国学院大学・落研のOB、入船亭扇辰さんは学生時代からの知り合いである。初めて会った時は、私が東海大の三年。扇辰さんは国学の一年生「シベリ家翌柳」だった。流石は歴史学の国学院だ。名前も気が利いている。
扇辰さんが真打になる頃だろうか…。上野の蕎麦屋に入ったことがある。その時、蕎麦をたぐる扇辰さんを見て驚いた。「ズッ!ズッ!」という音も仕草も、落語で演じる時の蕎麦の食べ方と同じだったのだ。
本来、落語で蕎麦を食べる時の仕草は実際とは違うデフォルメしたマイムで、本当の食べ方とは少し違う。しかし、扇辰さんの食べ方は「時そば」でお馴染みの、あの食べ方なのだ。
私は思わず「本当に食べてるみたいだね!」と言ってしまった。
扇辰さんすかさず「本当に食べてます」と突っ込んできたが、私には本当に食べているのに落語と同じ音と仕草なので、本当に食べている様に見えなかったのだ。
面白いので、一枚食べ終わるまでに何度も「本当に食べてるみたいだね」と言ってしまい。その度に扇辰さんは「本当に食べてます」と返していた。
演技上の嘘とはよく言ったもので、日常で落語と同じ食べ方をすると、違和感を覚えることを学んだ瞬間である。
多分、扇辰さんは落語の稽古もかねて演技と同じ食べ方をしていたのだと思うが、これは、逆に言うと、落語の中で実際と同じ仕草をすると「下手に見える」と言うことだ。ただ、蕎麦を食べただけなのに、チョット勉強になってしまった。
話は変わるが、私の落研の一年後輩に頭下位亭丈治(とうかいてい じょうじ)君という不器用な男がいた。彼は落語をやっても言葉に感情が無く単調。さらに、仕草も変なのだが仕草のある噺をやりたがる。
ある日、彼は「時そば」やります。と宣言した。先輩も同期も止めたのだが、本人は「絶対やります」と鼻息が荒い。
覚えた「時そぱ」を見ると、箸の動きが変でとても蕎麦を食べている様に見えないし、ズッ!という音も出ていない。あまりにひどいので、みんなで学食に連れて行き、蕎麦を頼んで食べさせてみた。
「本当に蕎麦を食べてる時と同じようにやればいいんだよ! 食べてみなよ!」
「分かりました!」
と蕎麦を食べる丈治君の箸はエックスにクロスしていて、上手くつかめず、箸で麺を上げた後、箸で口に運ぶのではなくを横から口を箸に近づけて食べているのだ。
部員一同。出た言葉は…。
「普段と同じにやってたんだね!」
ここまで不器用だと、落語を普通にやるのは無理である。特例で丈治君だけそのままやって良いことにした。
おかげで、丈治君はお客は笑わないが、楽屋の仲間だけ爆笑するクラブのアイドルとなった。
扇辰さんとは真逆のエピソードである。