人は赤ちゃんの頃の記憶が無い。私もオシメの感覚やガラガラであやされた記憶は皆無である。
個人差はあるが人の記憶は幼稚園ぐらいからだと思う。私の一番古い記憶は、炎を持った男が走る祭りを父親に肩馬されて見た記憶だ。しかし、これはうろ覚えで夢かと思っていた。子供の頃、父親に聞くと「多分、それは東京オリンピックの聖火ランナーを観に行ったんだ」と言う。
前回の東京オリンピックの聖火は私の故郷・静岡県磐田市も通過したようである。
これは、三才の記憶である。
この記憶を除くと、しっかりした記憶は五歳。自宅の庭にある蟻の巣を見つめながら「明日から幼稚園か…。嫌だなあ!」と涙がこぼれたのが最初の記憶である。
私は集団で何かをやらされるのが苦手だ。幼稚園に入るのは軍隊の召集令状が来たのと同じ感覚で受け止めていた。
さらに、勉強が嫌だった。幼稚園では勉強はないが小学校と繋がるスタイルは強制収容所の様に重い空気を感じていた。
他の子供達は「幼稚園に行くのが楽しみ!」と言っていたが…。私にはまったく理解できない。
家でテレビを見て、「鉄腕アトム」や「鉄人二十八号」の漫画を繰り返し読む今までの生活が幸せだったからだ。同じ「鉄腕アトム」を見ても日によって感覚が変わり、原作にはないバックストーリーを考えて一人ニヤニヤする(字は読めないので絵で想像していた・自分の名前だけ「ひらがな」で書けたが)。
そんな生活が好きだったのだ。
蟻の巣を眺めながら、ただ働かされている蟻を見て、明日からの自分を重ね合わせていたように思う。
「嫌だ! 学校なんて! 性格の悪い奴らが居るに違いない」
テレビではよく「受験戦争」の話題をやっていた。それを見た私は、地獄絵図にしか見えなかったのだ。本当は勉強は分かると面白いのだが、五歳の私には理解できなかった。
幼稚園に行くと、私が思った通りの強制収容所に見えた。私が本当のことを言っても先生(保母さんを先生と呼んでいた)は「嘘をつきなさい」と殴るのだ。
先生は私が「給食のパンを食べずに机に入れている」と言う。私はそんなことはしていない。私が否定すると「嘘をいいなさい!」と私の机の中に手を入れた。「これは、何?」。何と!干からびたパンがで出来た。
私は殴られた。私はパンを机に等入れていない。
翌日。給食の時。また、先生が「机を見せなさい」と言う。先生が見ると、また、パンが出て来た。またも、こっぴどく怒られた。
「何故大人は本当の事を言っても信じないのだろう?」と不思議だった。
翌日。また、先生が私の所に近づくと、私の横からパンを机に入れる手が見えた! 「あっ!こいつだ!」。それは、同じクラスのKだった。
今度は先生も、その瞬間を見ていた。私は叫んだ!「ほら、見ろ! こいつが入れてたんだろうが!」。
先生は言った「小林君! 言葉使いが汚いよ!」
(心の声)「こらこら!そっちじゃないだろう…。俺の連日の濡れ衣をどうしてくれるんだ!」
しかも、先生は驚きの行動に出た。Kを怒らなかったのだ。そして、私に一言も謝らなかったのだ。
「なんだ!こいつら!平等って何なんだ!」
いたずらっ子のKは父が学校の先生で母はピアノの先生という、教育に五月蠅い家庭。先生にもプレッシャーをかけていたのだろう。
私の父は専売公社勤め。親はお人良しで先生に文句などは言えない性格だ。
今思うと、Kは自分でパンを入れておきながら、先生に「小林君はパンを食べず机に入れている」と告げ口していたと思われる。そうでないと、先生が私を疑う筈がないのだ。
まったく酷い性格の男だ。
Kは頭が良く、その後。小学校、中学校と優秀な成績だったが、授業を聞かない、お年寄りの先生Iをバカにして邪魔をする生徒として有名だった(この先生は私の親戚。一族で被害を受けたことになる)。
授業中、遊んでいるのに先生が指すと、スラスラと正解を答えてしまう。先生も成績がいいので許してしまう。そんな男だった。
聞くと彼は、日曜に一週間分の勉強を親に教わって、授業は遊んでいることが分かった。これは大変な頭脳と集中力だが、他の生徒にとっては迷惑だ。
数年前。中学の同級生と飲んだ時。Kが亡くなったと聞いた。
懐かしい様な、悔しい様な、不思議な感覚に見舞われた。
大人になってKも変わった筈である。私は中学以来会っていないが、今、会ってあの時のことを聞いてみたかった。
今の私なら、パンを机に入れられて泣くこともない(当たり前だ!)。むしろ、私が突っ込みを入れて楽しい会話になるだろう。
できればお葬式に行って、棺にパンの残りを入れたかった。おっと!これは、実際には行ってもやりませんが…。
もう、同級生が亡くなる年齢になったのだ。昔の知り合いに早めに会っておいた方が良いみたいだ。
人生最後の記憶は何になるのだろうか?
おいおい! これじゃあ終活だよ!