放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

えっ!仁鶴師匠が…!!!

 私が初めて落語というものを見て「面白い!」と思ったのは、小学生の時。大阪のテレビ番組「ヤングOH!OH!」で見た、笑福亭仁鶴師匠の「寿限無」だ。

 

 普段は、落語をやる番組では無いのだが、この日は何故か、オープニングが終わってすぐに仁鶴師匠の「寿限無」が始まった。

 私は「寿限無」を初めて聞いた。あまりにバカバカしく面白かった。後にイギリスの「モンティーパイソン」にも「名前が長い男がインタビュー」されるコントがあることを知るが、「名前が長すぎる」というのは、万国共通の「笑い」である様だ。

 

 今では、ポピュラーになり過ぎているが、歴史上初めて「寿限無」が披露された時は、衝撃のネタだった筈である。

 この時、初めて「寿限無」を観た私も同じで「面白れ~!仁鶴って凄げ~!」と思ったものだ。その後、ラジオで五代目・円楽師匠の「目黒のさんま」を聞いて江戸落語を知ったのだが…。私の落語デビューは仁鶴師匠である。

 

 東海大落研の部室には色々な噺家のテープがあったが、上方落語の教科書的存在が、米朝師匠と仁鶴師匠だった。

 関西出身の部員は、たいてい、このどちらかの師匠のテープで落語を憶えるのだ。静岡出身の私は江戸落語だったが、部室のテープを借りて上方も聞いていた。

 米朝師匠は「美しい芸術品」という感じ、仁鶴師匠は「美しいのに爆笑のギャグ落語」に思えた。学生がコピーするのに一番人気があったのではないだろうか?

 枝雀師匠も人気があったが、そのままマネすると「個性が強すぎて」先輩にウケが悪い。OBに「誰のネタで覚えたの?」と聞かれた時「仁鶴師匠です」と言うと、丸く収まるのだ。

 これは、江戸落語では志ん朝、談志、小三治、といった師匠がそれにあたる。

 

 ここまで、偉そうに書いてしまったが…。あれれ?よ~く、思い出してみると…。私は仁鶴師匠を生で観たことが無いことに気づいた!

 

 当時、東京では上方落語はなかなか観られなかったが、大きなホール落語には有名どころは出ていた筈だ。

 四十数年前。学生時代の私が生で観たことがある上方落語は…笑福亭松鶴桂米朝桂枝雀桂三枝文枝)、桂小文枝桂文珍笑福亭福笑笑福亭仁智、笑福亭鶴志、月亭八方桂朝丸(ざこば)、桂べかこ(南光)…等の各師匠達だ。やはり、仁鶴師匠は観ていない。

 

 なんだよ!偉そうに追悼のコラムを綴る資格は無かったようだ。

 

 本当のファンの皆さん、すいません。でも、テープと映像だけでも仁鶴師匠は素晴らしかったです。…謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

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