放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

視力検査は本当にこれで良いのか?!

 私の視力は、ここ20年で落ちた。40才位まで左右とも1.2か1.5だったが、映像素材にナレーションを付ける原稿の仕事をしたら、急激に落ちてしまった(以前どこかで書いたと思うが…)。

 長時間。休みを入れないで映像と原稿を交互に凝視したからだと思う。視力の低下に気づいてから、30分に一度は目を休めてお茶を飲むことにしたら、それ以上悪くはならなかったが、元には戻らない。

 今は、0.8か0.6である。単行本を読むには眼鏡が必要だ。乱視も遠視も近視も混ざっている。

 しかし、健康診断の視力検査ではここ二年の私の視力は、二年前が1.5。去年が1.2である。

 これは、目が良くなった訳ではない。なんとなく、〇の切れている方向を言うと当たってしまうのだ。

 

 私は正直に「見えてませんが、どちらかと言うと右」「当たってます」「いいんですか?見えてませんよ!次はなんとなく下!」「当たってます」。

 こんな会話をしているうちに、1.5に成ってしまうのだ。実は去年の1.5も勘で分かったのだが、少し遠慮して「分かりません」と言っておいた。そこで1.2と成った。

 

 私が不安になって「切れ目は見えてなくて、なんとなく、分かるんですが…いいんですか?」と言うと…。「ハイ!分かるならそれが視力です」「本読めませんよ!」「でも、分かるんだから1.2でいいです」

 

 視力検査の方法って根本的に見直す必要があるのではないだろうか?

 

 私はマークシートの試験で勘がさえて合格した学生の様なものだ。しかし、眼鏡をかけてラジオに投稿されたメールを選んでいる。14ポイント以下の文字は眼鏡がいるのだ。

 公式の検査が間違っているという世の中の矛盾。他にも、学校や会社で同様のことが起きていないのだろうか?

 

 学生時代のエピソードを思い出した。いや、あくまでとある架空の大学の試験での出来事としておこう。我々が入手した問題集がそのまま試験に出題されたことがある。これは、出版された問題集で答えも記されている。

 友達が「これが、出るかも知れない…」というので、半信半疑でコピーをもらっていた。そいつの話によると、試験の担当教授が試験問題を作る時、その本をコピーしていたというのだ。しかも、この教科は一年目は三分の二が落ちると言われる難関である。

 まったくの眉唾だが、私は藁にもすがる思いだ。その科目はマークシートの試験だったので、ダメ元で目だけ通しておいた。

 

 すると、そっくりそのまま、まったく同じ問題が試験に出題された。私は内容は分からないが、マークシートなので「確か答えは〇〇」と全て分かってしまった。コピーを入手した我々10人程は100点である。

 

 後日。試験の結果が発表されると何と!不合格D判定。あの問題集の答えは間違っていたのだろうか?

 気の強い友人が、元の本を持って講義終わりの先生を捕まえて猛抗議をした。

 「僕達は、この本で勉強したんで不合格の筈ありません。100点です」。

 すると、先生は青ざめて「そうか!調べてみる」と言って去って行った。

 

 数日後。掲示板に私たちの学生番号が張り出された。右の者たちは、コンピューターの採点ミスで不合格となったが、調べた結果。A判定に訂正します。

 

 視力検査の思い出で、へんなことを思い出してしまった。今年の検査は、また、1.5をとるつもりだ。