私が放送作家の新人の頃。師匠のМが言った。
「来週から、名古屋行ってこい! ギャラは無しだ! 交通費とホテル代は局が出してくれる」
「えっ!」
当然、私に断る権利はない。しかし、当時の私は、この「ノーギャラの仕事」が嫌で仕方が無かった。М師匠からすると「何も出来ないお前を、俺の番組に入れて勉強させてやる。幸せな奴だな!」と言う気持ちだ。
これは、今の私なら「良く分かる」。キッカケが一番大切なことを知っているからだ。しかし、当時の私は少しでもギャラが欲しかったし、「何も出来ない新人」の肩書で入るのが嫌だった。
相手が「入りたての新人」だと知ると、見下した態度になる。例え仕事が来てもバイト程度のものしかくれない。
「初めからタダで良い」なんて触れ込みで入っても、一人前として見られるのに時間がかかってしまうのだ。
私の知っている放送作家で若くして活躍した人たちは、皆、師匠が忙しくて出来ない番組をいきなり紹介されてギャラを貰った人が多い。
このパターンは、いきなり一人前の作家でデビューできるのだ。
実は、このノーギャラのお陰て、私は後々得をするのだが、この時の私には不快感しかなかった。
私は毎週、土曜日の夕方の生放送、会議。泊りで日曜は休み。月曜に別のコーナー会議という三日拘束で無料の作家となった。放送局からすると、頼んでもいない新人に交通費とホテル代を出すだけでも温情である。М師匠がうまく話したのであろう。
この番組は名古屋の若者に人気の音楽バラエティーで公開生放送。若手のロックバンドを中心に、毎週、生でバンドの演奏もあるという豪華な番組だ。
しかし、当時の私は音楽にうとかった。学生時代に落語しかやってこなかったからだ。学生時代はテレビさえほとんど見ていなかった。当時、売れているミュージシャンで知っているのは、ユーミン、サザン、竹内まりや、等だった。
一回目の生放送を見学すると、番組が企画した野外コンサートの前日で、出演するロックバンドの一組が生演奏をしている。
私は初めて見るバンドだったので、ローカル放送だから無名の新人が出ているのだと思っていた。エレキギターのペインティングが幾何学的でオシャレだな! と思って見ていた。
若手のスタッフが言った。
「きみ、運がいいねー! いきなり、生でこのバンドを見られるなんて!」
「そうなんですか? 有望な新人なんですか?」
「きみ、音楽何も知らないね?」
「いや、普通です」
何が普通か分からないが、スタッフはあきれていた。
このバンドが演奏すると、客席の若者が熱狂しまくっている。不良っぽいので私は恐いな! と思った。この手の歌手は矢沢永吉さんぐらいしか知らなかった。
「このバンド、名前は?」
「BOOWYだよ!」
あのオシャレなペイントのギターは布袋さんだったのだ。
言い訳させて頂くと、この時は昭和六十年ぐらい。大ブレークより少し前である。
しかし、こんな私に音楽番組の構成などできるのだろうか? 不安しかなかった。
スタッフは、もっと不安だったことだろう? 「こいつ、BOOWYもしらねーぞ!」と、陰でADが言っていそうな気がした。
この話は続きます。
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