放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

あれ!突然、車から異音がするぞ!

 昨日、愛車のマツダ・ロードスターNAのエアコンにガスを入れた。ディラーでは、もう扱えない旧車なので、一時間ほど高速に乗って個人業者さんに頼んだのだ。

 

 今、近所の大工センターまで乗ったのだが…。突然、ガタン!と音がすると、エンジンの回転数がかってに上がった。そして、すぐ下がる。

 これは、信号待ちにも繰り返される。この、ガタン!という音が気になる。

 

 私はすぐに、馴染みのガソリンスタンドへ行き、整備士に見てもらった。すると、奥から若い兄ちゃんが出て来た。

 ベテラン整備士に見えたオジサンより、兄ちゃんの方がメカに詳しい様だ。

 

 五分程。アクセルを踏んで試していると…。

 

 兄ちゃん「エアコンを切ると大丈夫ですね!昨日、何かしました?」

 私「エアコンのガスを二本入れました」

兄ちゃん「二本は入れすぎですね!私、先日、この車のラジエターの取り換えもしましたが、エアコンはきいてましたからね!ガスは一本入れれば十分ですよ!」

 私「入れすぎてダメなことってあるんだ?」

 兄ちゃん「そうなんですよ!」

 

 兄ちゃんは「ガス、少しだけ抜きますね!」と言って、すぐに抜いてくれた。

 

 すると、完全に直っていた。流石はプロの仕事だ!

 

 兄ちゃん「これ、フロンガス使ってるから、今、入れてくれるところが少ないんですが…エアコンとしては、こっちの方がきくんですよね!冷気が凄いでしょう?」

 

 成程…。環境破壊的にはダメなフロンガスだが、実は優秀だったのだ。つまりフロンガスはエアコン界のステロイドだ。

 私のロードスターは、オリンピックなら禁止薬物で失格である。

 

 とにかく、直った!今、怖いのは車のエアコンが壊れた時である。

 

 もう、同じエアコンは販売されていない。新しいモデルを積んでくれる工場はあるが、私の知る限り、静岡か新潟である。

 

 「旧車のエアコンを直すこと、それは、もう、小さな旅である」永六輔

 

 「咳声喉にアサダ二世…あ痛っ!舌かんじゃった!永六輔です!」

 

 

 まだ、ロードスターが登場していない昭和の学生の物語。確か、この頃、シティーのCMが流れていた。♪ホンダ~ホンダ~ホンダ~ホンダ~!と歌う数人の外国人が話題となった。合宿のコントで、二年先輩の芸馬さんが、このCМのパロディーをやっていたのを思い出す。うちのOBしか分からないが…。これを読むと、芸馬さんも、どこかに出てきます。

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超過保護で育ったのには訳がある…母の苦悩…

 私は超過保護な家庭に育った。家は金持ちでは無かったが、両親の生活の優先順位は全て子供が一番だった。

 

 大正15年生まれの父と、昭和7年生まれの母なので、普通なら一家の大黒柱・父親がいばっているのが王道の年代だ。

 しかし、我が家に限っては「高い料理」はまず子供から。「風呂」もまず子供から。さらに、子供に「家の手伝い」をさせなかった。

 

 私は「掃除」や「大晦日の餅突き」など、自分でもやってみたかったが「ケガをしたら大変だ」という理由で杵を持つことも、臼の2メートル以内に近づくこともなかった。

臼とのソーシャルディスタンスが完璧にとられていた。

 

 子供は何もせず、ただ、「食べて」「テレビを見て」「宿題をやって」「寝る」だけ。毎日がとても退屈だった。私の楽しみは家にある古いマンガを何度も見ることだけだ。この状態だとテレビはキラキラ光る宝箱となっていた。

 

 「シャボン玉ホリデー」「ウルトラQ」「てなもんや三度笠」「吉本新喜劇」「ラブラブショー」「笑点」「コント55号世界は笑う」「8時だよ!全員集合!」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」上げればきりがない。

 

 当時の静岡県の民放はTBS系のSBSの一局だけ。これらの、番組は局の垣根を越えて、全てSBSで放送されていた。

 つまり、SBSだけをつけっぱなしにしていれば、東京、大阪の大人気番組が次から次へと見られるのだ。

 毎日が「番組のオールスター戦」である。宿題などやる暇が無かった。

 

 話はそれたが…。我が家が「超過保護」となったのには訳がある。私が二十歳になった時。両親が真面目な顔で私を呼んだ。

 「見せたいものがある」と言うのだ。そこには、戸籍の紙があった。

 

 私はとっさに「あれ!俺はよそから貰った子か?または前妻の子だったのかな?」と思った。そして「何だ!そんなこと気にしなくていいのに!」と思った。

 私は「育ての親しか「親」とは思わないのだから、もっと早く言えば良いのに!」と考えていた。

 

 そして、戸籍を見ると…。

 

 私は実の子供だが、三男とある。私は男二人の次男として育ってきた。

 

 私の上の記載を見ると…。長男と長女が亡くなっていた。私は言った。

 

 私「何でだまってたの?別に隠すことじゃないじゃん」

 母「あれ!そう?ショック受けるかと思って、二十歳まで黙ってたんだけど…」

 私「そんなのショック受けないよ!何で亡くなったの?」

 

 聞くと、二人共名前が付いてすぐに、風邪で亡くなっている。母の話では、赤ちゃんが寒そうだったので毛布でくるもうとしたら、産婆が「そんなことしたら、強い子にならん!」と言ったので、そのままにしたら、風邪を引き…亡くなったという。

 それ以来、母は医者や看護師の言うことを信じなくなった(言ったのは産婆だが)。さらに、もう一人も、風邪で亡くなっている。

 

 そして、母の話は続いた…。子供が風邪を引いた時、父親は釣りに行っていたそうだ。それ以来、父親は釣り禁止となった。

 そして、もう一人が風邪で無くなった時、父は趣味の弓道をやっていたそうだ。それ以来、弓道は禁止となった。

 家に弓があったので父親が弓道やっていたことは知っていた(三段らしい)。居間で形を見せたことはあった。

 幼い私が「また、弓道やればいいじゃん」と言うと「いや、もう…」と父はお茶を濁していた。その訳が、二十歳にして判明した。

 

 そして、我が家が「超過保護」な訳が理解できた。母は「子供は簡単に亡くなる」「生きているだけでありがたい」と思っていたのだ。

 

 子供の頃の記憶が蘇る。私が37度以上の熱を出すと、両親は夜中でも開業医を叩き起こして、診てもらっていた。

 お医者さんが「断ってもめげない」帰らないのだ。決死の覚悟で診察してもらっていた。これは「子供は簡単に亡くなる」「医療関係の人を信じるな」というトラウマだと思う。「子供が生きる為なら、医者に嫌われても構わない」と思ったのだろう。

 

 私は、ふと思ったのだが…。亡くなった兄と姉のお墓参りをしたことがない。二十歳を期に教えたのだから、お墓参りに行っても良いのだが…?。

 そこで、子供の頃。母親が言っていた言葉を思い出した。

 

 「兄弟に亡くなった子がいると、ひがんで生きている子に災いが起こるらしいよ」

 

 幼い頃、聞いて「変なことを子供に言う親だ」と思っていたが、それは、このことだったのだ。墓参りに行って「ひがんで」悪さするといけないと考えた様だ。

 しかし、誰から聞いた迷信か知らないが…。私はそんなことは無いと思う。もし、私なら弟の足など引っ張らない。むしろ、弟の敵を撃退するだろう。

 

 時代は飛ぶが…。10年程前。お正月に帰省した時。父親が自家栽培の畑で野菜を収穫する時、カマで親指を大きく切ってしまった。

 見ると、本人は「大丈夫!」と言っているが、骨まで達している。指が半分とれそうな状態だ。

 

 私は「子供の為に夜中に医者を叩き起こした両親」を思い出していた。元旦なので、救急の医者に電話したのだが、症状を言うと「うちでは無理」と言う。そこで「診てもらえるところを教えてもらえますか?」と言うと、女性の看護師が強い口調で「落ち着いて下さい」と言った。私は「落ち着いてる場合じゃないから、急いで電話番号を教えて下さい」と言った。あまりにのんびりしていた看護師が、やっと急いで番号を教えてくれた。

 

 そのまま、救急病院に連れて行き、指は元通りついた。神経も切れておらず、障害は残らなかった。

 

 母はまったくあわてず言った。

「哲也君!しっかりしてるね~!」

「いや…子供の頃、やってくれたことを返しただけだよ!」

「お父さんは、しょうがないねー!」

 

 母は、子供は「簡単に亡くなるもの」だが、夫は「亡くならない」と思っている様だ。どこの家庭もそうだと思うが、父親とは可哀そうなものだ。

 

 そして、我が家の「超過保護」には、さらに遡る「大きな理由」があった…。

 

 ここからが、面白いが…今日は「お時間です」。

 

 

「超過保護」で育った私が、初めて苦悩と立ち向かったのが、大学落研である。若者の成長を、つい応援したくなる青春ドキュメント・エッセイ!

しかし、過保護な両親は私の落語を一度も観たことがない。「いつ出るか教えなかったから仕方がないが…」両親が会場に見に来る後輩をみて「うちは来ないよな!」と思っていた。

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戦争と母親!

 私が小学生の頃。親戚や家族で地元の天竜川の河原で遊んでいたことがあった。オジサンが作ったエンジンのラジコン飛行機を飛ばした時かもしれない(記憶は混ざっているかも?)。

 

 50年程前のことなので、ラジコンはエンジンしかなかった。それだけに、墜落すると模型とはいえ大事故となる。機体は大破するし、エンジンの爆発もありえるのだ。

 

 オジサンの飛ばすエンジン飛行機は、離陸して急上昇すると…すぐ、急降下して大破した。

 たったの一瞬で、親戚中が集まったイベントは終了である。

 

 一同、呆然としていると…。私の母親(昭和七年生まれ)が空を見上げて「あっ!いやだ!」と、走り出した。

 「どうしたの?」

 「ほら!あれ!嫌だ!」

 

 見ると、空にカメラフィルムKの飛行船が飛んでいる。丁度、我々の真上を通過しそうだ。母親は、自分の場所を移動して「まだ、こっちへくる」と悲鳴をあげている。

 

 親戚一同が「何が嫌なの?ただの気球じゃない!」というが、母は「あの丸い頭、グラマンみたいなのよ!」

 グラマン…。第二次世界大戦で活躍したアメリカの戦闘機である。気球の丸さは、B-29爆撃機の様な気もするが…(B-29ならボーイング社である)。

 母親は、空襲の爆撃機グラマンと憶えている様だ(私もタミヤのプラモデルの知識だけなので不安だが?)。

 そして、母親は右に行ったり左に行ったり。どこに逃げても「自分に向かってくる」と泣きそうだ。

 

 空を飛ぶ気球から、徒歩で逃げても同じである。その辺の当たり前が分からないのが、この世代の人達だ。

 

 私は「何でそんなに怖いの?」と聞くと…。母親は「空襲の思い出ではない」と言う。

 「えっ!違うの?」

 

 話を聞くと…。子供の頃。畑にいると…。一機の戦闘機が急降下して弾を打って来たそうだ。近くに日本兵はいないので、完全に民間人狙いである。

 それも、わざと当たらない程度の場所を撃って、米兵が楽しんでいたそうだ。

 その戦闘機は、撃った後、超低空で戻って来て、母親に向かってニコっと笑ったのが見えたそうだ。

 その恐怖が、飛行船を見ると蘇るのだそうだ。静岡県磐田市という「世界の片隅で…」も、こんなことが起こっているのだ。

 しかし、何故、戦闘機が畑の空に居たのだろう?日本本土で戦闘機の戦いはあったのだろうか?ひょっとすると、敗戦後、進駐軍が日本の娘をからかったのかも知れない。

 

 しかし、この話を聞くと、やはり、戦闘機なので飛行船の頭とは似ていないと思う。絶対B-29である。B-29は爆撃機なので低空飛行はしないと思うのだが…。

 母親には、そんなことを言っても通じない。

 

母「そんなことは、どうでもいい!グラマンの頭は嫌なのよ!」

 

 私は子供の頃。プラモデルが好きだったが、アメリカの戦闘機を作らなかった。なんとなく、母親を気にしたのかもしれない(いや、格好つけて書いてしまったが偶然かも知れない)。

 

 まあ、現在も母は存命ですが…。コロナ禍の介護病院で面会はモニターで週に一度十分だけなのだそうだ。

 

 今、思いだしたが…。二十年程前。「オジサンがラジコンのエンジン、とってあるんだけど、いらないか?」と言っていた。即答で「いらないね!」と言った私である。

 

 

戦後生まれの、苦労を知らない子供たちのおバカな青春エッセイがこちら!日本一学費が高いと評判の大学に…日本一貴重な青春があった…かも知れない。そして、親の苦労は計り知れない!

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映画「の・ようなもの」

 私が大学生の頃。森田芳光監督のデビュー作・映画「の・ようなもの」が公開された。主演は伊藤克信さん。当時、普通の大学生だった。

 この映画は入門仕立ての落語家の青春物語だ。主人公は落語がヘタな前座という設定。そこが、ダメな落研部員にとっては心を揺さぶられる設定だ。

 

 この作品には、春風亭一之輔さんの大師匠・春風亭柳朝師匠や、当時、若手で注目株の三遊亭楽太郎師匠(現・円楽師匠)も出演している。

 

 私が大学一年で、落研に入った直後。日本テレビで「第三回学生落語名人位決定戦」が放送された。この大会に、主演の伊藤克信さんは、城西大学落研で出場していた。

 伊藤さんは、栃木訛りのハチャメチャな落語で「敢闘賞」(三位)を受賞。学生の本領発揮ともいえるルール無視の面白さで話題となった。

 この時の優勝者は法政大学で、のちに、上方落語でプロになった方である(故人)。

 

 森田芳光監督は、日芸落研出身。落語のヘタな主演を探している時に、たまたま、この特番を見ていて「こいつだ!」と、鶴の一声で主演が決まったそうだ。

 まるで嘘の様なジャパンドリーム!相手女優は秋吉久美子さんという夢の様な話だ。

 

 この時の伊藤克信さんの落語をテレビで見た私は…。「あれ?うちの先輩と似てるな!」と思った。

 その方は、二年先輩の頭下位亭マー坊さん。栃木訛りが酷く、どんな古典落語をやっても、語尾が上がってしまう⤴。古典落語は基本⤵語尾が下がらないといけないのだが、この先輩は、そんなことはお構いなしで自由奔放。

 人間の魅力があって、とても面白い人だった。

 

 しかし、訛りがマイナスとなって大きなホールの落語会に出演することはなかった。

 

 ある時。國學院大學落研の三年先輩・若木家元治ー(ガンジー・現・社会人落語家・元翁)さんが私に言った。「マー坊は、東海さんでは日陰の存在だけど…うちだったら、大スターだよ!あの、訛りは面白いよ!」と、言っていた。

 「ところ変われば品代わる」と言うが、まさに、その通りである。低迷していたプロ野球選手がトレードされたとたんに大活躍するのを連想させた。

 マー坊さんは今や故人となってしまったが…。「の・ようなもの」を思い出すと、いつも、マー坊さんの顔が浮かぶ私である。

 

 あれから、三十年以上たった、ある日。春風亭一之輔のラジオ「サンデーフリッカーズ」(JFN)のゲスト(電話ゲスト)に、伊藤克信さんが登場した。

 

 実は私がブッキングしたものである。その時、「の・ようなもの」の続編が公開されたのだ。私は伊藤さんと面識はなかったが…。ミラクルが起きた。

 伊藤克信さんの所属事務所の社長が、青山学院・落研の後輩だったのだ。私は事務所の社長に直接電話してゲストをお願いした。

 お陰で新作「の・ようなもの」の試写会も観せて頂いた。

 

 私の中では、亡くなったマー坊さんの栃木訛りと伊藤さんの訛りがシンクロして聞こえた。

 

 私は今月六十才になる。この歳になると…故人の話が多くなってしまう…。

 

 

 マー坊先輩の、驚きの「九州慰問エピソード」もどこかに登場します。何と!パトカーを私物化!ありえない実話が満載の、青春!馬鹿ドキュメント!夏休みの宿題推薦図書であります。良い子が読むと「こんな人になりたくない」と、勉強を始めると言う噂!ビリギャルを生み出すかも知れない、ビリ書籍!

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映画素人の映画の話とゲーム「メタルギアソリッド」

 私は今、テレビゲームをやらないが…。その昔、ゲームを紹介する「大竹まことのただいまPCランド」(テレビ東京)という番組を担当していた。何と!子供時代の春風亭一之輔も見ていたそうだ。

 その為。ある時期、ゲームをやっていた。「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」など、メジャーなものだけだが、それなりにラスボスまで倒していた。

 

 その頃。キャラが好きで「メタルギアソリッド2」を買った。やってみると、難しいが面白い…。そして、ゲームの設定を見て…あれ…?と思った。

 このゲームは、「敵から隠れて気づかれずに潜入」するゲームだ。この状況はどこかで見たことがある。
 映画好きはとっくに気づいていたと思うが、私は自分で気づいたので誇らしかった。

 

 ブルース・リーの映画に、この、ゲームとまったく同じパターンで、そこに人が居るのに、振り返る時だけ体を物陰に隠し、敵のアジトに潜入するシーンがあるのだ。

 実際は気配で絶対バレる状況なのだが、振り返っても敵の「視界」に入らなければ、セーフという映画上のルールの元に、コントの様に潜入して行く。

 

 しかも、見直してみると、ゲームに登場する敵のアジトの監視塔の建物のデザインが、ブルース・リーの映画とまったく同じだ。

 あれあれ?その後、ロープ一本垂らして潜入するのも同じだ!あれれ?そもそも、最初に主人公に指令を出す女性の名前まで、映画に出るヒロインと同じ名前だと気づいた。これは、パクリじゃなくて、オマージュだ!

 ここまで、書いて私は「映画名」は忘れている。「燃えよ!ドラゴン」か「ドラゴン危機一髪」か「ドラゴン怒りの鉄拳」のどれかだとは思うが、うろ覚えだ!

 

 そして「メタンギアソリッド」は面白かったが、戦車と闘うステージがクリアーできず、辞めてしまった。多分、4分の1もやっていないダメゲーマーである。

 

 私は映画に詳しくないが、知っている「映画知識」を駆使して、偉そうに他の映画の蘊蓄も書くことにする。

 

 私が好きなのはスピルバーグの遊び心だ。それは、初期のテレビ用映画「激突!」から「バック・トウ・ザ・フューチャー」へと繋がる遊び心だ。

 

 映画「ジョーズ」で、サメの腹を裂くと、車のナンバープレートが出て来るシーンがあるのだが、その番号が「激突!」のトラックのナンバーと同じなのだ。ストーリーには何の関係もないが、見事な「遊び心」である。

 

 そして、このナンバーは「バック・トウ・ザ・フューチャー」のデロリアンのナンバーとも同じなのである。

 これも、ストーリーには関係ないし、説明もされていない。監督だけの「遊び心」だ。

 さらに、「バック・トウ・ザ・フューチャー」1作目のオープニングで時計が複数並んでいるシーンが映る。その時、良く見ると…時計の一つの針にドクのフィギアがぶら下がっている。何度も見ないと気づかないが、クライマックスシーンの時計台の針にぶらさがる、ドクの予告ともとれる「遊び」をほどこしているのだ。

 この拘り!サスガは黒澤明を尊敬しているだけのことはある。

 

 映画ファンならみんな知っている、間抜けな蘊蓄を披露してしまったが…。私は、この「遊び心」が好きだ。

 

 

 PS 今、脚本家の稲葉先生が教えてくれました「燃えよ!ドラゴン」が正解だそうです。

 

 

 ラジオ、春風亭一之輔の「サンデーフリッカーズ」(JFN)の台本に、さりげなく「あなたとハッピー」のタイトルコールなど入れ込んでみようか?!

 いや、やめておこう!スピルバーグなら怒られないが、私がやると…怒られそうだ!

 

 

 「直木賞」と「芥川賞」が発表されたけど…そんなの関係ね~!

 読者に存在を隠してひそかに忍び込む!「メタルギアソリッド」みたいな地下書籍!内容はマネをしていないドキュメントだが、文章のトーンは「与太郎戦記」とハガキネタの天才・放送作家のSさんを参考にしている。これも、オマージュである。

 ところでオマージュって何?お饅頭じゃないよね?

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広沢虎造の浪曲と磐田市見附!

 広沢虎造の「清水の次郎長伝」に、東海道の親分として見附の小和田友蔵が登場する。東海道・見附の宿の親分だ。

 見附の宿の場所は私の地元である。

 

 この名前は「森の石松・三十石船」の中にも、東海道の親分として登場している。友蔵は次郎長の兄弟分らしい。

 

 私は高校の途中まで見附に住んでいた。見附の宿とは、現在の「ジュビロード」の一部(磐田スタジアムへと続く)に当たる。

 中学の時は旧見附の宿を通って通学していた。当時はまだ、宿の名残の古い家屋も残されていた。確か、友人の自宅にも元宿屋の建物があったと思う。

 

 私が虎造の次郎長伝をしっかり聞いたのは、30才を過ぎてから。この仕事を始めてからである。

 あまりに面白く、10枚ほどCDで聴いたと思う。そこで、ある正月。帰省したついでに、父親に聞いてみた。

 

 私「「清水の次郎長伝」に、見附の宿の小和田友蔵が出で来るんだけど、知ってる?」

 父「知ってるよ!俺が子供の頃は、学校でも教えた偉人だよ!」(戦前の話)

 私「そうなの!」

 父「地元のお寺に、お墓があるぞ!お前も、子供の頃、遊んでたお寺だよ!」

 

 小和田友蔵は侠客の親分から岡っ引きになっている(浪曲なので実際は分かりませんが…)。地元の為に貢献もしていた様だ。

 

 とにかく、浪曲の中では清水の次郎長の兄弟分で、かなりの貫禄があった人物だ。

 

 そう言えば「ちびまる子ちゃん」のお爺ちゃんも友蔵だった気がする。やはり、清水と友蔵は縁があるのか?

 

 連想ゲームの様に話が飛ぶが…。私は昔、テレビ番組で清水にあるお菓子屋さん「みつや」さんに行ったことがある。

 アニメの初期「ちびまる子ちゃん」のオーブニングで登場する駄菓子屋さんだ。しかし、行ってみると外観はアニメの「みつや」より小さく、形も違っていた。

 取材してみると、アニメに使った外観は同じ清水の別の駄菓子屋で、名前だけ「みつや」が使われたそうだ。店の方に聞くと「まる子がよく来ていたのは、この「みつや」の方だけどね!向こうの方が外観がいいから使ったんじゃないの!」と言っていた。

 もう一つの店の外観は見なかったので何とも言えないが…。漫画の世界にも、バラエティ番組同様、微妙な演出上の嘘がある様だ。

 

 「みつや」さんの前で、レポートした元レースクイーンでセクシータレントのONさんは、「みつや」さんを見て一句。

 「みつやさん アニメと全然 違うのね!」と詠んでいた。

 

 あれ?何の話だ?そうだ!浪曲、講談、落語は案外史実に元ずいている。

 

 

 


「あんたら、街道一の馬鹿学生を知ってるかい?!食いねえ!食いねえ!万金餃子食いねえ!」(小田急相模原駅・餃子の「萬金」は、東海大落研の青春の味である。)

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幼き頃の父の思い出!

 五十年も前のことに成る。私は市営住宅に住んでいた。父親は専売公社の工場勤務で、何とも地味な家庭だ。

 

 私の田舎は茶畑や煙草畑があり、農業の家庭も多い。田舎で土地が安いせいか、大手の企業の工場も多い。あの、「ヤマハ」「スズキ」も磐田に工場があった。

 近隣の町にも「パイオニア」「NEC」「ホンダ」等のそうそうたる工場がある。

 

 工場勤めと農業の多い地元で、工場とは言え専売公社という国営企業は珍しい部類の職業だ。日本一大きなタバコの工場で、父親は煙草を生産する機械の調整整備をやっていた。

 つまり、ラインが不具合で止まらない限り、基本的に仕事は無いのだ。子供心に何と楽な仕事なんだ!と思っていた。

 

 当時、漫画の「ダメおやじ」が流行していたため、漫画を見る度に「うちの父親と同じだ!」と思ったものだ。

 

 ある日。父親が休暇を取った時があった。子供の行事があったのだろうか?子供の私は憶えていない。

 その父が休んだその日に、珍しくラインの不具合が出て生産が一日中ストップしたそうである。

 

 翌日。父が工場へ行くと…。不具合の出た煙草を見て「これは、〇〇の調整だよ!」と、ものの十分で直してしまったそうだ。

 その日。家に帰った父は、鼻高々に言った。

 

 「うちの若い奴らは、東大とか京大出てるけど、全然ダメだな!コンピューターのデータ見て、どこが悪いか探して一日中やってるんだよ!機械が分かってりゃあ、煙草を巻いたのりしろの幅で、どこの調整か分かるのに…。勉強ばっかりやってる奴はダメだな!」

 

 楽してダメな父親だと思っていた私だが…。考えが変わった。これは、時代劇の用心棒と同じなのだ。

 普段はお酒を飲んで遊んでいるが、敵が来た時だけ出て行って、一刀で相手を倒す。三船敏郎の役だ!

 

 別の日だが…。私が最寄りの静岡県磐田駅に居ると、偶然、父と会社の数人が出張で電車に乗るところだった。

 その時、父を見て驚いたのは、上司や後輩の態度である。上司は国立大出の年下(上司だが後輩・大卒しか上司になれない)、部下も国立大出だ。

 上司も含め全員が父親に敬語を使って敬っている。本当に用心棒の扱いだった。私も父も目も合わせず見なかったフリをしていた。

 なにか気恥ずかしかったが、私は誇らしかった。学の無い父が輝いていたからだ。

 

 私の父は、大正15年生まれ。尋常小学校しか出ていない。名古屋の軍事工場で高射砲の照準器を作っていたそうだ。それだけあって、旋盤の技術にたけていた。

 何でも、軍の兵器の製品基準は普通の部品の比ではなく、とくに、狙いを定める照準器は寸分の狂いでもはねられるそうである。

 熟練した指の感覚がないとダメな様だ。

 子供の頃、父の作る竹とんぼがまっすぐ高く上がることに驚いたが、あれは、職人の技だったのだ。

 私がマネして作った竹とんぼは、バランスが悪く、全然飛ばなかった。

 

 ちなみに、その、父が作っていた照準器を搭載した高射砲で、敵を攻撃中に手を負傷したのが、春風亭柳昇師匠である(昇太さん師匠)。まさか、父が作ったものではないと思うが…。

 

 家庭ではリアル「ダメおやじ」だと思っていた父親だが、会社では違っていたようだ。

 

 世界の巨匠・黒澤明監督の言葉を思い出した。「僕は、成城の自宅に近づく程、地位が低くなるんだよ!」(一言一句はあっていません、うろ覚えです)。

 海外の映画祭に行けば国賓扱いの監督が日本へ帰ると、普通の映画監督。家に帰ると、だだのオヤジになってしまう。

 

 日本の家庭とは、どこも、そんなものなのかも知れない。

 

 

父親は、まだ健在だが、この文章のことは知らない!以前、お正月に田舎へ帰った時、「子供の時作ってくれた、竹とんぼ作ってよ!」と言ったら「青竹じゃないと手が痛いからいやだ!」と断られた。私は、手が動くうちに形見に作ってもらおうとしたのだが…。そんなことは言えない…。

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