放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

落研のカメレオンマン!同期の切笑君!

 昭和55年入学。東海大学落語研究部の同期に頭下位亭切笑(とうかいてい せっしょう)と言う男がいた。この、「切」る「笑」いとは、落研にはチョット縁起でもない名前である。

 

 「切」の字は切奴(きりど・現・春風亭昇太師匠)の「切」。つまり、切奴さんがつけた名前である。

 

 切笑君は、草刈正雄さんの「ものまね」が持ちネタで、よくやっていたが、それは、テレビでプロがやっている「ものまね」の「ものまね」で、オリジナリティが無かった。

 

 彼は長期の休みに地方の旅館で住み込みのバイトをしたことがある。

 

 バイトが終わり部室に現れた切笑君に我々は驚いた!

 突然、激しい訛りになっているのだ。

 

 彼は埼玉県出身で、あまり訛りはなかった。どちらかと言うと、都会的な話し方をしていた。それが、突然、激しい栃木弁になっていた。

 

 我々が「何で訛ってるんだよ?」と聞くと、本人は驚いて…

 (訛って)「何いってるの↑ 訛って↑ないですよ↑」と、訛って帰って来たことにすら気づいていない。

 

 一同大笑いしながら「めちゃくちゃ訛ってるよ!」と言うと…

 (訛って)「えつ!昔から↑私は↑この喋り方↑ですよ↑」

 

 訛りに加えて、旅館でバイトしたので言葉も丁寧になっていた。

 

 彼の訛りは1か月程続いたが、いつの間にか元にもどっていた。

 

 切笑君は、新しい環境にすぐ溶け込む人だ。友達が変わると言葉使いが変わることも多かった。

 

 そんな彼の落語はスムーズに話すのだが、2年まであまりウケてはいなかった。

 

 3年の春。切笑君は青学・国学・東海が共演する「渋谷三大学落語会」の出し物に「金明竹」(きんめいちく)を選んだ。

 本番前に学内の寄席で初披露したのだが、突然、大爆笑の高座となった。

 

 その演じ方は、別人格だった。彼は、青山学院の当時・爆笑王だった先輩・免亭回丈(めんてい かいじょう)さんの落語の口調やキャラ設定をコピーして演じていたのだ。回丈さんはデフォルメした与太郎で東京の学生落語では有名な存在だった。

 切笑君は、その口調をそのままマネしていたのだ。

 

 完コピと知らないOBが叫んだ! 「あいつ、化けたぞ! 馬鹿おもだ!」

 

 生涯で一番の爆笑をとった切笑君だが、一か月後。同じ噺がまったくウケなくなっていた。本人に「何で、ウケた時と同じにやらないの?」と聞くと「えっ!同じようにやってるよ!何でうけなくなったのか分からないよ」とこと。

 回りから観れは、あきらかにメリハリもデフォルメも無くなっているのに、本人は気づいていないのだ。

 

 切笑君はカメレオンの様に人のマネが人格に入り込んでしまう人だ。ところが、またすぐに他のキャラに洗脳されてしまう。あの爆笑の高座の時は、直前に青学の回丈さんの落語を観たばかりだったらしい。

 そんな能力があるのなら、志ん朝師匠や談志師匠をコピーすればいいのに、彼は何故かアマチュアをコピーしてしまったのだ。

 東海落研でプロのコピーをすると、OBの評判が良くないの見越していたのかもしれない。

 

 彼はその後、大手レストランでバイトを始めた。すると、日常会話もレストランの喋りとなり「私としましては、次の公演は誠心誠意、演じる所存です」等と、学生とは思えない会話になっている。

 「お前、なんだ! その話し方は?」

 「わたくし、以前と変わりませんよ!からかわれては困ります! 先輩!こちらへどうぞ!」

 

 部室のみんなが言った。「ダメダコリャ!」

 

 しかし、切笑君が海外で暮らしたら、すぐに言葉を憶えることだろう。留学できる家に生まれたら、語学の天才になっていたかも知れない。

 

 ただ、問題なのは外国語に順応しすぎて、日本語を忘れそうだ。

 

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