放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

祝!二代目 三遊亭円丈師匠の誕生!

  三遊亭ふう丈さんが円丈を襲名するという。この名前が続くことは嬉しいことだ。

 

  昭和55年。私が東海大落研に入部した時。二年先輩の切奴さんが熱く言った言葉が「円丈師匠を観ておけ」だった。「円丈師匠は古典が上手い!だから新作ができるんだ!」とも言っていた。我々一年生は古典をやる訳だが「古典より新作の方が凄いんだ!」という先輩のメッセージが込められていた。

 

 三年の時。池袋で「円丈最初で最後の古典独演会」が開かれた(以前もブログに掲載)。円丈師匠は当時は古典はやらない時期だった。私は観に行って驚いた。「突き落とし」「茶の湯」古典の内容は変えずに見事な大爆笑を巻き起こしていた。ゲストで出た米助師匠が「私も古典を…」と「平林」をやったのも鮮明に覚えている(米助師匠もこの時期古典はあまりやっていなかった)。

 ちなみに米助師匠のラジオを担当した時。この時観ていたことを米助師匠にお伝えした。しかも、米助師匠が当時前座の昇太さん「昇八は良いよ〜!絶対売れる!他の奴と全然違う!」と先輩を褒めてくれたのが嬉しかった。

 

 噺は戻るが…それまで私は「新作はちょっと…」と思い小三治師匠のテープばかり聞いていたが…。この時の円丈師匠が衝撃的で「新作が好きになった」。

 

 この後寄席で見た「悲しみは埼玉に向けて…」が体に染みた。今まで楽にやる寄席の漫談ネタと思っていたのだが「奥が深く思えた」。人間見方が変わると響くツボも変わることを知った。

 

 静岡に帰省した時。浜松の映画館で円丈独演会があったので行ってみた。「ウンチの大人と子供の小咄」に驚いた。

 ボットン便所の中、「大きな大人のウンチ」の上に「小さな子供のウンチ」が落ちてきて大人が「うわ!汚ねえな!どけ〜!」などと言う。笑いの作り方が斬新だ。

 

 先輩が学内の落語会で円丈師匠の「ラーメン屋の決闘」をやった時。教室のガラスが割れるのでは?と思える爆笑を体感した。「何だ!このうけ方は?」

 まるで全盛期のツービートの様なうけ方だった。このネタが「円丈師匠のネタ」だと知って、さらに驚いた。先輩は演じ方を自分用に変えていたので円丈色がなかったのだ。その先輩はもちろん切奴さんだ。

 

 この先輩は後に「円丈チルドレン」と言われ…。新作落語トップランナーと成った。

 

 二代目・円丈師匠!おめでとうございます(面識はありませんが…)。