放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

落研とラジオ番組が企業と提携する野望…。

 昭和58年。私が東海大学落語研究部の四年生の頃。一年生にボーイッシュな女の子が居た。名前は、頭下位亭矢鱈(とうかいてい やたら)。もう一人、芽っ鱈(めったら・漢字は不明)と言う名前も居て、対の名前だった。この手の対の名前は大抵片方がクラブを辞めてしまう。やはり、芽っ鱈はすぐに辞めていた。

 

 この矢鱈は地味な服を着て男の様な話し方をする。しかし、顔を良くみると綺麗な作り、お洒落すればモテた筈だ。しかし、彼女はモテることより「笑い」を取る人生を選んでいた。タレントで言えば「いとうあさこ」や「森三中」のキャラだ。

 矢鱈は同期のオシャレな女性、志笑仁(ジェミニ)と仲が良かった。この子は、逆に女を前面に出すアイドルタイプ。同期の男達にもモテていた。

 そして、二人共大変な資産家のお嬢さんだった。

 

 矢鱈は、当時、珍味業界では日本2位のМ社のお嬢さん。志笑仁は愛知である事業を展開する大金持ちの娘だった。志笑仁の住む高級学生寮にはテニスコートがあった。

 

 当時の1年生達は、この矢鱈の伊豆の別荘に遊びに行き、バカンスを楽しんでいたという。先輩達は一切誘われなかったので、私は行ったことがないが、温泉まで引かれていたそうだ。

 まるで映画「若大将シリーズ」の「青大将」(田中邦衛)みたいな女である。

 

私が某ラジオ局で、久本雅美さんのラジオの作家だった頃(26才位)。ディレクターのHが言った。

 「何か、大きな話題になることやりたいな~! 例えば、企業と提携して番組のグッズを作るとかさー! 誰か企業にコネないかなー」

 私は、矢鱈のことを思いだした。

 「日本2位のシェアを持つ、珍味屋・Мの娘と知り合いなんですけど…」

 「えっ! それ、凄い! うちの局にCМうってる会社だよ」

 「えっ! そうなの?」

 

 早速、矢鱈に電話すると「母に聞いたら、やるって! 今度、会いに行ってください」。流石は娘。あまりに簡単である。

 

 私とHで会社まで会いに行った。

 すると、矢鱈のお母さんは着物姿のしっかりした美人のお母さんで副社長(父が社長)。仕事の時は、いつも着物なのだという。なんとも品がある。

 

 お母さんは、すぐに「番組・珍味」の話はせず、何と! 私に落研への苦情を語り出した。

 「あなた! 娘の先輩なんだってね~! うちの娘は、高校まで本当に素直ないい子でね! それが、落研に入ったとたん、オカシクなったのよ」

 「えっ! そうなんですか!」チョット、旗色が悪い。Hさんは話に入ってこられない。

 「落研なんかに入って、男みたいな格好して…志笑仁さんと友達になってから、親に反抗するようになったんですよ」

 そんなこと私に言われても困る。「テレフォン人生相談」じゃないんだから。しかも、これは落研とは何の関係もない「濡れ衣」だ。

 私はクラブの威信をかけて、フォローすることにした。

 

 「先輩達も、彼女に「女らしく」して欲しくて「イヤリング買ってやるから、付けろ!」と言ったことがあるんですけど、本人が拒むんですよ! オシャレより「笑い」がとりたかったみたいです。真面目で真剣なんですよ。クラブでは素直な良い子でしたよ!」

 

 しばらく矢鱈のフォローばかり話していた。すると、お母さんは 

 「分かりました! 番組の珍味作りましょう!」

 何と! 娘を褒めているうちに話が決まってしまった。

 

 翌週の放送で、娘の矢鱈を電話で繋いで「番組の珍味」を作ると発表した。放送上、美人の可愛い娘さんと言うことにしておいた。

 放送は盛り上がり。久本さんは現在の製品を食べて感想など言って、ヨイショしまくり。番組は無事終わった。

 

 後日、矢鱈に聞いた話だが、私はお母さんに気に入られたらしく「あの人と結婚しなさい」と言われたとか? 言われないとか?

 

 順風満帆と思われた「番組・珍味」だが、翌週、局側からNGが出た。詳しい理由は定かではない。

 私は、お母さんに電話して平謝りすることになってしまった。

 

 それから、10年位立った頃。当時、埼玉の某FМで「ダンス ファンキー ナイト」と言う番組をやっている時。

 制作会社の社長S(天才作家・Sさんは社長となっていた)が言った。

 「番組の商品とか出来ないかな?」

 私は、また、珍味屋Мの話をした。今度こそ、リベンジである。また、娘の矢鱈に電話すると…。

 「母が、OKだって!」

 またも、簡単だ! 私も社長の娘に生まれたかったものだ。

 

 今度は、本格的に「番組珍味」が動き出した。局側もOKだ。これで、お母さんにも顔が立つ、、、と思った矢先のことだった。Sさんから連絡があった。

 「言いにくいんだけど…。番組終わることになりました。珍味屋さんに、あの話断ってくれるかな!」

 「ええええ~!」私はまたも平謝りである。

 

 珍味屋さんと私の担当番組は、よくよく縁がない。

 

 先日、ラインで25年ぶりぐらいに矢鱈と書き込みでやり取りをした。聞くと、あの珍味屋Мは、兄が社長となり、今は廃業したそうだ。別荘も売ったという。

 

 私の中では、春風亭一之輔のFМ「サンデーフリッカーズ」(JFN)の10周年記念で「番組珍味」を出すのはどうかと思っていたが、その線は、消えたわけだ。

 

 そう言えば、秋田の落研の先輩は実家の建設会社を継いだが、会社を乗っ取られて

社員になったと聞く。

 

 人生いろいろ、落研もいろいろである。 

 

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