昭和56年秋頃。私が東海大学落語研究部の二年生の時。部室の前で焚火をしながら飲んで居ると、一年生の頭下亭一団楽(とうかいてい いちだんらく・現・市会議員)と珍笑(ちんしょう・現・コンビニ経営)が言った。
一団楽「漫才のネタ考えたんで観て下さい」
かなり酔っていたので、勢いでやりたくなった様だ。部員みんなで、創作漫才を観ることとなった。
二人は影で練習していた様で、しっかりと漫才をやっていたのだが…。笑いがまったく起こらない。
酒の場ではウケないのは当たり前だが、私には「設定に無理がある」と思えた。
「負けず嫌い」がテーマなのだが…。うろ覚えでネタの雰囲気だけ書くと、導入は、
「負けず嫌いの山知ってる?」
「何それ?」
「登ってみて」
「(登って)いや~!頂上だ~!」
「と、思った瞬間。山頂がビューン!(伸びる)」
(見上げて)「おお~!負けず嫌いや~!」※以下、色々な「負けず嫌い」が登場する。
的なネタだった。この時、私が思ったのは、「それじゃあ、何でもできちゃうじゃないか!反則ネタだ!」との思いが強かった。
子供の頃から、「いとし・こいし」が好きだった私には、イリュージョン的なネタに反応しなかったのだ。
他の部員も同じ気持ちだったのだろう。誰もクスリとも笑わなかった。
しかし、これは私の判断ミスだった。
1年後。一団楽、珍笑、が3年の時。文化祭の高座で、シャレで、この漫才をやったのだ。すると、会場に渦を巻く様な大爆笑が起こった。
ネタはまったく同じである。演技としても余裕が出て上手くなっていたが、それにしても、私には衝撃的だった。
彼ら二人は、その勢いでテレビ朝日の番組「テレビ演芸」の勝ち抜きコーナーに出演。「せ~の!」とい名で、プロを相手に勝ち抜き「チャンピオン」と成った。
しかも、私が「反則ネタ」だと思った、「負けず嫌いのネタ」は、審査員に高い評価を得た。ある審査員は「技術の無い君らがやるには、ネタが良すぎる」とまで語っていた。
この時の審査員は、糸井重里、山本益博、大島渚、高信太郎、花井伸夫、と言ったビックネームである。
私は彼らが部室前で披露した時。誰も笑っていないことを重視してしまったのではないだろうか? ネタをしっかり分析していなかったのだ。
酔った大学生の目など、その程度だ。まったく、その光に気づくことはなかった。
今思うと、「負けず嫌い」という何でも使えるキーワードを見つけたのが「凄い」のだ。
彼ら二人は、プロを相手に三週勝ち抜き「グランドチャンピオン大会」でも大活躍することとなる(この様子は、noteで発表している「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語~」に記してある。一読をお願い致します。)。
一団楽君、珍笑君、私は君達を誇りに思う。客のウケだけでネタを判断してはいけないことを教えてくれたから。
でも、あの時は本当に「笑えなかったです」。それは、お互い酔っていたせいなのか? 間が違っていたのか? 謎である。
笑いは難しい。六十才を前にした今でも、その思いは変わらない。
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