広島への原爆投下から、今日8月6日で76年になるそうだ。
そこで、大正15年生まれの父親が語った、戦争の話を思い出した。
大正15年生まれは、兵隊に自分から志願しなければ、出兵直前に終戦になった年代である。父親も、ギリギリ戦地には行っていない。
学校のでは成績トップで体育もトップの者だけがゼロ戦のパイロット候補生になったそうだ。
そして、このエリート達は帰っては来なかった。
父より少し先輩のことなので、特攻の可能性も高い。終戦間際はベテランパイロットが戦死した為、若手を急増していたらしい。多分、日本全国で同じことが行われたのだろう。
父の話では、彼らはお医者さんや議員になった者たちより優秀だったそうだ。生きていれば国の発展に貢献した人材だった筈である。
また、父親の話でチョット信じられないものがあった。
それは、空襲の時。米軍が万年筆をバラまいた。それを拾うと、爆発して指が飛んだと言うのだ。父親は実際に見たわけではないが「そんな爆弾があるから、米軍の撒いた物資は拾うな!」と真面目に伝えられていたそうだ。
そんなセコイ爆弾は聞いたことが無い。 しかも、空襲の爆撃機はるか上空の筈だ。そんなことがあるだろうか?
多分、デマのウワサが広がったものと思われる。もし、あったとすれば、米兵が個人的に作った爆弾である。
ヒョットすると善意で物資を落としてくれた米兵がいて「拾うな!」とデマが広がったのかも知れない。
以前、母親の戦争の話を記したが…。それも、夢と現実が分からなくなっている感じがした。
父の話も、そんな感じなのかも知れない。
昔。私は父に「終戦ギリギリに赤紙は来たの?」と聞いたことがある。すると父は「赤紙は二十歳で初めて徴兵される人には来ないよ!赤紙が来るのは二度目の徴兵なんだよ!」
私は驚いた!映画やドラマでは初めての若者に「赤紙」が届くシーンを見ているからだ。すると、あれは、ドラマ上の演出なのだろうか?
父の話では、二十歳になって自動的に兵隊に行く時は、普通の色の紙だそうだ。
年寄りの話なので、あてにはならないが…。私は「衝撃的に驚いた」ものだ。
もし、間違った情報だったらスイマセン。皆さん、ネットの書き込みは「話半分」。疑問はご自分でお調べください。
今調べたら、紙の色は色々あったようだ。
父の話も信じられないが…。こちらの話も信じられないけど実話です。私にとっては戦場みたいな体験でした。
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