春風亭一之輔のラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)では、リスナーのメールを紹介している。実は、私はメールを紹介するラジオ番組は初めてである。
私がラジオをメインにやっていた時代は、ファックスがやっと普及した頃。リスナーとのやりとりはハガキと決まっていた。
当時の主なリスナーは「ハガキ職人」と呼ばれ、PN(ペンネーム)が付けられていた。現在は「ラジオネーム」と呼んでいる。
ハガキ職人には思い出に残るペンネームがあるものだ。何故か覚えているのは、「セピアンローゼスのオールナイトニッポン」のハガキ職人「オマーン国際空港」。
「久本雅美のオールナイトニッポン」の「ゲーム山村」等だ。
今「サンデーフリッカーズ」では、「サイサイ佐々鬼」「桂べちょべちょ」「土手高子」「びわ湖のパンダ」「カフェ・ライミン」「んだっちゃだれ」「本能寺の恋」「夕べはオレが悪かった」(本人落ち込みにつき・追加)等が常連だ(他にも多すぎて思い出せません)。たしか「本能寺の恋」は、第一回目の放送で最初に読まれたリスナーだ。「サンフリ」放送十年は、この一通から始まったことになる。
そんな色々なリスナーの中で思い出すのは「春風亭昇太のスーパーギャング」のハガキ職人「低気圧ボーイ」である。
彼は独特の感性で毎週、面白いハガキを送り採用されていた。そして、ある日のハガキに「私は放送作家になりたいと思っています」と書かれていた。そこには、電話番号も書かれていたのだ。
この頃。私が六本木の事務所「М商店」に行くと、師匠のМが例によって言った。
「小林! 湯川も辞めたし!(ブログを遡って読んで下さい) 新しい弟子いないか?」
またも、掟破りの弟子募集である。そこで、思い出したのが「低気圧ボーイ」のことだ。
「おー! そいつ、連絡してみろ」
連絡すると「低気圧ボーイ」は中央大学卒で立派な会社に勤めるまともな男だった。「本当に作家になりたいなら、一度、先生と会ってみる?」と聞くと、すぐに飛んできた。
しかも、面接のつもりで呼んだのだが、彼は「もう、会社を辞めて来ました!」と言った。
驚いたМ師匠は、即決で弟子にすることにした。
彼は私について、毎週、最大手広告代理店の企画会議に出席することになった。彼はテレビ番組の企画に「ハガキで作品を募集する番組」を提出した。
担当者も私も、「気持ちは分かるけど、ラジオじゃなくてテレビの新しい企画を考え来て」と伝えた。
翌週。彼の出した企画は「テレビのスタジオにラジオブースを作って放送する」企画だった。一同「だからー!ラジオから離れて考えられないかなー?」
すると、低気圧ボーイは叫んだ!「僕は、ラジオ以外やりたくないんです!」。
彼は、翌週も翌々週も、、、一年間、ラジオの企画を出し続けた。本当にラジオにしか興味が無いというのだ。
勿論、ラジオ専門の放送作家はいるが、たまにテレビに呼ばれれば対応するものだ。しかし、彼はかたくなに「生涯ハガキ職人」だったのだ。
いつの間にか彼は「作家を辞めて、普通の仕事を探します」と言って事務所を去った。
その後。とあるラジオ番組でペンネーム「低気圧ボーイ」のハガキが読まれていた。彼の一番ここちよい生活に戻った様だ。
それ以来、私は「放送作家になりたい」と言う若者に出会うと、なるべく諦める様に説得している。本当になる奴は私が止めてもなるからだ。
数年前。素人ながら面白い新作落語を書く男が大阪から私の話を聞きに来た。
彼の作品はすでにプロの落語家が持ちネタにしている天才肌だ。
実力は相当のものだが、国立大出身のエリートである。「低気圧ボーイ」のトラウマが脳裏をかすめた。
私は放送作家の「マイナス面」ばかりプレゼンしてしまった。「趣味で落語作り」を続けた方が良いとの結論となり、彼は帰って行った。
才能があるだけに、私の力など借りる必要は無いと思う。彼は大学落研出身で、自分でも落語をやる。学生で日本一。社会人落語でも日本一になっている。
そろそろ、表舞台に出て来るかもしれないが、銀行員で歌手だった「小椋佳」さんの様に二足の草鞋でも良い様な気がする。
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