は元に戻るが…。どうやら、一年の時、最初にやった噺は、ずっとウケないようだ。昔のトラウマなのか練習しすぎて当人が飽きてしまったのか?

 その訳は不明のままである。

 

 先輩達の話を聞くと、数人、「一年の最初の噺からウケた!」と語る方がいる。これは、まれなケースで、相当センスがある先輩か、嘘つきの先輩だ!

 

 珍笑君は、今、徳島県内でコンビニを経営している。バイトの女の子にトークがウケていることだろう。

 

 

 

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