放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

磐田市立城山中学・柔道部時代の初段試験!

 昭和51年頃。私は静岡県磐田市立城山中学校の柔道部の三年生だった。くどい様だが、この中学のはるか後輩に女優の長澤まさみさんがいる。

 

 身長169・9センチ、体重49キロとガリガリの私は、無差別級しかない中学柔道では、常に大きな相手と不利な戦いをしていた。

 そのため、逃げ回り、相手が無理に攻めた時に返しを入れたり、誰もやらない奇襲技でポイントをとったりと、卑怯極まりない海外スタイルの柔道をしていた。

 

 そんな私は、無謀にも柔道の初段の試験に挑んでいた。有段者の試験は中学ではやらない関節技と閉め技がある。私は経験がないのでやらないが、相手はいきなり首を絞めたり、アントニオ猪木でお馴染みの「腕ひしぎ逆十字」をかけたりするのだ。

 

 この試験に何度か通っていると、顧問の先生が私に言った。

 

 「お前、何回か通ってポイントとってるから、明日、三人倒せば初段とれるぞ」

 「えっ! そうなんですか?」

 

 柔道の初段の試験は、一度に六人続けて倒せば(六人抜き)もらえるのだが、マイルの様に数回に分けて一人ずつ倒してもポイントが溜って行くらしい。

 

 私は本番に備えて、今までより引手を強く引く「体落とし」を使うことにした。ある日、意識して思いっきり左の引手に力を入れると相手が投げられることに気づいたのだ。

 これは、当たり前の基本だが、三年になるまで私は気づかなかった。いつも、なんとなくかけて失敗していたのだ。

 普段は背負い投げがメインだが、初段試験では、ひらめきで新技を試すことにした。

 

 試験の初戦。組んだ瞬間に強く引く「体落とし」をかけると…。体重の軽い私は、自分が引っ張った分だけ体制を崩されて後ろに倒れそうになった。相手は投げられまいと後ろに強く引いたのだ。

 これはまずいと、とっさに反転して相手に足をかけて後ろに大外掛け風に返した。相手は逃げたので、片足でケンケンと追って行って、もう一度足をかけると、大きく倒れた(山下泰裕さんがやるケンケン内股の大外バージョンだ)。

 審判「技あり!」の声がした。

 

 この時は、投げた私の方が驚いてしまった。初めてかけた技だし、後ろに崩れた時にアドリブで後ろに倒したのは初めてだったからだ(前に投げるフリをして後ろに倒すことはあったが)。

 

 相手も驚いたのだろう。次に背負い投げをすると簡単に一本となった。相手は、また、後ろの技が来ると思って、体重を前にかけてきたのだ。さっきの技が伏線となって大きな相手を投げてしまったのだ。

 

 次の相手は、強く引く「体落とし」で簡単に「技あり」。そのまま押さえ込んで勝ってしまった。

 

 三人目は、一番弱そうな相手だったが、いきなり腕を取られ「腕ひしぎ逆十字」で一本とられてしまった。

 

 私はこの時。引手の左腕を負傷してしまった。関節で腕がどす黒く血でにじんでいる。骨は大丈夫だが筋肉を切っているようだ。

 引き手が弱く利かなくなっていた。

 

 数分後。二戦目の相手とは引手が弱いため、決め手の技が出ずに引き分けてしまった。

 「三人倒せば初段がとれる」と言われていたので、二勝一分け一敗では、ガッカリである。

 

 その後。経験の為に筆記試験も受けたのだが…。問題集も持っていない私には何も分からない。選択問題なので適当に書いて出したが酷い点のはずだ。

 

 しかし、昇段試験の結果が発表さると、私の名前が呼ばれた。一勝たりない筈だが、勝った内容が良かったことと、強い相手を投げたこと、そして、筆記試験は奇跡的に満点だったという(運の無駄遣いだ!)。

 

 後日。私は中学の朝礼を楽しみにしていた。何故なら柔道、剣道の初段になると朝礼で、壇上に上がり校長先生から証明書を渡してもらえるからだ。

 

 しかし、何か月たっても朝礼で私の証明書授与はなかった。すると、ある日、柔道部の同級生・O君が私のことろに初段の証明書を持ってきた。

 聞くと、彼が初段の試験に行ったら「同じ中学だから渡して」と、主催者に言われたという。

 そういうものは、直接郵送されるのかと思っていたので意外だった。私はそのまま持ち帰ったので、朝礼の授与はないまま卒業となった。

 

 これは、本当に今でも不思議である。もう一人の初段・海野君は朝礼で校長から授与されているし、剣道部の初段も同じである。

 何故私だけ授与されなかったのだろう?

 

 私が卒業してから、中学校に行くと校舎と校舎の通路に卒業生の有段者の名前が木札でかけられていた。それを見ると…。何と! 私の名前だけない。学校側は私の初段を認知していなかったのだ。

 

 今思うと、他の者は初段の証明書が顧問の先生に渡り、そこから校長に渡り「授与」となっている様だ。

 何故か私の時だけ、同級生が貰ってきたので、その手順がなかったのだ。

 

 何故なのか未だに不明のままである。郵送し忘れた関係者があわてて同級生に渡したのかもしれない。

 または、何も分からず筆記百点をとったバチかもしれない。

 

 しかし、顧問のO先生は私の木札がないことを何故学校側に言ってくれなかったのだろう? 気づかない筈はないのだが…。何か大人の忖度があったのか? 謎は深まるばかりだ!

 

 城山中学の通路には今も有段者の木札はあるのだろうか? 学校関係者の皆さん、私の名前抜けてますよ! 

 

 

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