昭和五十五年、私が一年生部員だった頃。東海大学落語研究部の部会で委員長の二代目・甘奈豆さん(おそ松より改名)が宣言した。
「本日は、OBの柳家小まめさんから、噺家の手ぬぐいを頂きました。これより、オークションを行います」
「おお~!」
先輩達が沸いた!
先輩に頂いた噺家の手ぬぐいを売って、部費にすると言うのだ。何とも商売の上手い先輩達である。
オークションは、二つ目の手ぬぐいから始まり、三百円から五百円で売られていた。これは、主に一年と二年が高座で使う為に買っていた。
それが、いよいよ真打になるとオークションの空気が変わった。三年生以上が本気になって好きな噺家の手ぬぐいを狙っていたからだ。
目玉は「立川談志」「柳家小三治」「三遊亭円丈」「金原亭馬生」の各師匠である。
金額はうろ覚えだが、談志師匠の手ぬぐいは五千円ぐらいまで上がったように思う。
これは確か、司会の甘奈豆さんが買ったと記憶している。
さらに、四年の平頭(へいず)さんが
「頼む! 黙って俺に小三治師匠をくれ!」と五千円を出した。四年生の特権で落札となった。
そして、円丈師匠の手ぬぐいとなると、目の色が変わったのは三年の切奴(きりど・現・春風亭昇太)さんである。当時、切奴さんは円丈師匠の高座ばかり追いかけている「実験落語」ファンだった。
そこで、人の悪い同期達がどんどんと値をつり上げたのだ。
同期「あいつ、絶対買うからな…。七千円」
切奴「うう…。八千円!」
後輩「八千五百円!」
切奴「ううう…。お前、円丈師匠のファンじゃね~だろう?…九千円!」
司会者「売った~!」
切奴「く~~! 明日、飯食えねえよ~!」
同期一同「はまり! はまり! がはははは~!」
そして、次は馬生師匠の手ぬぐいとなった。三年生に二十八号さんという方が居たのだが、この先輩は金原亭馬生の大ファン。馬生の十八番「親子酒」をネタに持っていた先輩である。
絶対買うぞという気迫があふれ、万札を握りしめていたのだ!
二十八号「よし! 三千円!」
同期「五千円!」
二十八号「六千円!」
私「七千円!」
二十八号「こら、黒舟! お前、馬生ファンじゃね~だろう! ちくしょ~う! 八千円!」
切奴「一万円!」切奴さんは完全に仕返しである。
二十八号「うううううう~!一万五千円!」
二十八号さんが、ついに、キレた! 誰にも渡さないぞ! どうだ! と言う金額を提示したのだ。
司会「売った~!」
一同「(爆笑)大ハマリ!」
二十八号さんは、翌日、大学近所の学生金融に駆け込んだとの噂がある。名前の通り、オークションの鉄人としてクラブに名をのこした。
もし、今の落研の後輩が「手ぬぐいオークション」をしたらどうなるだろう? 春風亭一之輔の手ぬぐいはいくらで売れるのだろうか?
うちにある手ぬぐいを提供してやってみたい気もする。
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