放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

山本コータローさんの思い出…

 40年ほど前。東海大学落語研究部の学生だった私は、同期の切笑君に誘われて漫画雑誌・ヤングジャンプの文化祭に出ることとなった。

 私は出る気はなかったが(以前、どこかのコラムに書いている)切笑君がかってに応募して、学生の演芸の大会に出るという。

 聞くと「ネタは無いので、考えてくれ」とのこと。何と!無責任な男だ!「断ればいいんじゃないの!」と言うと「もう、オーディション行くって言っちゃったから」と言う。仕方なく、私がネタを作ってオーディションは通過した。

 

 本選はヤングジャンプの文化祭のステージで行われるのだが、私たち二人の名前が「紐コンビ」と書かれていて驚いた。

 私達はコンビ名など考えていなかったし、聞かれなかった。紐を色々なものに見立てての一発芸だったので、かってに「紐コンビ」と名付けられたようだ。

 

 聞くと、この大会には以前は先輩の切奴(昇太師匠)さんと実志さんが漫才で出場して、女子大生の山田邦子さんと対決したという。

 ちなみに私の時は、明治大学時代の大川興行が来ていた。さらに、スターウォーズのマネをする社会人コンビ、駒沢の落研が着物を着て漫談をしていた。我々「紐コンビ」はジーパンにTシャツで、私が合い方をボロカスに突っ込む形式だ。

 

 我々、出場者が登場すると審査員の山本コータローさんが一番前に座った。私は思わず「うわ!岬巡りだ!俺達の青春が歩いてる!」と茶化して叫んでしまった。それが聞こえた様で、山本さんは嫌な顔をしていた。

 

 結果。我々二人は完敗。予選の時は笑いが起こったのだが、大川興行が大ウケした後のざわつきは静まらず。まったくウケなかった!

 

 先週。私の母親が逝去した。そして、お通夜の為に帰省するとアイフォンに山本コータローさん逝去の知らせが出ていた。

 母と山本さん。何の繋がりも無いが…。山本コータローとウイークエンドの「岬巡り」で、リコーダーを吹いていた見崎さんを思い出した。実は、見崎さんはラジオ「サンデーフリッカーズ」の初代・プロデューサーの木多さんが以前居た会社の社長なのだ。間接的に春風亭一之輔にたどり着くのだ。一之輔はこの時、ラジオを休んでいた。お葬式は土曜日。翌日、日曜のサンデーフリッカーズは春風亭昇也さんが担当した。昇也さんは昇太さんの弟子だ。ここも、少しシンクロした。

 

 私は母の強い希望で大学に進学しました(どこでもいいからとにかく行きなさい!)。大学がなければ今の仕事にはついていません。今、ラジオ番組をやっているのも母のお陰なのかも知れません。

 

 母…そして、山本さん、ご冥福をお祈りします。

 

 

 

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直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

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