放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

バカボン鬼塚さんって知ってる?

 私の落研時代(東海大学)の青学の同期に、「秋風(亭号はうろ覚え)とんぼ」(通訳・学校の先生)さんと言う女性がいる。渋谷三大学落研OB飲み会をやった時、彼女が私に聞いた。

 「黒舟! バカボン鬼塚って知ってる? 東海の落研なんでしょ?」

 「えっ! 初めて聞いた!」

 「バカボン鬼塚」という名前は聞いたことがある。ラジオパーソナリティやナレーターで活躍している人物である。

 

 「東海大落研だったらしいよ!」

 「そうなんだ!」

 

 私はウキペディアで調べてみた。

 すると、「頭下位亭(とうかいてい)きんぴら(漢字は不明)」と言う名で、名付け親は春風亭昇太さんと書かれている。

 ここで、私はピンと来た。私が三年生の時(副委員長)。確かに「きんぴら」と言う名の1年が居たからだ。もう一人「ごぼう」と一緒に付けられた名前だ。

 

 「きんぴら」君は入部してすぐに辞めた1年生だ。

 この代は、みんな辞めてしまい、太己(たこ)君という男が、ただ一人で頑張っていた。この学年の印象は、あまり目立つ人が居ないイメージだった。

 辞めた一年で顔を憶えているのは、朝陳(ちょうちん)、好切(すっきり)、クレープ(漢字は不明)ぐらいだ。

 バカボン鬼塚こと「きんぴら」君の記憶も私にはほとんどないのだ。

 もし、彼がクラブに残っていてくれたら、太己君も少しは楽にクラブの運営が出来たことだろう。今、思うと残念な気持ちで一杯だ。

 

 当時、私が三年生ということは、バカボン鬼塚君に小噺の指導などしている筈である。4人しか居なかった3年は1年生全員に何度も指導している。

 

 しかし、バカボンこと「きんぴら」君の印象はまるでない。我々は才能を見逃してしまったのかも知れない。

 東海大落研の一年生が全員やる小噺は…。

 「おい! 源さん!」

 「なんだい?」

 「ゆんべお前さんに吊ってもらった、あの、棚なー」

 「ああ!」

 「おっこっちゃったよ」

 「おっこった? そんな筈はねえんだけどなー、お前さん、何かのっけたんじゃねえのかい?」

 と言うものだ。

 

 この小噺は素人がやると、まずウケない。

 プロの噺家でも、この小噺で笑いをとるのは人間国宝クラスの師匠だけである。

 

 多分「きんぴら」君は、この段階で嫌になって辞めてしまったのだろう。応援団の様な上下関係に耐えられなかったのかもしれない。

 

 せめて、一つ目の噺を憶えるまで居てくれれば、我々の目に止まった筈である。一席見れば潜在能力が分かるからだ。何とももったいない人材を逃してしまったものだ。

 

 バカボン鬼塚君が入部した時の学年は、東海大は低迷していたが、他の大学の同期は、柳家喬太郎(日大経商法)、立川志らく日芸)、入船亭扇辰(国学院)、タージン桃山学院)、等が居る。

 

 ちなみに、この時。「きんぴら」の名付け親、春風亭昇太師匠は、まだ、噺家ではない。OB・頭下位亭切奴(きりど)として部会に出ていた筈である。

 この名前を付けた直後に、前座・春風亭昇八として噺家生活をスタートしたのだ。

 

 どこかで、バカボン鬼塚さんと会うことがあれば、話をしてみたいものだ。

 その時「黒舟さんのイジメで辞めました!」と言ったらどうしよう?

 

 春風亭一之輔のFМラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)のゲストに、いつか来てくれないだろうか? 

 もし来たら「あなた、東海大落研に居ました? 覚えてないです」と言われそうな気がする。またもや、平松愛理さんのトラウマが脳裏を離れない(ブログを遡ってお読み下さい)。

 

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