放送業界のお話と落研と私的な思い出

放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

私の家にある思い出のスピーカー!

我が家に思い出のスピーカーがある。これは、三十年程前に春風亭昇太さんから貰ったステレオのスピーカーだ。 アンプとチューナーは壊れて今は無い。 その時、一緒に昇太さん所蔵のレコードを譲り受けた。昇太さんは現在、真空管アンプでレコードを聴き、ア…

東海大落研・先輩の書いた寄席文字!

東海大学落語研究部の先輩達は、皆、寄席文字、三味線、太鼓が出来た。私の様なダメ部員は何も出来なかったが、各代にスペシャリストが居て行事の時は腕を振るうのだ。 新入生勧誘や落語会の看板、落語会のめくり、ホール落語のパンフレット、そして、夏合宿…

最も古い記憶…

人は赤ちゃんの頃の記憶が無い。私もオシメの感覚やガラガラであやされた記憶は皆無である。 個人差はあるが人の記憶は幼稚園ぐらいからだと思う。私の一番古い記憶は、炎を持った男が走る祭りを父親に肩馬されて見た記憶だ。しかし、これはうろ覚えで夢かと…

専修大・國學院・早稲田・甲南・上手すぎる先輩達!

昭和54年~56年。私が東海大学落語研究部の2年から三年生の頃。専修大学が主催する大学の競演会があった。 新宿のNCホールという半分外みたな小さなホールで年に何回か開かれていた。この会には今まで2年先輩の切奴(きりど・現・昇太師匠)が東海の…

國學院大落研と東海大落研

四十年程前の学生時代。私の所属する東海大学落研と國學院大學落研はとても仲が良かった。青山学院の落研も仲が良かったのだが…。 東海、国学に比べるとダントツにオシャレで女子部員が可愛かった。 どこか、卑屈になって東海・国学が親密になったような気が…

四十年程前、青学落研の文化祭!

およそ四十年前の話だが、一度だけ青山学院大落研の文化祭に行ったことがある。何故一度しか行っていないかと言うと、私の居た東海大落研と同じ時期に文化祭をやっていたからだ。 仲の良かった渋谷三大学(東海大、青山学院、國學院)の行事は互いに顔を出し…

新聞・テレビ・書籍・情報は話半分!

私は子供頃。新聞・テレビの情報は全て正しいものだと信じていた。田舎者は素直なのだ。それだけに、詐欺に騙されやすいのも田舎者だ。 放送業界では、「情報の間違い」は細心の注意をはらって伝えているのだが、人間のやることだけに、ミスは付きものである…

桶田敬太郎君の構想した・コントのアニメ➁

亡くなった、フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎君が構想していた、名作コントをアニメにするという企画が立ち上がり。クラウドファンディングで資金集めの最中だ。 11月23日が彼の命日。もう、亡くなって1年が立つ。昔の仲間たちが作るアニメを、是非、…

自己主張が出来ない静岡県!

日本を代表するご当地キャラに熊本の「くまもん(⤵)」があるが、正しい発音は「くまもん(⤴)」と語尾が上がるらしい。 最近では、マスコミも発音は「くまもん(⤴)」と正しく伝えるそうだ。 これは、地元の方が「違う」と、しっかり主張したのだと思う。流…

サンデーフリッカーズの空気は原点の魅力!

春風亭一之輔師匠のFМラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN・日曜朝)の構成作家をしているが…。 有楽町の某放送を聞いていると、うちのリスナーのラジオネームがよく登場する。他の番組でも採用されると言うことは、どのスタッフが見ても「面白い」と言…

成子坂・桶田敬太郎の構想!

私と仲の良い釣り仲間だった桶田敬太郎(フォークダンスDE成子坂)君は、生前、「成子坂のコントを古典落語みたいに、若手にやらせてみたいんです」と言っていた。 彼は若手のお笑い芸人を育成していた。そこで、勉強の為に「成子坂の定番コント」に挑戦さ…

「鬼滅の刃」でふと思う!

映画版「鬼滅の刃」が爆発的なヒットを飛ばしている。いままでは「流行りになんかのるか~!」と距離を置いていたが、もう、ここまでくると認めざるおえない。 ネットでテレビ版を見てみた。「これは~~! 面白~い!」。 まだ、一話、二話、を見ただけだが…

四年生の平頭さん!心に刺さる!

40年前(執筆・2020年)。東海大学落語研究部の四年生に頭下位亭平頭(とうかいてい へいず)さんと言う先輩がいた。 この人は「俺が、俺が」と前に出るタイプではなく、いつも、一歩引いたところから冷静に現状を見ている人だった。 何故かいつも、首…

仕事で出会った落研の人達!

私が新人放送作家だった、昭和62年。先輩の作家・Oさんの紹介で、新番組・ドラマの番組宣伝番組の仕事を頂いた。 その番組は、あの「太陽に吠えろ」の後番組で、やはり刑事ドラマで「ジャングル」というタイトルだった。 新人の俳優の紹介やメイキングの…

学生落語の大会と東海大落研

数年前。下北沢の「しもきたドーン」というライブハウスで行われる「学生落語の大会」で審査員を頼まれた。 この会場は、私が名古屋でお世話になったテレビ局の元プロデューサーとフォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎君が、手造りで作った小屋だ。 演劇や…

國學院・落研先輩の元翁さん!

昭和五十五年。私が東海大学落語研究部に入部した時。國學院大落研・四年生に三優亭右勝(さんゆうてい うかつ)という先輩がいた。これは、伝統の名前で落語の腕が確かな者しか継いでいない。 この右勝さんは、今も若木家元翁(わかぎや がんおう)の名でア…

記憶に残るハガキ職人・メール職人!ラジオリスナー!

春風亭一之輔のラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)では、リスナーのメールを紹介している。実は、私はメールを紹介するラジオ番組は初めてである。 私がラジオをメインにやっていた時代は、ファックスがやっと普及した頃。リスナーとのやりとりはハガ…

ラジオ制作会社社長のМさんは凄かった!

30数年前。某FМ局で「〇の穴」という番組の作家をしていたことがある。私の担当したのは、英語とスペイン語を操るDJ・〇〇オが生放送する二曜日だ(曜日ごとにパーソンナリティが違う)。 この番組の制作会社の社長さんに見崎さんという方がいた。古き…

OB命令下る!東海落研を視察してこい!

二十年以上前のことだが、東海大落研OBで飲んでいると、春風亭昇太師匠が言った。 「今、うちの落研なんか、潰れそうなんだろう!お前、チョット見て来いよ!」 昔から、この手の現場仕事は、いつも私である。このパターンは四十年間変わっていない。 私は「…

落研の後輩・湯川君!(初代・五十歩)

東海大学落語研究部の七年後輩に、頭下位亭五十歩(とうかいてい ごじゅっぽ・湯川)と言う男が居た。 彼は細身のいい男で、初めて見た時の印象は、俳優の篠田三郎さんの様だった。彼は同期の兵枝(ひょうし・脚本家の穴吹一朗)と一緒に学生劇団を立ち上げ…

嘘だろう?!業界ドキュメント・青春ドラマみたいな思い出日記!

私が二十代の新人放送作家の頃。某地方局のディレクターAさんには色々とお世話になった。 初めて会議に出て、その場で来週の台本を書くことになったのだが…。私は、司会の挨拶から筆が進まなかった。普通は、〇〇(挨拶)でも良いのだが…。ここに、他の作家…

意外な仕事!「まさかのパチンコ番組」

私はパチンコをあまりやらない。二十代の頃、朝一で並ぶと打ち止め出来るパチスロに並んで生活をしたことがあるが(当時、近所の店が朝一は必ず出る設定がされていた。後に営業停止。違法だったかも)…。あまり熱くなった記憶はない。 当然、パチンコの釘も…

東海大落研の伝統は「教えない」とハマリ!

昭和55年。東海大学落語研究部に入部した私は、先輩達の自己紹介に驚いた。 大学院に通う先輩が何人も居たからだ。確かにみんな頭の良さそうな顔をしていた(している様に見えた)。 このクラブは優秀な先輩達が多いのだと感心したものである。 しかし、こ…

落研のカメレオンマン!同期の切笑君!

昭和55年入学。東海大学落語研究部の同期に頭下位亭切笑(とうかいてい せっしょう)と言う男がいた。この、「切」る「笑」いとは、落研にはチョット縁起でもない名前である。 「切」の字は切奴(きりど・現・春風亭昇太師匠)の「切」。つまり、切奴さん…

大スターKさんの番組!尊敬して恐縮した瞬間。

某ラジオでナイターオフに放送した、元ミュージシャンのTさん番組が好評だった翌年の九月(コラムを遡ってお読み下さい)。またも、同年の作家Sさんから電話があった。 「てっちゃん! 今年はKさんでナイターオフやるんで、はいってよ!」 「Kさん…あの…

経堂の人情!栄光の風呂付アパートと昇太師匠のマンション!

私が25才ぐらいの時。放送作家として、やっといくつかの仕事が入って来た。当時はまだ「風呂なし・トイレ共同の四畳半」に住んでいた。 貧乏学生と怪しい労働者しか住んでいない格安物件だ。玄関を出てすぐがトイレだったので、部屋まで匂いが漂って不快な…

親バカ青春白書・ついに、最終回!

東海大・落研・OBの穴吹一朗(27期・兵枝・ひょうし)君が脚本を担当する、ドラマ「親バカ青春白書」が、ついに最終回なのだそうだ。 このドラマは「娘が好きすぎて同じ大学に入ってしまった父親」の話だ。ムロツヨシの父親がキャンパスライフを謳歌する…

三遊亭金馬襲名!でふと思い出す!東海大落研のお噺!

私が東海大学落研部・四年生の時。昭和58年のことだ。一年生に頭下亭宇音宙(とうかいてい うぉんちゅう)君が入部した。 九州出身で気の弱い痩せた男だったが、芯は強く、上下関係を大事にする東海らしい男だった(彼は「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大…

有名人の子供達!

私は、昔から有名人や大物政治家・財界人の子供たちが羨ましいと思っていた。これは田舎者でナマケモノの発想のようだ。 私は子供の頃から、苦労や努力をさけて生きて来た。それだけに、親のコネで何でもできる「若大将シリーズ」の青大将(田中邦衛)の様な…

新人作家が大ピンチ!

新人放送作家の頃。失敗はつきものである。私の師匠Мさんが社用車として、新車のグロリアを購入した時。私はよく運転をしていた。 チョットしたお使いも、この車で行っていたのだ。それまで、ペーパードライバーだった私だが、三ヶ月も乗ると普通に運転でき…