放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

原監督が退任…

 巨人の原監督が退任した。原さんは私が東海大学落語研究部に入部した、昭和55年。四年生だった。

 大学野球の圧倒的スターで、スマート。歩いているだけで風が代る様な存在。柔道の山下さんもスターだったが…。原さんは別格で宝塚のスターやトップアイドル並の輝きがあった。

 

 私は落研入部直後。先輩に「おい!応援団の研修行ってこい!」と言われた。我が部は元応援団が作ったクラブ。そこで落研なのに「応援団のサブリーダーの研修」があったのだ(多分、現在は研修は無い)。

 学生服を着て、応援団の部室の前に集合すると…。二年生あたりの怖い団員が1時間ほど校歌・応援歌の練習。団員に合わせてエールの切る練習をしてくれた。

 

 研修を終え、落研の部室に帰った私に先輩が言った。「今度、大学野球の全国大会が神宮であるから、お前はサブリーダーとして応援団のサポートしろ!」「ええー!」。大変なことになった。落研の1年は応援団の下働きをするらしい…。応援団の1年生に指示されて弁当の箱を運んだのは忘れられない(同じ一年なのに…)。

 この時。我が部の4年生には団長とも仲の良い落研の安岡力也と言われた怖い先輩、夢豚さんが居た。応援団に「うちの兵隊だすから、こき使ってやってくれよ!」などと言っていた。まったく迷惑な(いや、素敵な)先輩である(本当にこきつかわれたら、話をつけてくれる優しさもありましたが…)。

 

 この日の神宮の試合は首都大学東海大学VS六大学の明治大学。東海の主将は原辰徳さんである。

 私は試合が観られると喜んだが…。サブリーダーは団長を正面に観て観客にエールの動きを見せる。つまり、私はグラウンドに背を向けて試合を観られず「♪とーかい~とーかいー!やー!」等とと叫ぶだけだ。

 歓声が背中にくると「打ったな!」と分かるが一瞬しか振り向けない。

 

 観客の中に(私の正面)落研を卒業した大OBが来ていた。富山からわざわざ出て来て、まるで野球部OBでもあるかの様な貫禄である。私のヘタなサブリーダーぶりを見て笑っている。

 

 この時。驚いたのは明治大学応援団の一体感だ。六大学野球はリーグ戦から一般学生が応援している。観客が応援に慣れているのだ。我が首都大学はリーグ戦では応援団しか行っていない。神宮の全国大会の時だけキャンパスから神宮直通の無料チャーターバスが出るので、講義のない学生が初めて応援する形だ。

 この違いは大きい。応援は劣勢である。にわかの私がサブリーダーというのも心細い。

 

 ボードを見ると、明治がリードしている。東海大攻撃の時。歓声があったのでチラッと振り返ると…原さんが二塁打を放った。やはり、スターである。

 しかし、次はボンタイ。簡単にチェンジになっていた。

 

 この時。私は気づいたのだが…。「あれ!津末さんが出ていない…」東海大相模時代、甲子園で一試合2ホームランの津末さんが居ない。4年なのにスタメンから外れていたのだ(理由は不明)。

 

 そして、センターを青山さんが守っていた。青山さんは私の高校の二年先輩(面識はありません)。高校の時はサードでピンチにはピッチャーもする凄い人だった。「あの人、大学でもレギュラーとったんだ!すげえ!」。体が細目で中学までサッカー部だったという身体能力の高い方だ。

 

 結局試合は明治が勝ち。私のサブリーダーは一試合で終わってしまった。

 

 この年のドラフトは巨人が原さんを一位指名して話題となった。そして、津末さんが日本ハムに指名された。さらに、青山さんが西武に指名された。

 

 みなさん凄い!私は落研一年間でウケたのは一度だけ。ほぼ全打席ボンタイだ。

 

 原さんの退任のニュースを聞いて、そんなことを思い出した。

 

 

宣伝。ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊東海大学・僕と落研の物語~」上・中・下

 

「嗚呼!青春の大根梁山泊~放送業界編~」も出てます。

 

直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

安いです。上→200円。中→300円。下→300円。

「放送業界編」800円(高そうに見えますが、上中下に分けていないので、枚数と値段は同等です)

「青春落語バカの楽しいエピソード」有名劇団の主催者や脚本家、演出家絶賛!

社会人落語の大御所・若木家元翁(元治ー)さん(国学院OB)も読んだかどうかは分からない名作エッセイ!

      ↓ 

 https://note.com/bakodayo1874basu