三十年程前。私が若手放送作家の頃のことだ。
渋谷の「東横落語会」か「東宝名人会」だと思うが…。立川談志師匠が主任(とり)で「大工調べ」をやるという。
当時、談志師匠の高座はトークが多く、古典落語をネタ出しして演じるのは珍しいケースだった(独演会「談志ひとり会」ではやっていたが、ネタ出しはしていない)。
私はチケットを二枚確保して、事務所の後輩・斎藤君と観に行くことにした(斎藤振一郎君は、後に日本一の野球ヲタクとなる男。ブログを遡ってお読み下さい)。
斎藤君は日大芸術学部の落研出身の放送作家だが、落語はあまり好きでなく、クラブのOBの映画監督・森田芳光さんと放送作家・高田文夫さんに憧れて入部していた。
会場に入ると…。前座さんが始めたところだった。すると、斎藤君がいきなり前座さんに手を振った!
「あっ! 〇〇〇さ~ん!」会場中がこちらを振り返る。
私は驚いて止めた!
「こら、落語の最中に大声を出すな!」
「今、出てるの僕の落研の先輩なんです!あああ~!」
まだ手を振っている。
斎藤君はピュア過ぎて、時として常識はずれの行動に出る男である。何とか沈めて前座さんの落語「道灌」を観た。
リズムが良く流れる様な語りで、上手い! 前座とは思えない技量だった。
この前座さんは、現在の立川志らく師匠である。談志師匠が主任なので一門の弟子が前座を務めたのだろう。
実はこの日、私は他に誰が出たかを憶えていない。それほど、談志師匠「大工調べ」だけを目当てにしていたのだ。
いよいよ、主任の談志師匠が登場すると…いきなり…。
「今日、『大工調べ』さらってみたんだけど…うう~ん!…。今日、悪いけど、やるのやめた!」
ドヒャ~! 何と! 何と! 掟破りの「主任・ネタ出し・演技拒否」。四十分程のトークをして去って行った。
その数年後。私は何故か志木市民会館(多分)の談志独演会のチケットを取った。普段は埼玉・千葉あたりの落語会には行かない私だが、何故か気まぐれで行こうと思ったのだ。
その日。一席目はいつもの様にトークを一時間。そして、二席目…。
やったのは「大工調べ」だった。私は自分の勘に「俺、もってる」と驚いた!
枕もたっぷりで一時間やったと思う。
余韻に浸りながら、帰ろうとするとロビーが人だかりである。争って客が何かを買っている。見ると板に談志師匠が直筆の言葉を書いて落款を押したものだ。
板によって言葉は違う。板の大きさ、形もまったく違う。これは、いったい何だ!
書かれた言葉は「黙って食え!」「バカは隣の火事より怖い」「半分あればいい」「状況判断の出来ない奴をバカという」などの名言だ。全て直筆の筆で書かれている。
販売料金は三千円だったが、飛ぶように売れている。
ここで思ったのだが、いつもの独演会だと談志師匠はロビーに出て、書籍を買った人にサインをするのだが、今日は師匠の姿が見えない。
書籍を売る代わりに板を売ったのだろうか?
私も身を乗り出して板を見た。すると、もう三枚しか残っていない。さらに私が前に行くまでに二枚売れてしまった。
私より先に最後の一枚をとった客が目の前で「これは、いらないや!」と買うのをやめた。
その板を見ると、他の板に比べて墨が薄く、失敗作っぽい。しかも、書かれていたのは名言ではなく「何か文句あるのか この野郎」である。
さっきまで飛ぶように売れていた板だが、この最後の一枚だけは誰も買わなかった。
この時、私が思ったのは「談志師匠、一枚だけ売れ残ったら気分を害するのでは? 弟子にあたるかもしれない?」
そう思った瞬間。私はその板を買っていた。
板だけだとあじけないので、東急ハンズで額を買って、談志師匠の千社札(独演会で販売)を数枚張って作品風に仕上げた。
今では我が家のメインオブジェ、又は神棚の代わりとして大切にしている。
さらに、数年後。仕事で一緒になった立川生志師匠に、この板の事を聞いてみた。
私「あの、板はなんだったんですか? 大きさも形も違うのは何でですか?」
生志「ああ、あれは近所の仏壇屋が捨てた廃材です。拾ってきて言葉書いてるんですよ!」
なる程。板の大きさ、形が違うわけである。逆に言うと、世界に同じものは一枚しかないことになる。
そう思うと、買っておいて良かったと思う私である。
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