放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

昔の放送作家の先生達は何故怖かったのか?!

 私が放送作家の弟子になった23歳の時。当時、三十才中盤の作家先生は大先生だった。会議でも偉そうにしていたし、プロデューサーにもタメ口で「〇〇ちゃん!元気なの?」などと言っていた。

 

 ベンツやBMW。中にはホルシェ911のオープンやジャガーのオープンに乗る30代の作家が居た。

 

 当然。弟子や後輩に当たりがキツイ。今ならパワハラで訴えられる案件が毎日あった。

 それだけ、皆さんは若くして大先生だったのだ。この頃(35年程前)の三十代の先生達はテレビにも出演する方が多く、裏方なのに喋りが面白かった。

 

 この大先生達はギャラも高かったと聞いていた。しかし、こんなことがあった。

 私が30代中盤頃。ある地方の番組で新番組の時。キャリアから言うと平均的な額で「ギャラの値上げ」をお願いしたことがある。

 するとプロデューサーの答えは「今、この番組で一番上のT先生にもそんなには払っていないんで…。少し上げて〇〇では?」と言われてしまった。

 T先生は学生時代からコントの天才と言われた伝説の人だ。私が東京で聞いた噂では、この先生は莫大なギャラをとっていた。

 この手の大御所は、番組の予算によってギャラも変えていたのかも知れない。

 私は地方も東京も同じ感覚で交渉していた。何も知らずに偉そうなことを言ってしまった形である。

 

 T先生は穏やかだが圧倒的な発言力と威厳があり、皆が羨望の目で見るスーパースターだ。

 

 今の自分を思うと、その時の大先生達より年上になってしまった。しかし、威厳も存在感も大先生度も、二十代から変わっていない。

 車は国産車(今ならポルシェも買えるが興味が湧かない)。住居は賃貸。靴下はユニクロだ。

 

 私の師匠Мは、三十代の頃から60万円のコートを買って「これを着て、下はジーパン!これが格好いいんだよ!」と高級ベンツに乗っていた。しかも、コートは半年も着なかった様だ。ベンツの買い替えも頻繁にしていた気がする。ロレックスなどは毎月別の物をつけていたし、意味もなくモンブランの万年筆で原稿を書き。

 「字が汚いから」と、弟子の女性にシャープペンシルで正書させていた。

 なんと効率の悪いルーティーンである。

 そんな無駄が出来る程儲けていたのだろうが…。私には理解できなかった。

 

 今、大活躍している私の同世代から少し下の世代の放送作家を見ると…。大変な年収をあげている皆さんが(金額は憶測だが…)、昔の先生の様に威張っていないことに気づく。

 「威厳のある大先生」の時代は確実に終わっている。今は「仕事は出来る」が「感じの良い」「和気あいあい」「庶民派」の皆さんが主流なのだ。

 

 これは、激しく熱かった「団塊の世代」と「我々の無気力世代」との差なのかもしれない。

 

 そう言えば、落語の世界も春風亭昇太師匠が落語芸術協会の会長になる時代である。「威厳」「怖さ」「圧力」の時代は終わった様だ(本当は怖いとの噂もあるが…)。

 

 みんな気さくで みんないい!…みつお、もどき!

 

 

 

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