放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

「落研・落語・斎藤君の野球」

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  若い頃の私は落研出身が恥ずかしく、なるべく隠しているところがあった。とこが、放送作家の師匠Мが私を紹介する時、必ず「元・落研ですよ」と、余計な情報を加えるのだ。しかも「こいつ、落語のことなら何でも知ってるんです」と嘘までつく。

 弟子を売れさせようとしているのだろうが、私は「落語」を憶えて演じていただけで、歴史も知らないし、好きな落語家しか聞いていないので、知識がピンポイントなのだ。
 聞いていたのは、志ん生、円生、五代目・小さん、十代目・馬生、小三治、といった師匠で、八代目・文楽、先代・可楽、先代・金馬、先々代・三木助、などの師匠をほとんど聞いていなかった。はっきり言って、落研の中では知識が無い方だ。
 
 そこで困るのは、業界人が私に落語のことを聞いて来ることだ。「知らない」と言いたいが、みんな師匠のプレゼンを信じているから、私が嘘つきみたいになってしまう。
 
 おかげで、私の勉強が始まった。学生時代先輩達に比べて乏しかった「落語の知識」を高める為に、本を読みまくり、寄席や落語会にも足を運ぶようになった。私は後に落語の番組をやることになるが、役立っているは、学生時代ではなく、ほとんど、作家になってからの知識なのだ。
 
 М師匠は、はったりが上手い。知らなければ「後から勉強しろ」「売りがあれば作家として強い」と言うことを教えてくれたのかもしれない。
 
 いつの間にか、私が落語に詳しい作家になってしまった頃、同じ事務所に斉藤君という大学生が入って来た。彼は日芸落研で、立川志らく師匠のすこし後輩。合宿に高田文夫先生が現れて、学生時代の志らく師匠を褒めた現場を生で見ているという。

 彼は、元々は先輩の高田先生の弟子になりたかったが、新しい弟子をとったばかりなので断られた。そこで、紹介されてうちの事務所に来たそうだ。
 もし、落語家なら「他の師匠にことわられたから来た」のでは怒鳴られて終わりである。師弟関係としては、相当な新人類。「見合い結婚」みたいな弟子入りである。
 
 師匠のМが斉藤君に言った「お前、小林が落語に詳しい様に、何か一つ、詳しいものを作れ! なかったらクビだ!」。
 斉藤君は落研にいながら、落語の知識はゼロ。落研OBに高田文夫先生と森田芳光監督がいるという憧れだけで在席していたのだ。まだ、大学四年生だったので「大きな落語会はでないの? 日大だったら「全日寄席」ってのがあるだろう」(日大の全学部の代表が一名出る落語会)と聞くと「いえ! 僕は出来ないし、出たくありません」と言っていた。
 私はショックすら覚えた。自分の感覚では「一番大きな落語会に出られなかったら、クラブを辞めよう」と言うのが普通だ。落研としては相当な劣等生に思えた。同時に、「こいつ作家としてもダメだろうな!」と思った(私もこの時、たいした仕事はしていないが…)。
 
 この斉藤君と私とМ師匠でステーキを食べたことがあった。この時、師匠は「なんでもいいから、ここにあるものでダジャレを言ってみろ! 一つ言ったら、一口食べて言い」。
 私は適当に、「このクレソンは僕にクレ!損するから!」(ステーキ一口)「郷ひろみが歌ってます!♪エキゾチ~ク~鉄板~」(ポテト一口)「私、お金がナイフ!」(ライス一口)等とやってみた、
 
 М師匠は面白くなくても言えば許してくれた。ところが、新人の斎藤君。まったく何も言えない。師匠が「つまんなくても、いいから、何か言え!」と言うが「いや、言えません! できません!」と一点張り。結局、高級ステーキは一口も食べることが出来なかった。
 師匠も意地になって食べることを許さなかったのだ。まったく不器用な男である。
 
 斉藤君は、この後、やたらと野球を観るようになった。昔から好きだった野球を極めて自分の売りにしようとしたのだ。
 そして、その見方が半端ではない。プロ野球は勿論、高校野球の地方予選、中学野球まで生で見て、全てスコアーブックを付けているという。
 
 ある時、斉藤君と名古屋の仕事の会議終わりに飲んでいると、ホテルに帰らないという。
 訳を聞くと、夜中まで会議の後、朝まで飲んだのに「朝一の飛行機で四国の少年野球を観に行く」というのだ。あまりに情熱が凄すぎて、一緒に飲んでいた局のプロデューサーが、「そこまで行くと凄いな! ドキュメント撮りたいぐらいだよ!」と言っていた。
 
 ある時。スポーツ雑誌「ナンバー」で「日本一野球を生で見ているヲタク」の対談記事があった。それを見た、斉藤君が言った。 
 「あれ? 僕の方が年間観戦数多いです」
 彼の年間観戦数は365を超えているという。ラジオやテレビの仕事もしているので、休みの日は、二試合、三試合観戦しているのだ。しかも、彼には拘りがあり、途中でトイレに行きたくなってスコアーブックが完全でない試合は「観戦数に入れない」というのだ。

 時には、オシッコを漏らしてスコアーブックを書き続けた試合もあるという。真夏だと、すぐ乾くらしいが、大の大人が漏らしながらスコアーを付けていたら異常である。
 斉藤君は後に「ナンバー」に出た「日本一野球を観ているヲタク」に会ったことがあるそうだ。その方が斉藤君の話を聞いて「多分、君が日本一だ!」と脱帽したという。
 
 彼の話を聞くと、全国の球場で遭遇するヲタク仲間の話が面白い。「野球ヲタク」は観るだけではないと言うのだ。あるヲタクは高校野球の予選で勝った時の校歌を生録していて、試合にはあまり興味がないという。この人は「日本全国の高校の勝った時の校歌」だけを集めているので、甲子園の常連校などは、もうコレクションにある。そこで、全国の弱い学校ばかり追っているのだ。最弱の高校が1回戦で負けると肩を落として帰って行くという。
 さらに「各校のブラスバンドの応援を録音するヲタク」「高校の地方大会の対戦チラシだけを集めるヲタク」(この人は、チラシだけ貰うと試合は観ずに帰るという)にも出会ったそうだ。
 他にも「日本一のヤジの天才」や「「三振野郎~!と叫びながら投げる実業団の投手」など、面白いエピソード満載である。
 
 斉藤君は南海時代からのフォークスのファンである。したがって、フォークスのスタジャンを着て、高校野球の観戦に行く。客の居ないバックネット裏で、このスタジャンを着てスコアーブックを付けていると、高校生のエラーが続出したりするという。
 みんな、プロのスカウトが来たと思ってあがってしまうそうだ。大学の監督がわざわざ客席に来て「うちのリーグのレベルはどうですか?」と聞かれたこともあるそうだ。
 
 ある日。いつもの様に高校野球でスコアーブックを付けていると、近くに、プロのスカウトが居たそうだ。その人は、斉藤君が好きな南海のピッチャーをスカウトした人で顔を見て分かったという。
 その方がスコアーを付ける斉藤君の隣に来て話しかけて来たという。
 「最近、どっかで良い選手見なかったかい?」
 情報収集のつもりで話しかけたようだが、
 斉藤君は「〇〇さんですよね?」と名指しで返事をしたので、向こうが驚いていたそうだ。昔からファンであることを継げると、感動して「チョット来るか!」と、プロのスコアラーがいる特等席に入れてもらい、プロ特有のスコアーの付け方も教えてくれたという。
 
 また、ある日。高校野球の予選で、盗塁があったのだが、斉藤君は公式発表が盗塁なのが気に入らない。自分の目ではキャッチャーのパスボールを見てからランナーが走った様に見えたというのだ。
 そこで、斉藤君は走った学生の帰りを出待ちして話しかけた。
 「君、パスボールを見て走ったんだよね?」
 「そうです!」
 学生は直立不動でびびっていたという。
 斉藤君は公式記録を無視して、自分のスコアーブックに「パスボール」と記した。これがヲタクの拘りなのだそうだ。
 
 「もっと真剣に放送作家の仕事をしろ!」との声もあったが、この斉藤君、後にプロ野球のニュースを毎日放送する、人気番組の作家となった。
 
 М師匠の「何か一つ、詳しいものを作れ!」は、正解だったことになる。
 
 また、数年前、斉藤君は「全国野球場巡り・877カ所訪問観戦記」(現代書館)を出版した。この本の帯は春風亭昇太師匠が書いている。
 
 本が出版された時。春風亭一之輔師匠のラジオ「サンデーフリッカーズ」の「そこが知りたい」のコーナーゲストに、著者の斎藤振一郎君を招いた。一之輔にとっては日芸落研の先輩である。斉藤君は何と! 学生時代の一之輔が出ている落語会のプログラムを持参していた。聞くと、この寄席文字を書いたのも一之輔だという。
 一之輔とつながったが、今回は「ハッシュダグ一之輔」はつけないことにする。
 
 一度、無理やりこじつけて批判を浴びたので、今回で帳消しである。
 
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