東海大学落語研究部の先輩達は、皆、寄席文字、三味線、太鼓が出来た。私の様なダメ部員は何も出来なかったが、各代にスペシャリストが居て行事の時は腕を振るうのだ。
新入生勧誘や落語会の看板、落語会のめくり、ホール落語のパンフレット、そして、夏合宿の最終日に開かれる「落研オリンピック」の表彰状も寄席文字担当の先輩が徹夜で書いていた。
シャレの大会とはいえ、「マラソン」「卓球」「バドミントン」「岩石投げ」等、大会が終わらないと入賞者の名前を入れられない。
つまり、寄席文字班の先輩は一週間の合宿で疲れ切った状態で深夜に表彰状を書くのだ。
下に載せられた写真は、我が家から発見された40年以上前の賞状である。
受賞者は一年生の切奴さん(春風亭昇太師匠)マラソン優勝。寄席文字を書いたのは三年生の委員長・獅子頭(柳家一九師匠)さんである。
今見て驚くのは、丁寧に書かれていることだ。四年後の私の代の寄席文字担当など、走り書きの汚い字で書いていたが、この賞状をみると、丁寧で字が上手い。
桂竹丸師匠の話では、獅子頭さんは当時「アマチュア落語関東一と言われていた」そうだ。演技に拘る先輩は、やはり、寄席文字にも拘っていたのだと思う。
現在も絵手紙で有名な師匠だけに、バランスの良さやデザイン的なセンスを感じる。
合宿では部員全員に一枚は賞状を授与する。「正座がつらかったで賞」「先輩に怒られて辛かったで賞」など、スポーツで活躍できない者には、合宿中の本人の出来事に賞をあげるのだ。
その為、賞状は40~50枚も書かなくてはいけないのだ。この作業は殺人的である。
これから、四年後の私が三年の時の夏合宿では、寄席文字担当の委員長・我裸門(ガラモン)から泣きが入った。
「間に合わないから、黒舟も書けよ!」
私は寄席文字担当ではないが、ヘタクソながらそれっぽい字が書けたので手伝うことになってしまった。
翌日、私のヘタクソな賞状を貰った後輩達は…さぞかし喜べなかったことだろう。後輩は文句が言えないが、過去の賞状との違いは一目で分かる。
今日、我が家で発見された下の賞状は字が上手いので保存されていたのだろう?
多分、私の書いたヘタクソな賞状は誰も保存していないだろう。もし、持っている後輩が居たら、教えて欲しい。
年代的には、昭和57年当時二年の独尻、一団楽、珍笑、扇平、雷念、丈治、ぽてと。一年生の太己、朝陳、あたりが持っているかもしれない。
しかし、半分は我裸門の字なので「まあまあ見れる」。「何だ!これ、超ヘタクソだな~!」と思ったら、私の字である。
もし有ったら、どれだけヘタだったか確かめてみたいものだ。
ちなみに、切奴さんの落研幹部選挙の時の立候補証明書も発見された。選挙管理委員長の名は頭下位亭夕菜と書かれている。懐かしすぎて、もう捨てられない。
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