放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

東京五輪の柔道をみて、ふと、思い出す!

 東京五輪の柔道で、高藤選手と対戦した相手が、ベアハッグの様に両手で胴を抱えて反則負けした。

 ルールは日々変化している様だ。相手の選手は、このルールを知らなかった様に思えた。

 

 私は中学で柔道部に入ったが(昭和49年)、当時は、今とルールがかなり違っていた。田舎の中学ではローカルルールも存在していた様だが、生徒には分からない。先生の言うことを信じるしかなかった。

 

 私が一年の時は、まだ「有効」「効果」はなく、「一本」と「技有り」だけの戦いだった。しかも、今の「一本」より基準は厳しく、ハシッ!と決まらないと相手の体が宙に浮いても「技有り」となる。そこで、試合では受け身を取らなかった。危険だとは思うが、受け身をとってバシッ!と音を出すと「技り」が「一本」になってしまうのだ。音もなくダラリと投げられたフリをすれば「技有り」。運が良ければ「無効」となる。

 

 現在の国際ルールでは地面を転がる様に相手の肩をつけても「一本」になる。当時は、これは何のポイントにもならなかった(我が中学のローカルルールかも知れないが…)ただ、寝技に引き込んだだけだ。。世界レベルだと決着がつかないのでポイントを重視したのだろう。

 

 昔は明確なルールが少なかったせいか、審判員の好みによる「判定」も多かった(私の地方では)。

 

 初段の試験の会場で、どこかの高校生が相手を肩車で担ぎ上げて、ガッツポーズをしているのを見たことがある。

 それを見た審判は…。「それがどうした?はやく、落とせ!」言った。その選手はあわてて、相手を下にダラリと落とした。「技有り」ぐらいある落とし方だった。

 すると審判は意地悪な言い方で「はい!ダメ~!」と、何もとらなかった。

 

 これは、多分。肩車をした選手の学校では相手を持ち上げたら「一本」というローカルルールで練習していたのだと思う。

 選手は、相手を持ち上げたのに、一本!と言わないから不満な顔をした。それを見て、審判は印象が悪いと思った。チョット意地悪に「落としてみろ!」と言ったが、バシッ!と決まらなかったので、何も取らなかった。

 

 今日、ベアハッグの反則で負けた外国の選手も同じ感覚だった様な気がする。

 

 あくまで、私の憶測である…。

 

 ちなみに、水谷準・伊藤美麻美誠・ペアが一回戦を突破した。私の地元、静岡県磐田市のペアである。この二人は幼いころから世界ルールでやっていた様だ!

 当たり前である!

 

 

 

静岡県磐田市出身・初の放送作家が大学時代に体験した、大馬鹿ドキュメント!私より後輩で有名な放送作家がいる様だが…。初めてなったのは私である(脚本家は除く)。

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