放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

「何を言うかではなく、誰が言うかだ!」

 私が二十代後半の頃。某テレビ局で朝のニュース番組を担当していたことがある。この会議は空気が重く、若手の発言などは無言で黙殺される。

 

 それを知っているので、若手のディレクターは提案をせず、上司とチーフ作家の発言を待っている状態だった。


 チーフ作家は、私の師匠のМだった。つまり、私は師匠のコネで入って来た招かざる若手作家だった。しかも、当の私はニュースが得意でないのでやりたくない。命令で仕方なく参加していた。

 

 ギャラは普通に出ていたので、今思うと贅沢な話である。

 

 そこの会議で私が提案した新企画がある。それは「勝利のレシピ」というタイトルで、有名なアスリートが勝負の直前に食べた料理のレシピを紹介するものだった。


 当時の映像も使えるし、受験生の母親が「金メダリスト等が食べた料理を子供に食べさせたい」と思うのでは? という発想である。

 

 私がプレゼンすると、空気は止まった。ダメな企画だと、師匠のМが「小林、できないよ!」と突っ込んでくるのだが…。反応が無い。
 つまりМさんは、可能性があると思っていた様だ。しかし、他のスタッフは「良い」とも「悪い」とも言わず、別の話題となった。

 

 その数年後。これと同じ企画がレギュラーで別の局で始まっていた。

 私の発想は間違っていなかったのだ。この仕事をしていると、こんなことがよくある。

 

 同じ頃。私は某広告代理店の企画会議にレギュラーで出席していた。


 ここでは、作家が新番組の案を口頭で説明して、担当者が気に入ったものは次週、企画書にまとめるという作業をしていた。

 作家はうちの事務所から三人参加していたが、他の二人はいつも提案をしない。私の設定にのって付随するアイディアを言うだけである。何故かと言うと、言い出しっぺは次週、企画書を提出しないといけない。


 他の二人は、同じギャラならなるべく書きたくないスタイルをとっていたのだ。

 

 おかげで、ほぼ毎週、私だけが企画書を出していた。一度に二通出すことも少なくなかったのである。

 

 そんなある日。海外ドラマの「ルーツ」がブームとなった。そこで、私は「ザ・ルーツ」という番組を提案したのだ。

 これは、有名人の先祖をたどって、どんなルーツがあるかを解き明かす、ドキュメント番組である。


 担当者は、この企画に大きくのってくれた。会議の流れで番組の前半が「有名人のルーツ」で、後半は「グッズや家電のルーツ」開発秘話の二部構成となった。

 一同、この企画書には手ごたえがあったのだが、上司からの反応はNOだった。

 

 この企画の前半は、今、私が毎回楽しみにしている、某局の番組「F」と全く同じである。私の企画書でも「自分のルーツを映画館の様なスクリーンで観る」と書いていた。客席のセットの設定まで同じなのである。

 

 あの番組が始まる二十年も前のことである。

 

 これは、私のささやかな自慢である。私は間違っていなかった…。

 

 そして、この企画書を「良い」と言ってくれた方も、実は今企業のトップに立っている。

 

 しかし、私は、これをパクリだとは思わない。プロは皆同じようなことを考えるものなのだ。

 

 落語の世界では「何をやるかではなく、誰がやるかだ」と言う言葉があるという。演目より「誰がやる落語か」でお客さんが集まるのだ。

 

 企画書が通らなかったのは、運もあるが、私が大物でなかったからだと思う。


 「どんな企画書を出すかではなく、誰が出すか」なのだ。

 有名でない若手は、よく、こんなことがある。

  しかし、同じものが流行った時「間違ってはいなかった」と自信を持つべきだ。

 

 悔しがってひがむより「私のセンスは間違っていなかった!」と思って生きる方が、人生楽しくなる。

 

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