放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

起死回生の「飲み屋ブッキング」

 毎週、日曜の朝六時から生放送されている春風亭一之輔のFМラジオ番組「サンデーフリッカーズ」(JFN)にはゲストコーナーがある。

 

 朝早いラジオだと、ゲストのブッキングは中々骨が折れる。ディレクターは大変だ。しかし、時々、驚くようなゲストが入る。それは出会いがしらの偶然だ。

 

 私が新宿の知り合いの店で飲んでいる時。なんとなく店の人に聞いてみた。「お客さんで、誰かラジオに出てくれそうな有名人いませんか?」

 

 数日後、同じ店に行くと、お店の人が言った。

 「出版社の方がお客さんにいるんですけど…。新刊の紹介ってどうです?」

 「えっ!」」私は前回の会話のことを忘れていた。

 「ラジオの件ですよ」

 「ああー! そうか~! でも出版社の人は有名人じゃないしな~!」

 「作家さんが出られるそうです」

 「有名な作家さんなら良いんですけど…」

 

 私が渋っていると、店の人は言った。

 「やっぱり、ダメですかね~! 森村誠一さんなんですけど…」

 「森村…。おい! チョット待って! あの、森村誠一先生?!」

 

 私はすぐにディレクターに電話を入れた。当然、すぐにOKが出た。

 恐るべし「偶然の飲み屋ブッキング」。人間、何でも口に出して言ってみるものである。

 

 ある日、世田谷・経堂の小さなバーで飲んでいると、この街に住む陶芸家の李先生が入って来た。この先生は、地元で「陶芸教室」も開いている。とても、気さくな方で、我々にも気軽に話しかけてくれる。

 

 見ると、李先生は知り合いを連れて来ていた。私のカウンターの隣に二人が座った。

 

 「西郷さん、こちら小林さん、放送作家の先生なんですよ」

 「いえ! 先生なんて、そんないいものじゃありませんよ」

 「始めまして! そう言う仕事は大変ですよね?」

 「あれ? 西郷さん…」うわ!西郷輝彦さんだ。

 あの昭和の大スター「御三家」の一人。子供の頃、毎週見たドラマ「どてらい男」の主演(笑福亭松鶴師匠も出ていた)西郷さんが居るのだ。

 

 聞くと、西郷さんは李先生の陶芸のお弟子さんで、すぐに意気投合して「飲み友達」になったそうだ。

 

 それから二年後ぐらいだろうか。偶然、李先生と飲み屋さんでお会いした時。私も酔っていたので、ダメ元で行ってみた。

 「西郷さんって、朝のラジオなんか簡単には出てくれませんよね?」

 

 それから一週間もたっただろうか。私の携帯が鳴った。

 「小林さん、李です。西郷さん、ラジオ出ますから」

 「えっ!」

 「今、本人と代わります!」

 「えええ~!」

 「小林さん、私、出ますから、マネージャーにもう言ってあります」

 「ありがとうございます!」

 

 これには、一之輔師匠も驚いていた。「ゲリラ・ブッキングですねー!」

 

 また、他にも、経堂の「さばの湯」という、お笑いライブを開催する居酒屋で、飲んでいると…。客の女性で話が面白い人がいた。

 一時間ほど世間話をしていると。店の主人、須田さん(本職はコメディライター・「モンティ・パイソン」の研究本でも有名)が私に言った。

 「あの方、ミュージシャンですよ」

 「えっ! そうなの?」

 「上々颱風の西川さんです」

 「ええ~!」

 私は上々颱風のアルバムも持っている。名古屋で音楽番組をやっていたので、ゲストに何回も来ている。しかし、私服だとまったく分からないのだ。

  酔ったついでに言ってみた。

 「西川さん、ラジオ出てくれませんか?」

 「えっ! 良いんですか~? 行きます」

 

 簡単に決まってしまった。西川さんはリーダーを連れて生放送にやってきた。

 

 恐るべし! 飲み屋ブッキング! これからも酔っているからと言って気は抜けない。飲み屋には宝の山が潜んでいるのだ。

 

 早く、例の問題が終息して、気軽に飲める様になって欲しいものだ。

 

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