放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

尊敬すべき変な先輩・二代目・甘奈豆(おそ松)さん!

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         三代目・頭下位亭馬好(黒舟より襲名)「饅頭怖い」より。

 


 私が東海大学落語研究部に入部した、昭和55年。三年生の委員長(部長)だったのは、二代目・頭下位亭甘奈豆(とうかいてい あまなっとう 元・おそ松)さんだ。

 (ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」にも登場しているので一読願いたい。このブログと内容の重複もあります。安価有料)。

 

 ここでは、名称はおそ松さんで記すことにする。我が部では名前を襲名しても、日常は、一年入学時の名で呼ぶことになっていた。

 

 おそ松さんは、同期の切奴(現・昇太)さんと同じボロアパート、小田急相模原の「共栄荘」に住んでいた。

 この人は、服装は何でも良いタイプで、仕送りが来るとすぐ使ってしまう。田舎の新潟からお米が送られてくるが、自炊はほとんどしない。

 このお米は、お金を借りている同期・ぷっ陳さんへの「年貢米」として、借金のかたに消えていた。

 

 おそ松さんは、毎日、部室に来るが講義には出ない。試験も受けないのに「俺、ひょっとして留年かな?」等と言っている。「ひょっとしなくても留年である」。

 

 そんなダメダメ人間の、おそ松さんだが…。落語をやらせると本格派で実に上手い。それも、大きな会では「最高の高座」をやるが、その後、老人ホームの慰問などでやると、ボロボロのうろ覚えだったりする。

 大きな舞台、本番にだけ力を発揮するタイプだ。舞台が小さいと何故かテレてしまうのか、いつも恥ずかしそうにやっていた。

 

 私が好きだったおそ松さんのネタは「蜘蛛駕籠」(渋谷三大学落語会)「目黒の秋刀魚」(三年の文化祭・最終日の主任)「片棒」(学内の会)「富久」(年忘れ落語会)だ。

 「蜘蛛駕籠」は、基本に忠実な柳家系のネタで、変なギャグは無し。それなのに、しっかりと会場に笑いが起きている。

 おそ松さん曰く。「蜘蛛駕籠」は東海落研伝統のネタで、過去のレジェンド達が持ちネタにしていたそうだ。

 当人は「俺は不器用だから、ギャグは入れない。だけど、仕草には拘ってるんだ。寒さの描写とか、歩く時の動きなんか俺が一番上手い!…どうだ!黒舟!尊敬したか?」

 おそ松さんは、よく、「自分が一番」だと自慢するが、自慢した自分にテレて「どうだ!尊敬したか?」と聞くのが決まりだった。

 私が「尊敬してます」と言うと「えへへ!お前、良い奴だな!」と頭をかいていた。

 

 「目黒の秋刀魚」は、三年の文化祭の最終日にネタおろししたのだが、客席からドカドカと笑いが起っていた。

 私は、この噺はプロがやるもので素人がやるとシラケると思っていたので、本当に驚いた。やはり、この人は、だだモノではない。

 

 しかも、「目黒の秋刀魚」をやったのは、この時、一回だけ。

 老人ホームの慰問などで私が「「目黒の秋刀魚」やって下さいよ!」と言っても、「もう、忘れた!」と絶対にやらなかった。

 

 同様に「片棒」も、ネタおろしで大爆笑を取りながら、二度とやることは無かった。まるでプロの様な仕草やリズムだったのだが、何故か一度しかやらない。

 

 そのクセに、老人ホームでは、覚えたての「つる」や「小言念仏」を適当にやって、ボロボロの高座を見せていた。

 とても、同じ人間とは思えない不思議な人である。「小言念仏」は、何回も観ているが、いつも「練習してないから、ダメだな!」と降りてくる。

 

 この人は、もう、落語に熱が無くなったのだろうか…。と思ったものだ。

 

 しかし、それは違った。

 

 四年生の最後の高座「年忘れ落語会」の主任(とり)で「富久」を堂々と演じて、会場を唸らせたのだ。まだ、落語熱は無くなっていなかった。最後の高座に向けてボルテージを貯めていたのかもしれない。

 

 この会では頭下亭実志さん(現・テレビディレクター)が「幾代餅」を演じ、この出来が素晴らしく、会場には満足感が漂っていた。

 さらに、主任の前には頭下位亭切奴(現・昇太)さんが、大幅に与太郎のキャラを代えた「道具屋」で、ひっくり返るような大爆笑をとっていた。私の見た素人の高座ではこれ以上の笑いは皆無である。

 

 この後に、「富久」で客を引き付けた、おそ松さんはサスガである。

 

 ちなみに、この時。二年生で唯一人、演者に選ばれていたのが、私、頭下位亭黒舟である。前座の後「饅頭怖い」をやったのだが、プレッシャーに弱くややウケだった(秋の文化祭では切奴さんに褒めてもらったのだが…)。

 

 おそ松さんは、談志師匠の「富久」のテープを國學院の先輩・若木家元治ー(現社会人落語の若木家元翁)さんからダビングしてもらって元ネタにしたそうだ。

 そのテープを私にも聞かせてくれたが、仙台の独演会の音源らしく、素晴らしい出来のものだった。

 

 そして、おそ松さんは言った。

 「談志師匠は、最近、ヒゲはやして東京ではトークしかしてないけど、地方で初めて落語を聞くお客さんには、熱の入った高座をやるんだよ!そんなこと、知ってるなんて、俺、凄いだろう?…尊敬したか?」(昭和56年の会話)

 「尊敬してます!」

 「お前、騙されやすいな!」

 いや、私は反射的に先輩を喜ばせようとして言っているので、騙されているのはおそ松さんの方である。

 

 おそ松さんは、その高座の後、二度と落語をやっていないと思う。完全に燃え尽きた様だ!まるで明日のジョーの最終回だ!

 

 おそ松さんは、大学を去り。実家のお寺を継いだ。

 

 

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