放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

桶田敬太郎君が突然➂

 元・フォークダンスDE成子坂の敬太郎君が突然言った。「船買いませんか?」「えっ!船は高いだろう?」「ネットで安い中古見つけました!」。

 

 聞くと、車の屋根に積んで移動できる船を個人で売りに出している人が居て、三万円ぐらいだという。面白そうなので、買うことにした。何故なら、私は断らない男だからだ。

 

 売主は静岡県だという。我々は川崎市だったので、まあまあの遠出である。とりあえず現地まで取りに行くことにした。当日の朝、見ると敬太郎君の車の天井には船を積むための金属の器具が付けられていた。

 観光がてら早朝に出発して静岡市へと向かった。車中暇なこともあって敬太郎が言った「最近、テレビは面白いですか?」「えっ! 爆笑問題とか面白いよ!」チョット意地悪な返事をしてしまった。昔の仲間の名前を言ってしまったのだ。

 

 「そうですか、僕は、今、昔のドリフのVTRを初めて見てるんですけど…。ドリフが一番面白いですね?」

 

 驚いた! 敬太郎君は子供の頃、テレビのお笑いはほとんど見ていないのだ。とんねるずも、さんまさんも、タケシさんも、そんな真剣に見たことがないと言うのだ。

 彼の考えるギャグが、斬新で誰も見たことのないものだったことに納得がいった瞬間だ。この人、誰のマネもしていない。子供の頃から、自分が面白いと思うものだけを追求していたのだ。世の中には天才が居るものだ。逆に相方だった渚君は、芸人さん大好きでお笑い番組を良く見ている少年だった。この真逆の組み合わせが絶妙にかみあっていたのであろう。

 

 今、ドリフのVTRを見た敬太郎君は、作り込んだ笑いの面白さに魅了されていると言う。

 

 敬太郎君の中学、高校時代の話を聞くと、オリジナルのギャグテープを製作して学校中の話題となり、隣の学校にまでそのテープが出回ったそうである。また、運動会のスタートの音と同時に「後ろに進む」と言うギャグをやったという。これは、明石家さんまさんの学生時代の逸話として有名である。そこで「さんまさんのパロディーやったの?」と聞くと「えっ! さんまさんがやったのは知りませんでした」と答えた。

 知らずに「さんま」さんと同じギャグを考え付くとは、やはり天才だ。

 

 静岡市の売主の家に付いた。船は二人なら車に乗せられる重さで、四人ぐらいは乗れるものだった。大きさの割には軽いと感じた。

 

 しかし、持ち帰ると問題が…。あまりに大きくて玄関の前には置けないし、まして部屋にも置けない。とりあえず、敬太郎君の庭にころがした(庭付の物件に住んでいた)。

 数日後、玄関前を見ると、敬太郎君が大工仕事をしている。あの船を横にして立てて玄関前に収納できるシステムを手作りしていたのだ。木枠に船を横にして乗せると、下に滑車が付いていて、玄関前に転がして収納できるのだ。

 ビニールパイプなどを使って、釣り竿を立てる場所まで取り付けられていた。驚きの想像力だ。絶対、置き場が無いと思われたスペースにピタリとはまってしまった。

 

 この船にエンジンを付け海釣りに出かけた。移動が簡単で快適である。葉山の海に浮かべて、カワハギ、アジ、ソーダガツオ、カサゴ、ワガシ、サバ、など。意外にも釣れるのである。

 ある時、沖に出過ぎて漁師さんに「あんたら、勇気あるね~! この船じゃあ、俺達は怖くてここまでこれないよ!」と言われて、怖くなってすぐ帰ったこともある。

 

 何回か釣りをした後、船を修理することになった。エンジンの位置をもう少し下にすると速度が上がることが分かったからだ。知り合いに頼んで、船の後ろを電動ノコで切ってもらった。すると、驚いた! 「この船、中身は段ボールですよ!」と言われた。

 どおりで軽い筈である。しかし、段ボールをコーティングした船で我々は十回以上海の深いところまで出ていたのだ。

 

 しかし、海での事故どころか、危ないことはまったく無かった。敬太郎の運の強さを感じたものである。

 

 敬太郎君の突然は「何か面白いことが起こる」。まったく、魅力のある男だった。

 

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