放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

素人がすいません!!「笑いの不思議?!古典落語の凄さを痛感!」

 東海大学落研時代。部員は当然落語を憶えて演じる訳だが…。

 

 ある時、気づいたことがある。自分が「面白い」と思って「ウケさせようと」やっている場所より、「自分ではツマラナイ」と思って、ただ普通に話しているところが「ウケる」ということだ。

 

 三年の時。「反対車」という噺を憶えた。この噺の中に、威勢の良い車屋がお客を乗せていないのに一人で走り出すシーンがあるのだが…。

 

 この時、客は「一人で走り出した」人力車を遠くに見ながら…。

 「まだ、乗ってないよ~!……ああ~角曲がって見えなくなっちゃったよ!…あっ!また出て来た!また、ひっこんだ!あんなとこ、ぐるぐる回ってるよ!気がつかないのかね~? あっ!戻って来た!「まだ乗ってないよ!」」

 

 遠くを見る視線の演技でやるのだが、私は、ここは絶対ウケないと思ってやっていた。ところが、この中に、いつやっても笑いが起る場所があるのだ。

 多分、文字で見ても気づかないと思うが…。

 

 それは、意外にも「気づかないのかね~?」の一言だ。これは、古典落語の凄さだと思う。

 このネタは先代の入船亭扇好さん(当時・二つ目・現・扇遊師匠)の音源で覚えたが(部室のオープンリールに東海大の文化祭での音源が残されていた)、私は、この部分は噺の流れとしてやっていただけで、何の思い入れもなかった。

 

 後で思ったのだが…。古典落語の「ネタの良さ」もあるが、演者が「面白いと」思っていなかったので、客も「意表を突かれて」笑ったのではないだろうか?

 私が「面白い」と思っているところは「力が入っている」ので、お客さんも「ギャグが来そうだ!」と気づいて観ている。だから余程面白くないと笑わない。

 ところが「つまらない」と思ってやっていると、素人のつたない「今からギャグ言うぞ感」が無い。

 予想しないところでボソッと言う「何でもない一言」だからウケたのではないだろうか?(プロは意図して、今はギャグを言わないという雰囲気を作っているのでは?)

 

 この分析が正解かどうかは分からないが…。

 十年程前。知り合いの作家の自宅での宴会で「落語をやれ」と言われたことがある。私は当時およそ30年は落語など人前でやったことがない。

 ネタもうろ覚えなので、適当に短くして「反対車」をやってみた。酒の席など絶対ウケないから適当だ。とりあえず、落ちまでやれば「つまらないな!」と言われても役目は務まる。

 

 始めると、やはり全然ウケない。酔っているのでほとんど聞いていない。この時、ある先輩の夫婦だけが、チャンと聞いてくれていたのだが…。

 あの「気づかないのかね~?」の所で、奥さんが笑ったのだ。この時、ウケたのは、この場所だけである。

 

 素人には、深い訳は分からないが…。やはり「ウケさせようとしない方がウケる」のかも知れない(声は大きく出してます)。

 

 以前、プロの釣り師に「釣りたいという殺気があると、魚に気づかれて釣れなくなる」と聞いたことがある。

 何か通ずるものがあるのかも知れない。

 

 昔、人間国宝の五代目・柳家小さん師匠がテレビで「落語は剣道と同じで、出過ぎると打たれる」と語っていた。

 この極意がチョットだけ分かるような気がした私である。

 

 

 

 

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