放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

40年前のレジェンド・今も現役…

  日本で唯一の落語情報誌「東京かわら版」の天狗連(アマチュア)の落語会の欄を見ると…。私の知っている方達が目立っている。

 

 昭和55年に東海大学落語研究部に入部した私だが。その頃、レジェンドだった皆さんや後輩の面々である。我が東海大では天狗連の現役はあまりいないが、他大学は60過ぎ70過ぎなどのリタイア組が元気である。

 

 40年前。すでに國學院落研のOBとして文化祭に出ていた三遊亭右勝さんは名前を変えて今も現役だ。私が一年生の頃。國學院の文化祭で観た、この方の「鰍沢」は驚きだった。

 さらに、國學院の元翁さん(現・若木家元翁。この方も、右勝を継いでいた)。三年先輩で、当時からプロに準ずる演じ方で有名だった。学生の演じる「雑排」でこんなに笑いをとった人を私は知らない。

 随分と後輩になるが…。やはり国学院の万年堂きさ馬というアマチュアも元気だ!自作の新作で社会人の大会で優勝した男だ。この人はとにかくバカバカしい。どこか、この世界をまるごとバカにして生きている様に見えるのが魅力だ。腰が低く、言葉は穏やか。仕事は百貨店の苦情受付係らしい。多分、丁寧な言葉は心に無いエンタメの一つなのだろう…。この奥ゆかしさと毒のギャップが素晴らしい。

 

 青山学院OBの料亭花柳(三つ上)さんも、名前を彦柳と変え古典に忠実な真面目な落語で活躍中だ。創作落語も手がけ、執筆の落語の大会で賞をもらったこともある。この方も穏やかな語りである。

 

 先日。青山学院のOBによる学内の落語会があったらしい…。演者の中に花柳さんの名前もあった(伝統の名跡なので何人も居ますが)。その中に私の一つ下の火の見家はん生さんが出ている(フリーターアナ・森たけしさんが先代となる)。彼は学生時代から落語もモノマネも上手く。モノマネタレントの誰よりも早くタモリさんのモノマネで「テレフォンショッキング」をやったのを覚えている。声をマネると言うより「タモリさんが言いそうなフレーズ」を話す天才だ。

 今回は、言葉や時代考証などの解説付きの「時そば」を披露したらしい。職業は放送作家で江戸川柳の本も出している男なので説得力がある。確か青学でも講義の経験があるらしい。

 

 私は行きたかったのだが…(一般は入れるのか知らないが…)。この日は土曜日。しかも、よりによって、サンフリが代打で「ミッドナイトダイバーシティ」に登場する日。深夜12時から(準備はもっと早いが)2時まで、少し休んで6時から7時30分までの「デーフリッカーズ」の放送があるのだ。

 何事も仕事優先の私としては、観に行くのはあきらめた。

 

 しかし、皆さん大したものだ。スポーツなら今やれば100%肉離れは免れないだろう。中にはシラケて心の肉離れをしたOBも居るかも知れないが…。それも、また、楽し…である。