放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

今気づいた柔道の分析!

 昨日、夢の中で45年程前の中学柔道部のシーンが蘇った。

 

 市内の別の中学に背は小さいが内股という技のキレる伊達君(先輩かも知れないが)がいた。

 彼は、体が小さいのに一瞬で相手を投げる瞬発力と気合があり「チョット怖い」と思える相手だ。しかし、内股は普通体の大きな人が使う技だ。小さい者が大きい者を投げにくい筈である。

 中学生の頃。「あいつは小さくても筋力があるのだ」と思っていた。しかし…。さっきの夢で、当時の投げる様子がスローVTRの様に再生された。

 見ると(夢だが)首に手を回して首投げ風に相手をコントロールしていたのだ。

 私は飛び起きて!「なるほど!」とうなづいた。筋力もあったのだろうが、細い体では限界がある。だから、首ごと巻き込んで投げていたのだ。

 

 これは、今のルールでは反則かも知れないが…。当時はいきなり足をとっても良い時代。審判はとがめなかった。実は当時中学柔道でも「有効」「効果」が導入されたギリギリで審判の先生も「ルールの基準」に戸惑っている時期。当時の技有は今の国際ルールならなら全て一本になるレベル。一本は相手が受け身をとって「バシッ!」と音をさせないと取れなかった。

 今は投げられて音のする受け身をする選手は居ない様に見える。技有が一本になってしまうからだ。

 

 話がそれた…。時を戻そう…(ペコパより)。

 しかし、私の脳にこんなに映像が詳しく残っていたのが不思議です。場所は私の中学磐田市立城山中学校の柔道場。教室に畳を敷いただけですが…。隣の中学・磐田第一中学校と一度だけ合同練習をした時のこと。伊達君の内股を見たのは試合ではなく、練習の乱取り。うちの先輩が一瞬で投げられたので驚いた時の映像だ。

 

 この「首に手を回していた」のが事実だったかは分からないが…。なんだか、本当だった様な気がする。夢の映像がそれだけ鮮明なのだ。投げられた場所も中央の黒板の前あたりである。乱取りを取り囲むように部員が座っている。

 

 「裸の大将放浪記」で有名な山下清画伯は、スケッチはせず見たものを脳に焼き付けて、施設に帰ってから切り絵を書いて(作って)いたと聞く。なんだか、それに近いものなのか。映像が脳に記録されていたのだ。

 でも、私、絵はヘタクソで脳内の映像を手で(筆で)再現することはできません。残念な不器用です。

 

 しかし、何でもない風景の記憶だけは異常なまでに残っている。

 

 

 

 

 元柔道部にも是非読んで欲しい、青春馬鹿白書がこれ。柔道のことは出てこないけど…。私が一年の時の東海大大学院生だった山下さんが原付に乗る姿は日常茶飯事見ておりました。そして、四年生の野球部・原辰徳さんも歩いていました。私と同じ経済学科。学食で野球部は特別の大盛になっていた様な気がします(あくまで憶測です)。

 応援団のサブリーダーとして、神宮の全国大会で東海大VS明治大の試合で応援団用のお弁当を運んだのを憶えている。落研の一年は何故かサブリーダーとなり、おかげで試合中は客席をむいて応援するので、試合はほとんど見られませんでした。確か、負けましたが…。原さんは二塁打を打ったと思います。そして、明治の応援団長の声が大きかったのと、学生の応援が揃っていたのを感じました。

 やはり「東京六大学」は普段のリーグ戦から学生が応援に慣れている。全国大会だけ見に行く「首都大学」の応援は「負けた」感がありました。また、思い出話になってしまった。

 今、若者が最も嫌うのは、上司の思い出自慢らしい…。サンフリリスナーも、そう感じているのかも知れない…。一之輔は言うだろう「小林さんは、もう、お爺さんですからね!」。六十才…。最近、赤い靴を買った。異人さんが迎えに来そうだ!

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