中学生の頃。同級生の男Aが言った。
「みんなで、ロマン・ポルノ観に行かないか?」
「えっ! それ何?」
「知らないのかよ! 「エマニエル婦人」みたいなやつだよ!」
すでに、ここで間違っている。当時の私たちは日活ロマンポルノと「エマニエル婦人」の違いすら分からなかったのだ。
いつになくクラス中の男達の目が輝いている。
B「俺も、観たい!」
私「でも、中学生は入れないよ!」
A「そこだ! 対策を練ろう」
実は、中学生の私は真面目で校則やルールを破るのが大嫌い。できれば、参加したくなかった。しかし、私はクラス一の協調性を持ち合わせていた。
ここで、断る訳に行かないのだ。
十分も考えたろうか? 言い出しっぺのAが言った。
A「大人に見えれば良いんだよ! そうだ、全員、スラックスを履いてこい!」
B「スラックスって何?」
A「線の入ってるズボンだ!」
私「うちにあるかな~?!」
私は家に帰ると、母親に相談した。
「スラックスない?」
「そんなのどうするのよ?」
「いや、みんなでスラックス履いて、街に行くって決まったんだ」
本当のことなど言えるわけがない。
すると、父親が「これでどうだ」と、見たこともない派手なショッキングブルーのスラックスを出してきた。うちのどこにこんなものがあったのだろう? 父親がこれを履いているのを見たことがないからだ。
多分、恥ずかしくて履けないスラックスだったのだろう?
次の日曜日。我々は六人程で自転車に乗って静岡県磐田駅の近くにある映画館へと向かった。ここは、元々、東宝の映画館で小学校の頃は「マンガ祭り」や「怪獣映画」を見たところである。向かいには当時としても貴重な「貸本屋」(初期の水木しげるの作品などを借りられる)がある魅惑の一角だ。
当時、映画館は経営に困ってポルノに転向していたのだと思う。
しかし、私にとっては一世一代の大冒険である。自転車をこぐ私は映画「スタンドバイミー」の主人公の様だ。映画では少年たちが「死体」を捜しに行くが我々は裸の女の「肢体」を捜しに行くのだ。
メンバーが集まると、全員スラックスらしきものを履いているが、全然不自然である。うちの中学校の男子は全員坊主刈りだ。
坊主の中学生が自転車で六人来たら、スラックスの問題ではない。そこで、作戦として、背の高い者がカツラを付けて最初に入ることになった。
映画館に近づくと会話も「課長! 最近、ゴルフどうですか?」などと社会人らしい会話を混ぜてみた。
一番、最初の男がチケットの窓口に立つと、中のオジサンが言った。
「お前ら、未成年だろう? ダメだ! 帰れ!」
「いや! 違います!」
「嘘つけ! 後ろの奴なんか生徒手帳出してるじゃないか?」
「えっ! お前、何やってるんだよ!」
「だって、学割利くかと思って!」
どこの学校にも与太郎は居る。
全員、トボトボと映画館を後にした。貸本屋で水木しげるの「墓場の鬼太郎」を立ち読みなどして気をまぎらわしたが、みんな落ち武者のごとく憔悴していた。
実は、私は未だに映画館でポルノを観たことがない。この時のトラウマだろうか?
時代は飛ぶが、私が東海大学落研の頃。国学院大・落研の同期に、桂亭はま好(けいてい・はまこう)と言う男がいた。
彼は卒業後、劇団員として役者をしていた。この男は、新宿・末広亭近くの居酒屋でバイトをしていたので、私は時々飲みに行っていた。
はま好「俺、大蔵映画でたんだよ!」
私「そうなの! 観に行くよ!」
大蔵映画とは、ポルノ映画である。
しかし、約束したものの、私は観に行かなかった。理由は分からないが、同期のからみ等観たくないと思ったのではないだろうか?
「からみ」があったかどうかは本人に聞いていないが、今では作品名も忘れてしまった。
後に、バイトも辞めてしまった・はま好君! 今は何をしているのだろうか?
ちなみに、大蔵映画の会社は、ボーリング、ゴルフ打ちっぱなし、バッティングセンター等を展開するオオクラランドだという。世田谷に住んでいる頃、私は春風亭昇太師匠と、よく、このバッティングセンターに行っていた。
宣伝。「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語~」
↓
https://note.com/bakodayo1874basu