ギャラ無し、音楽の知識ゼロで名古屋の音楽番組をやることになった私は、ディレクターに聞いてみた。
「音楽の知識ないんですけど、大丈夫ですかね?」
「やって覚えればいいよ! 音楽の部分は専門の人が書いてくれるから」
聞くと、音楽コーナーの司会は名古屋の有名なFМ番組のパーソナリティーが担当し、原稿も自分で書いていた。この方は、私でも知っている程の有名人。東海地区の洋楽・邦楽のカリスマ的な女性パーソナリティだった。
私たち構成作家の担当は、地元の一般人が出演する「ローカルスターベストテン」が主な仕事だった。
このコーナーは、本家の「ザ・ベストテン」と同じセットがあり、あの、カタカタと動いて順位が発表される電動のボードも作られていた。
出演するのは町のスター・有名人。ハガキで友達や商店街の面白店長などの名前を書いて応募してもらい、上位三名は生放送のスタジオに登場するのだ。十位から四位まではVTRで紹介していた。
上位には「北区の永ちゃん」(矢沢永吉のソックリさん)「ダジャレ好きの八百屋さん」「独楽回し大好きの少年・子回し君」「名古屋の腰だけ本田美奈子(ただ当てブリするスーパーのレジ)」など、不思議な人たちが出て一分程の唄や芸を披露するのだ。
このコーナーには素人時代の「神無月」や「段田男」「愛工大名電・野球部の工藤公康(現・ダイエー監督)」なども出演している。
一時期は視聴率が跳ね上がったヒットコーナーだったが、私が入った頃は、少し下降気味だった様だ。
実は、このセットには伝説があって、地方局の番組を視察に来たフジテレビの荻野Dが、このコーナーを見て「これだ!」と叫んで帰ったという(М師匠の談)。
その後「オレたちひょうきん族」が始まり、「ひょうきんベストテン」が生まれたと言うのだ。本当かどうかは謎ですが…。
この「ローカルスターベストテン」のオーディションに日本福祉大学・落研の女性三人組「ぷくぷく隊」が参加して来た。
ネタを見ると、自分たちだけで面白がっていて、笑う場所が無い。私は「これは、不合格だな!」思っていた。
すると、先輩作家のOさんが言った。
「女子大生を出したいから、小林! ネタ作ってやれよ!」
「えええ~ッ!」
新人の私に拒否権は無い。
「持ち時間は一分半程で、分かりやすいベタな笑いを四つとれ!」この指令の元、私は名古屋のご当地ネタと、この番組のネタを三弾落ちで作った。回し役は問題定義。二人目は褒める答え。三人目は落ち。
素人の女子大生三人なので、難しいネタ、複雑なネタは一切いれず。ベタオンパレードで作ってみた。
後日、私と若手ディレクターが二時間ほどかけて日本福祉大学まで行き、この、ネタを稽古させて形にした。一分チョットのネタなのですぐに出来て、なんとかなりそうだ。二人は安心して帰った。
しかし、翌週。生本番の前に、もう一度ネタのおさらいリハをやると、ネタが全部変わっている。しかも、笑う場所がないのだ。クラブの仲間しか分からない話題ばかりだ。時間も長く七分ぐらいある。
「何で! 別のネタやるの?」
「あのネタ、先輩に見せたら、こっちの方が面白いって稽古させられて、こうなりました」
「あの、それ、全部やめて元に戻してくれる。生放送だし一分半しか時間ないから…」
危なかった。そのまま別のネタを七分もやられたら、私と若手Dが怒られてしまう。
多分その時のネタは…。
A「どうも~!ぷくぷく隊で~す。〇〇で~す!」
B「〇〇で~す!
C「太平シローでーす!(持ちネタのモノマネ・彼女は顔が似ていた)」
A「今日はせっかくテレビなんで、名古屋の良い所を皆さんに披露しようか」
B「どういうこと?」
A「例えば自動車産業が凄い!」
B「じゃあ、私は道路が広い!」
C「交通事故日本一!」
A「こらこらー!」
こんな会話の繰り返しが三つぐらいあったと思う。最後のネタは
A「最後は、この番組の良い所で行こう!たのむよ! まずは、毎週、人気のバンドが見られる」
B「名古屋屈指の長寿番組!」
C「そろそろ終わりそう!」
A「こらこらー! いい加減にしなさい」(今書くとかなり恥ずかしいネタだ。でも当時は必死だった)
どうというネタではないが、とにかく、スタジオ観覧のお客から笑いが取れないと、私の立場があやうい。一番下の作家がしくじったら、次はクビしかないからだ。
生本番のモニターを見ていた、私の師匠Мが「番組そろそろ終わりそう」で笑った。
「小林! 面白いじゃないか!」
珍しく褒められた。たいしたネタではないのに、素人用のベタとしては、これで良かった様だ。私の首は繋がった。とはいえ、ノーギャラの現状維持だが…。
この後、「ぷくぷく隊」は調子に乗って、女子大生トリオとして「大須演芸場」に出たことがあるそうだ。そこにはプロの出演もあって、何と! 二つ目時代の春風亭昇太さんと一緒になったそうだ。
天狗になった「ぷくぷく隊」は、昇太さんが東海大の落研出身と聞いてこんなことを言ったそうだ。
「東海の落研なら、きっと昇太さんの大先輩だと思うけど、放送作家の小林先生知ってますか? 先生に演出してもらったんです」と言ったそうだ。
すかさず「それは、俺の後輩だ! この野郎!」と言ったとか。
昇太さんは若く見えるので、どこでもこんな扱いをうけるのだ。
後日、昇太師匠と三遊亭遊雀師匠と私で飲んでいた時に、この「ぷくぷく隊」の話が出た。遊雀師匠は日本福祉大学の落研出身で「ぷくぷく隊」の先輩なのだ。
そこで、名古屋の番組で「ぷくぷく隊」のネタが急に変わって長くなっていたのには困ったと話してみた。すると遊雀師匠が言った。
「それ、ネタ直して長くした先輩は私です。その本番、客席で観てました」
「おおおお~! あんたかよ! いい加減しろ!」と心の中で叫んだ!
この飲み会は大いに盛り上がった。今は古典の名手として知られる遊雀師匠だが、学生時代はテレビに対応していなかった様だ。
まだまだ、この話は続きます。
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