放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

数分の停電は停電と記録されないのか?!

 昨夜。夜中に激しい雷が鳴った。神奈川県川崎市〇〇〇でのことだ。何回も大音量のカミナリが鳴った。「サンダーバード」のオープニングの様なもの凄さだ。

 「落ちたら大変だな!」と思っていると…。バツン!と音がしてエアコンが消えた。「おっ!これは、久々の停電だ!」私はもしもの為に、電池の大光量ランタンや蝋燭を用意している。

 とりあえず、アイフォンの懐中電灯でランタンを取りに行った。すると、パチッ!電気が付いた。「おいおい!せっかく用意したのに…」

 

 電気が付いたのは嬉しいが、なんだかガッカリの私が居る。子供の頃、ワクワクした停電を少し体験したかったのだ。

 

 ネットで地元の停電を検索してみた。公式発表では「停電」はない様だ。では、あの数分は何だったのか?

 停止したのは数分だが、放送なら「放送事故」と呼ばれる長さである。

 

 数分の停電は「停電」とはカウントされないのだろうか?食べ物を落とした時「3秒以内なら拾って食べる」三秒ルールみたいなものか?

 

 そもそも、停電は職員の責任になるのだろうか?もし、停電の責任で職員が辞めることになったら「停電(定年)退職」だろうか?

 

 とりあえず、停電がパソコンの電源を切っている時で良かった。

 

 

 

 停電の用意など一切しなかった学生時代。東海大相模野球部が練習する打球音が聞こえる風呂なしアパートは、停電の記憶がなかった。

 クラブが面白過ぎて、あまり部屋には帰らなかったなー。酔っぱらって寝るだけの場所だった。夜に落語の練習したら大家さんに「うるさい!」怒られた。その頃のお話です。

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故郷・磐田市を思う…。

 私は静岡県磐田市出身である。サッカーのジュビロ磐田でお馴染みの街だ。しかし、45年程前の私の中学にサッカー部はなく、サッカー不毛の地だった。

 ジュビロと共にサッカーが盛んになったにわかサッカー街である。サッカーの老舗・藤枝や清水には少しコンプレックスがある(私だけだが…)。

 

 お葬式などで田舎へ帰ると…そんな、磐田のことを色々と考える。

 

 私は40年前の東海大学落語研究部時代に、実家や田舎に関するネタを一切話していない。落語の枕で何故話さなかったのだろう?

 

 当時の私は、田舎の話など「面白くない」と考えていたのだ。私は「火焔太鼓」という落語をやったことがあるが、私の出身小学校・磐田北小学校は元磐田城のあった土地で、そのお城に火焔太鼓が有ったという。さらに、太鼓は浜松のお寺に寄贈され、二つのうちの一つが紛失しているのだ。つまり、市に出された火焔太鼓は盗まれた物だ(以前のブログにも書いた)。この情報は名人・古今亭志ん生師匠の聞き書きに記されている。

 

 何故?これを枕で言わなかったのか?(当時は知らなかったのだが…)

 

 さらに、私の生まれた磐田市見附(いわたしみつけ)は逆さから読むと「けつみしたわい」(ケツ見したわい)となる。しかも、私の自宅の番地は1564だった…。「ヒトゴロシ(人殺し)」ではないか!「けつみしたわい」で「ひとごろし」番地。自己紹介の枕にピッタリだ!

 

 今頃。気づいて痛恨の極みである。二十歳そこそこの若者は本当にマヌケである。金の鉱脈がありながら何一つ気づかず生きている。

 面白いものを見つけるセンサーが未熟なのだ(これには個人差があります)。

 

 今、大学生ならなーと!昨日、夢で思った!でも、もう落語なんかやらないよ!できないよ!自分に言い聞かせる…。

 

 

 枕のネタもなかなか考え付かなかった大学生の苦悩と葛藤!馬鹿全開の青春エッセイは猛暑の夏を涼しくするぞ!「青春!落語白書」の後輩には、脚本家・穴吹一朗君も居た!國學院の先輩には下町ロケットな脚本家・稲葉一広さんも居た。法政には歌う放送作家植竹公和先生も居た(当時の素人モノマネ・チャンピオン)。日大商経法には掛布選手のマネをする六法亭全生さんが居た(見ただけで面識なし)。青学の青山一浪(森たけしアナ)・二浪が「TVジョッキー」や「笑っていいとも」でチャンピオンになっていた…。東海の先輩達はプロレス研究部をシャレでやりながら、落語、漫才と優勝ばかりしていた。憧れたけど…。自分はその域に近づけなかった!

 来月、森さんと約40年ぶりに会います。かつてのレジェンドが今は友達か…。

そんな昔のお話!

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ユーチューブでYパ〇ダイ〇「おBちゃま」を聞いた!

 ユーチューブを見ていたら、その昔、N放送の人気番組だった「MYのヤン〇パラ〇イ〇」の音源がいくつかアップされている。

 

 たまたま聞いた「おBちゃま」のコーナーは記憶にあるものだった。

 

 「おBちゃま」のコーナーはリスナーが手紙で送る長編。お金持ちで生意気なおBちゃまと遭遇した体験を投稿するものだ。当時の人気はすさまじく、毎週、分厚い封書が100通を超えていた。ハガキならもっとくるのだが、ショート小説の様な長いストーリーを書き込むコーナーで、この数は驚異的だった。

 ちなみに、春風亭一之輔こと川上少年も「M様の怒り」や「おBちゃま」のコーナーを聴いていたという(どちらも木曜日)。

 

 何故私がそんなことを知っているかと言うと…。番組の見習い作家として、その場に居たからだ。

 私は、この大量の「おBちゃま」の投稿を全部読み、良さそうなものを3作品ほど選ぶ仕事をしていた。私が読むのが一次予選。私が選んだものを伝説のプロデューサーMさんが読んで採用作品を決定するのだ。

 

 この日。私の選んだ作品を読んだMさんが言った。「つまんないな!ほかに、いいの無いのか?」「現実味のない嘘の作品が多くて…」「チョット見せてみろ!」

 Mさんは、手紙の山の中から2~3通の封筒を選ぶと読みだした。まったくの直感で読む手紙を選んでいる。

 一通読むと「確かにつまらないな!」そして、二通目を読むと「これ、面白いじゃないか!こんなに面白いのを見逃しやがって、バカ野郎!」と怒鳴った。

 

 実は、その時の痛恨の作品がユーチューブに上がっていたのだ。

 

 その作品は、プラモデル屋に現れたおBちゃまが、買いもしないプラモデルを店でかってに作り出すというストーリーだ。私は、大学生の見習いだったが「これは、ありえない!嘘はつまらい」と判断してボツにしていた。実際、Mさんはいつも「リアリティの無いのはダメだ!ムリな作りはやめろ!」と私に言っていたのだ。真面目な私はリアリティの欠如した作品はボツにしていた。

 

 私としては、この判断ははらだたしかったが、放送を聞くと爆笑に包まれていた。ADさんもミキサーさんも爆笑しているのだ。

 くやしいがMさんの判断は正しかった。しかも、100通全部読んだ私に対してMさんは三通しか読まずに、爆笑の作品を選び出しているのだ。

 「この人は、何か神がかり的なオーラと運を持っている」と思ったものだ。

 

 「偉い人の注意事項、忠告などは、日によって変わる」ので、全部真に受けない方が良い!ということを悟った瞬間である。

 

 大御所の作家で「面白さに理由なんかないよ!感覚的に面白いことしなきゃ!」と言った人がいるが…。結局、そういうことなのかもしれない。

 時代、番組、パーソナリティ、スタッフが変われば「面白いものの基準」は変わるのである。

 

 不正解はあるが、正解などない。結局、結果オーライである。

 

 

 

 

 将来の夢も希望も野望も何もなかった頃のお話。ただ、今日を生きることしか考えていなかった学生の物語!あったのは、扇子と手ぬぐいと座布団だけ。

 お爺ちゃんの煙草の火で穴の開いた形見の着物を着て、何かにとりつかれたように話していた。余裕がなくビデオの早まわしの様に早口だった。でも、はまるとやたらと笑いが起こったのは何故だろう?かってに天才だと勘違いした。まったくの幻想でした。

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昭和57年「全日本学生落語名人位決定戦」の出番順で今気づいた!

 私は昭和57年に日本テレビで放送された、日曜ビッグスペシャル「第五回全日本学生落語名人位決定戦」に出場したのだが…(note「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語~」にも記されている)。

 

 今頃。あることに気づいてしまった。本選への出場者は11名。全国160校以上の参加(一大学三人ほどの参加)だった。まあまあの倍率で残ったことになる。

 実は、この時。東京四谷の四谷倶楽部で行われた一次予選では、今をときめくYK師匠とTS師匠も参加し「予選落ち」しているそうだ。

 

 確かに、一次予選の時。誰もウケていないのに私だけ、会場が爆発するような笑いに包まれたのを憶えている。何故私だけウケたか分からないが、適度のヘタさとパワーが学生らしかった様だ。技術的に私より上手い人は沢山居たが、皆、地味に演じてシラケテいた印象だった。

 

 予選は自分の出番が終わったらすぐに帰ったが。みんなに「君、優勝候補じゃない」と言われた。私は天狗になって帰路に就いた。

 

 収録の前日。私は明日のネタ「反対俥」を一回も練習しなかった。このネタはいつやっても出来るのと、年末にひかえた「年忘れ落語会」の主任ネタでやるネタおろし「妾馬」の練習を優先していたのだ。大きな会なので、テレビの練習など後回しにしたかったのだ。何とも思いあがった学生。完全に天狗である。これは、私の東海大学落語研究部の先輩達のマネをしていたのかも知れない。

 先輩達は「マジになるのはダサイ」「適当にやって、俺は勝っちゃうよ!シャレ!シャレ!」と言った余裕のあるスタンスだった。実は先輩達は本当は影では練習していたらしいが、バカな私は真に受けていた。

 

 この時の大会本選の出番順を記しておく。学習院(昨年二位)、立教(女性)、立正、東大(翌年二位)、法政、愛知教育、大東文化、東海(私)、中京女子大(女性)、早稲田、桃山学院(この学生は、今のタージン)。

 

 先日。同じ大会の三年前の写真を見る機会があった。前半の順番は分からないが、後半の最後が東海(S師匠)、早稲田、駒沢(T師匠)、甲南(満我)、その次は校名は不明、である。

 どうやら、予選での優勝候補は最後に続けて並べられていたらしい…。放送された本選通過者5人の内4人が後半ブロックなのだ。当日の番狂わせで前半から一人滑り込むのが番組のパターンだった様である。

 

 私の時。第五回に照らし合わせると…。予選での有力者五人に私が入っていたことになる(都合の良い解釈である)。

 実は本番の前。他の大学の参加者は私に「優勝したらおごってくださいね」とか「やっぱり、あのネタですか?」などと気を使っていたのを思い出す。

 

 実はこの時。私の順番の前の人が予選より長くやる人ばかりで、スタッフが困っていた。若いスタッフが「何で!予選と同じにやらねーんだ!困るんだよ!」と叫んでいた。それを聞いた私は「僕が短くしましょう!」と言って、倍速でやることにした。天狗になりすぎて、「スタッフを救う為に演じ方を変えても東海は勝てるよ!」とのスタンスをとってしまったのだ。

 

 結果。早すぎて、いつもよりウケなかった。それでも、ウケ方で言うと6番目か7番目に思えた。結果は、立教、大東文化、中京女子大、早稲田、桃山学院が最後に残った。昨年二位の学習院も、翌年二位の東大も私と一緒に負けている。自分をひいき目に見ると、どちらかに一年ズレて出場すれば二位や三位になれた気がする(希望的うぬぼれです)。

 

 どこかの仕事で、あの時の「学生落語」のスタッフと会ったら…。聞いてみたいものだ?「私、ヒョットして予選通過は上位でしたか?」。

 まあ、聞いても覚えている訳はないが…。

 

 

 オッサンの思い出・自慢話は若者が最も嫌うのだそうだ!となると、私は毎回「若者が最もうざいブログ」を書いていることになる。興味のある方だけ、暇つぶしにお読みください。でも、勘違いは有っても嘘やデフォルメは書いていません。もっと、当時を詳しく…。それは下より。

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山本コータローさんの思い出…

 40年ほど前。東海大学落語研究部の学生だった私は、同期の切笑君に誘われて漫画雑誌・ヤングジャンプの文化祭に出ることとなった。

 私は出る気はなかったが(以前、どこかのコラムに書いている)切笑君がかってに応募して、学生の演芸の大会に出るという。

 聞くと「ネタは無いので、考えてくれ」とのこと。何と!無責任な男だ!「断ればいいんじゃないの!」と言うと「もう、オーディション行くって言っちゃったから」と言う。仕方なく、私がネタを作ってオーディションは通過した。

 

 本選はヤングジャンプの文化祭のステージで行われるのだが、私たち二人の名前が「紐コンビ」と書かれていて驚いた。

 私達はコンビ名など考えていなかったし、聞かれなかった。紐を色々なものに見立てての一発芸だったので、かってに「紐コンビ」と名付けられたようだ。

 

 聞くと、この大会には以前は先輩の切奴(昇太師匠)さんと実志さんが漫才で出場して、女子大生の山田邦子さんと対決したという。

 ちなみに私の時は、明治大学時代の大川興行が来ていた。さらに、スターウォーズのマネをする社会人コンビ、駒沢の落研が着物を着て漫談をしていた。我々「紐コンビ」はジーパンにTシャツで、私が合い方をボロカスに突っ込む形式だ。

 

 我々、出場者が登場すると審査員の山本コータローさんが一番前に座った。私は思わず「うわ!岬巡りだ!俺達の青春が歩いてる!」と茶化して叫んでしまった。それが聞こえた様で、山本さんは嫌な顔をしていた。

 

 結果。我々二人は完敗。予選の時は笑いが起こったのだが、大川興行が大ウケした後のざわつきは静まらず。まったくウケなかった!

 

 先週。私の母親が逝去した。そして、お通夜の為に帰省するとアイフォンに山本コータローさん逝去の知らせが出ていた。

 母と山本さん。何の繋がりも無いが…。山本コータローとウイークエンドの「岬巡り」で、リコーダーを吹いていた見崎さんを思い出した。実は、見崎さんはラジオ「サンデーフリッカーズ」の初代・プロデューサーの木多さんが以前居た会社の社長なのだ。間接的に春風亭一之輔にたどり着くのだ。一之輔はこの時、ラジオを休んでいた。お葬式は土曜日。翌日、日曜のサンデーフリッカーズは春風亭昇也さんが担当した。昇也さんは昇太さんの弟子だ。ここも、少しシンクロした。

 

 私は母の強い希望で大学に進学しました(どこでもいいからとにかく行きなさい!)。大学がなければ今の仕事にはついていません。今、ラジオ番組をやっているのも母のお陰なのかも知れません。

 

 母…そして、山本さん、ご冥福をお祈りします。

 

 

 

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「まあ、俺の話を聞け!」と言う人は…

 ネット情報によると「人の話をさえぎって、俺の話をきけよ」と言う人は、幼児性がある人なのだそうだ。

 チョット、驚いた!私はこの言葉を何度も聞いているが、我々の会議でこの言葉を発するのは、超大物放送作家である。

 実は私の師匠のMも、よく他人の話をさえぎって「〇〇ちゃん!まあ、俺の話を聞けよ!」と言って相手を黙らせていた。他にも何人か記憶にあるが、共通するのは業界を代表する大先生であることだ。

 

 となると…我々、放送作家の仕事は「幼児性」が大切ということになる。

 

 実は私は人生で「俺の話をきけよ!」と言ったことが無い。自分では永遠の少年だと思っていたのでショックだ!子供の頃から、心はオッサンと判明してしまった。

 

 しかし、このネット情報は本当なのだろうか?人に言っても良いのだろうか?

 

 

 ドラマ「タイガー&ドラゴン」のテーマソングは♪~俺の話を聞け~!だったが、落語家は子供ということか?

 そんな子供に憧れた、本当の子供たちの「俺の噺」はヘタで聴けたもんじゃなかった!そんな頃のお話。

 私はタイガーでもドラゴンでもなく、イタチぐらいだった!謙遜かって?どうイタチまして!「イタチ!イタチ!イタチ・ハム子(伊達公子)」(タイガータイガーじれっタイガー風)

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視力検査は本当にこれで良いのか?!

 私の視力は、ここ20年で落ちた。40才位まで左右とも1.2か1.5だったが、映像素材にナレーションを付ける原稿の仕事をしたら、急激に落ちてしまった(以前どこかで書いたと思うが…)。

 長時間。休みを入れないで映像と原稿を交互に凝視したからだと思う。視力の低下に気づいてから、30分に一度は目を休めてお茶を飲むことにしたら、それ以上悪くはならなかったが、元には戻らない。

 今は、0.8か0.6である。単行本を読むには眼鏡が必要だ。乱視も遠視も近視も混ざっている。

 しかし、健康診断の視力検査ではここ二年の私の視力は、二年前が1.5。去年が1.2である。

 これは、目が良くなった訳ではない。なんとなく、〇の切れている方向を言うと当たってしまうのだ。

 

 私は正直に「見えてませんが、どちらかと言うと右」「当たってます」「いいんですか?見えてませんよ!次はなんとなく下!」「当たってます」。

 こんな会話をしているうちに、1.5に成ってしまうのだ。実は去年の1.5も勘で分かったのだが、少し遠慮して「分かりません」と言っておいた。そこで1.2と成った。

 

 私が不安になって「切れ目は見えてなくて、なんとなく、分かるんですが…いいんですか?」と言うと…。「ハイ!分かるならそれが視力です」「本読めませんよ!」「でも、分かるんだから1.2でいいです」

 

 視力検査の方法って根本的に見直す必要があるのではないだろうか?

 

 私はマークシートの試験で勘がさえて合格した学生の様なものだ。しかし、眼鏡をかけてラジオに投稿されたメールを選んでいる。14ポイント以下の文字は眼鏡がいるのだ。

 公式の検査が間違っているという世の中の矛盾。他にも、学校や会社で同様のことが起きていないのだろうか?

 

 学生時代のエピソードを思い出した。いや、あくまでとある架空の大学の試験での出来事としておこう。我々が入手した問題集がそのまま試験に出題されたことがある。これは、出版された問題集で答えも記されている。

 友達が「これが、出るかも知れない…」というので、半信半疑でコピーをもらっていた。そいつの話によると、試験の担当教授が試験問題を作る時、その本をコピーしていたというのだ。しかも、この教科は一年目は三分の二が落ちると言われる難関である。

 まったくの眉唾だが、私は藁にもすがる思いだ。その科目はマークシートの試験だったので、ダメ元で目だけ通しておいた。

 

 すると、そっくりそのまま、まったく同じ問題が試験に出題された。私は内容は分からないが、マークシートなので「確か答えは〇〇」と全て分かってしまった。コピーを入手した我々10人程は100点である。

 

 後日。試験の結果が発表されると何と!不合格D判定。あの問題集の答えは間違っていたのだろうか?

 気の強い友人が、元の本を持って講義終わりの先生を捕まえて猛抗議をした。

 「僕達は、この本で勉強したんで不合格の筈ありません。100点です」。

 すると、先生は青ざめて「そうか!調べてみる」と言って去って行った。

 

 数日後。掲示板に私たちの学生番号が張り出された。右の者たちは、コンピューターの採点ミスで不合格となったが、調べた結果。A判定に訂正します。

 

 視力検査の思い出で、へんなことを思い出してしまった。今年の検査は、また、1.5をとるつもりだ。