放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

超過保護で育ったのには訳がある…母の苦悩…

 私は超過保護な家庭に育った。家は金持ちでは無かったが、両親の生活の優先順位は全て子供が一番だった。

 

 大正15年生まれの父と、昭和7年生まれの母なので、普通なら一家の大黒柱・父親がいばっているのが王道の年代だ。

 しかし、我が家に限っては「高い料理」はまず子供から。「風呂」もまず子供から。さらに、子供に「家の手伝い」をさせなかった。

 

 私は「掃除」や「大晦日の餅突き」など、自分でもやってみたかったが「ケガをしたら大変だ」という理由で杵を持つことも、臼の2メートル以内に近づくこともなかった。

臼とのソーシャルディスタンスが完璧にとられていた。

 

 子供は何もせず、ただ、「食べて」「テレビを見て」「宿題をやって」「寝る」だけ。毎日がとても退屈だった。私の楽しみは家にある古いマンガを何度も見ることだけだ。この状態だとテレビはキラキラ光る宝箱となっていた。

 

 「シャボン玉ホリデー」「ウルトラQ」「てなもんや三度笠」「吉本新喜劇」「ラブラブショー」「笑点」「コント55号世界は笑う」「8時だよ!全員集合!」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」上げればきりがない。

 

 当時の静岡県の民放はTBS系のSBSの一局だけ。これらの、番組は局の垣根を越えて、全てSBSで放送されていた。

 つまり、SBSだけをつけっぱなしにしていれば、東京、大阪の大人気番組が次から次へと見られるのだ。

 毎日が「番組のオールスター戦」である。宿題などやる暇が無かった。

 

 話はそれたが…。我が家が「超過保護」となったのには訳がある。私が二十歳になった時。両親が真面目な顔で私を呼んだ。

 「見せたいものがある」と言うのだ。そこには、戸籍の紙があった。

 

 私はとっさに「あれ!俺はよそから貰った子か?または前妻の子だったのかな?」と思った。そして「何だ!そんなこと気にしなくていいのに!」と思った。

 私は「育ての親しか「親」とは思わないのだから、もっと早く言えば良いのに!」と考えていた。

 

 そして、戸籍を見ると…。

 

 私は実の子供だが、三男とある。私は男二人の次男として育ってきた。

 

 私の上の記載を見ると…。長男と長女が亡くなっていた。私は言った。

 

 私「何でだまってたの?別に隠すことじゃないじゃん」

 母「あれ!そう?ショック受けるかと思って、二十歳まで黙ってたんだけど…」

 私「そんなのショック受けないよ!何で亡くなったの?」

 

 聞くと、二人共名前が付いてすぐに、風邪で亡くなっている。母の話では、赤ちゃんが寒そうだったので毛布でくるもうとしたら、産婆が「そんなことしたら、強い子にならん!」と言ったので、そのままにしたら、風邪を引き…亡くなったという。

 それ以来、母は医者や看護師の言うことを信じなくなった(言ったのは産婆だが)。さらに、もう一人も、風邪で亡くなっている。

 

 そして、母の話は続いた…。子供が風邪を引いた時、父親は釣りに行っていたそうだ。それ以来、父親は釣り禁止となった。

 そして、もう一人が風邪で無くなった時、父は趣味の弓道をやっていたそうだ。それ以来、弓道は禁止となった。

 家に弓があったので父親が弓道やっていたことは知っていた(三段らしい)。居間で形を見せたことはあった。

 幼い私が「また、弓道やればいいじゃん」と言うと「いや、もう…」と父はお茶を濁していた。その訳が、二十歳にして判明した。

 

 そして、我が家が「超過保護」な訳が理解できた。母は「子供は簡単に亡くなる」「生きているだけでありがたい」と思っていたのだ。

 

 子供の頃の記憶が蘇る。私が37度以上の熱を出すと、両親は夜中でも開業医を叩き起こして、診てもらっていた。

 お医者さんが「断ってもめげない」帰らないのだ。決死の覚悟で診察してもらっていた。これは「子供は簡単に亡くなる」「医療関係の人を信じるな」というトラウマだと思う。「子供が生きる為なら、医者に嫌われても構わない」と思ったのだろう。

 

 私は、ふと思ったのだが…。亡くなった兄と姉のお墓参りをしたことがない。二十歳を期に教えたのだから、お墓参りに行っても良いのだが…?。

 そこで、子供の頃。母親が言っていた言葉を思い出した。

 

 「兄弟に亡くなった子がいると、ひがんで生きている子に災いが起こるらしいよ」

 

 幼い頃、聞いて「変なことを子供に言う親だ」と思っていたが、それは、このことだったのだ。墓参りに行って「ひがんで」悪さするといけないと考えた様だ。

 しかし、誰から聞いた迷信か知らないが…。私はそんなことは無いと思う。もし、私なら弟の足など引っ張らない。むしろ、弟の敵を撃退するだろう。

 

 時代は飛ぶが…。10年程前。お正月に帰省した時。父親が自家栽培の畑で野菜を収穫する時、カマで親指を大きく切ってしまった。

 見ると、本人は「大丈夫!」と言っているが、骨まで達している。指が半分とれそうな状態だ。

 

 私は「子供の為に夜中に医者を叩き起こした両親」を思い出していた。元旦なので、救急の医者に電話したのだが、症状を言うと「うちでは無理」と言う。そこで「診てもらえるところを教えてもらえますか?」と言うと、女性の看護師が強い口調で「落ち着いて下さい」と言った。私は「落ち着いてる場合じゃないから、急いで電話番号を教えて下さい」と言った。あまりにのんびりしていた看護師が、やっと急いで番号を教えてくれた。

 

 そのまま、救急病院に連れて行き、指は元通りついた。神経も切れておらず、障害は残らなかった。

 

 母はまったくあわてず言った。

「哲也君!しっかりしてるね~!」

「いや…子供の頃、やってくれたことを返しただけだよ!」

「お父さんは、しょうがないねー!」

 

 母は、子供は「簡単に亡くなるもの」だが、夫は「亡くならない」と思っている様だ。どこの家庭もそうだと思うが、父親とは可哀そうなものだ。

 

 そして、我が家の「超過保護」には、さらに遡る「大きな理由」があった…。

 

 ここからが、面白いが…今日は「お時間です」。

 

 

「超過保護」で育った私が、初めて苦悩と立ち向かったのが、大学落研である。若者の成長を、つい応援したくなる青春ドキュメント・エッセイ!

しかし、過保護な両親は私の落語を一度も観たことがない。「いつ出るか教えなかったから仕方がないが…」両親が会場に見に来る後輩をみて「うちは来ないよな!」と思っていた。

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「嗚呼!青春の大根梁山泊~放送業界編~」も出ました!こちらの文章は、今後も新原稿がアップされる予定です。

 

直木賞には程遠い、青春エッセイを皆様に…

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