ある時、気づいたことがある。自分が「面白い」と思って「ウケさせようと」やっている場所より、「自分ではツマラナイ」と思って、ただ普通に話しているところが「ウケる」ということだ。
三年の時。「反対車」という噺を憶えた。この噺の中に、威勢の良い車屋がお客を乗せていないのに一人で走り出すシーンがあるのだが…。
この時、客は「一人で走り出した」人力車を遠くに見ながら…。
「まだ、乗ってないよ~!……ああ~角曲がって見えなくなっちゃったよ!…あっ!また出て来た!また、ひっこんだ!あんなとこ、ぐるぐる回ってるよ!気がつかないのかね~? あっ!戻って来た!「まだ乗ってないよ!」」
遠くを見る視線の演技でやるのだが、私は、ここは絶対ウケないと思ってやっていた。ところが、この中に、いつやっても笑いが起る場所があるのだ。
多分、文字で見ても気づかないと思うが…。
それは、意外にも「気づかないのかね~?」の一言だ。これは、古典落語の凄さだと思う。
このネタは先代の入船亭扇好さん(当時・二つ目・現・扇遊師匠)の音源で覚えたが(部室のオープンリールに東海大の文化祭での音源が残されていた)、私は、この部分は噺の流れとしてやっていただけで、何の思い入れもなかった。
後で思ったのだが…。古典落語の「ネタの良さ」もあるが、演者が「面白いと」思っていなかったので、客も「意表を突かれて」笑ったのではないだろうか?
私が「面白い」と思っているところは「力が入っている」ので、お客さんも「ギャグが来そうだ!」と気づいて観ている。だから余程面白くないと笑わない。
ところが「つまらない」と思ってやっていると、素人のつたない「今からギャグ言うぞ感」が無い。
予想しないところでボソッと言う「何でもない一言」だからウケたのではないだろうか?(プロは意図して、今はギャグを言わないという雰囲気を作っているのでは?)
この分析が正解かどうかは分からないが…。
十年程前。知り合いの作家の自宅での宴会で「落語をやれ」と言われたことがある。私は当時およそ30年は落語など人前でやったことがない。
ネタもうろ覚えなので、適当に短くして「反対車」をやってみた。酒の席など絶対ウケないから適当だ。とりあえず、落ちまでやれば「つまらないな!」と言われても役目は務まる。
始めると、やはり全然ウケない。酔っているのでほとんど聞いていない。この時、ある先輩の夫婦だけが、チャンと聞いてくれていたのだが…。
あの「気づかないのかね~?」の所で、奥さんが笑ったのだ。この時、ウケたのは、この場所だけである。
素人には、深い訳は分からないが…。やはり「ウケさせようとしない方がウケる」のかも知れない(声は大きく出してます)。
以前、プロの釣り師に「釣りたいという殺気があると、魚に気づかれて釣れなくなる」と聞いたことがある。
何か通ずるものがあるのかも知れない。
昔、人間国宝の五代目・柳家小さん師匠がテレビで「落語は剣道と同じで、出過ぎると打たれる」と語っていた。
この極意がチョットだけ分かるような気がした私である。
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