放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

四十年以上前の中学柔道!静岡編!

 四十六年程前。中学一年生の私は柔道部に入った。いや、入ったというより、いつの間にか入ることになっていた。

 

 私は運動が苦手だし、格闘技などやりたくなかった。

 静岡県磐田市の城山中学(長澤まさみも出身)の一年生入学時のことだ。

 

 同級生の海野君が「柔道部に入りたいんだけど、一人で行くの恥ずかしいから一緒に来てよ!」と言った。「いいよ!」

 私は付き添いで柔道部の練習を見に行った。

 

 すると、部長のK山さんという怖い先輩が「おう、二人共柔道着着てみろ! 受け身教えてやる」と言った。

 「あの…僕は付き添いで来ただけです」

 「付き添いでも、とにかく着替えろ!」

 

 そのまま、手が赤くはれる程、受け身をやらされた。血管が腕に浮き出て青い血管の筋が見えた。腕がこんなになったのは初めてだった。

 すると、部長のK山さんが言った。「明日から、本格的な練習な! 自分の柔道着を買ってこい!」

 

 私はいつの間にか柔道部員になっていた。

 

 小学生の頃。テレビの「柔道一直線」で日本柔道が東京オリンピックの無差別級でロシア選手に負けたことは知っていた。さらに、漫画「ドカベン」が柔道漫画として始まっていた。そんなこともあって、なんとなく拒否せず入ってしまったが「ドカベン」はすぐに野球に鞍替えしてしまった。

 水島先生! それは無いよ! と叫びたい気持ちだった!

 

 柔道を始めると、それまで肥満だった私の体形は半年でガリガリになってしまった。贅肉ばかりで筋肉が無かったから、それが落ちると骨と皮だけなのだ。

 身長169で体重は49キロ。あまりに軽く柔道には不利である。

 

 そのうち、体重のわりには筋力がついたのだが大きな相手を投げることは出来ない。

 中学柔道は基本「無差別級」しかなかった(今はどうなのだろうか?)。49キロの私が80キロの相手とも試合しないといけないのだ。

 

 私は軽いわりには意外と受けが強く、部長となった海野君には簡単に投げられるが、他の部員なら引き分けに持ち込む試合が出来た。

 つまり、大きく投げる力はないが小さな相手は小技で転がして勝ち。大きな相手には逃げ回って、卑怯な動きで足を払うなど汚い手口を駆使していた(日本では嫌われる外国人選手のスタイルである)。

 ちなみに、当時のルールには「指導」は無く、まだ、「有効」「効果」(現在は国際ルールで廃止)さえ導入前(有効・効果は三年時には導入された)。「逃げ回る」戦術がやりやすかったのだ。

 

 しかし、何とかして勝ちたいと思った私は、藁をも掴む思いで本屋さんへと向かった。そして、手にしたのは「木村政彦著・柔道教室」である。

 当時の私は、この木村さんが、あの、力道山と戦った木村とは知らず、単なる拓殖大学の先生だと思っていたが、この本には「崩し」の大切さ、技から技への「連動」方法など、詳しく書かれていた。

 

 これは当たり前の戦法だが、田舎の中学柔道部員にはない考え方だった。

 しかし、体の小さい私に「崩し」は無理である。引っ張ると自分が逆に崩れてしまう。今から筋力を鍛えても時間がかかり過ぎる。

 この本のノウハウは、結局、体が強くなくてはダメなのだ。「柔よく剛を制す」という言葉があるが、私には「力の中に技がないと勝てない」と言った「空手バカ一代」の言葉が刺さった。

 

 何とか、楽して勝てる方法はないのか? その時。木村先生の本に見たことのない技が載っていることに気づいた。

 「袖釣り込み腰」だ。今ではオリンピック選手の定番の技だが、当時は見たことのない珍しい技だった。私の記憶では世界クラスの選手では、古賀利彦さんが「袖釣り込み腰」を出した最初の選手と記憶している。

 

 私は全日本選手より早く「袖釣り込み腰」をやることにした。この技、何が珍しいかと言うと、右で組んでいるのに左でかける。逆に左で組んだ時は右でかける技なのだ。

 実は、この投げ方をすると「受け身を取る手」の袖を持って投げるので、受け身が取れない技なのだ。

 しかも、右で組んで左でかけると「相手が驚いて動揺する」のだ。力が無い者でも釣り手が利くという利点もある。

 

 この「袖釣り込み腰」を始めると、初対戦の相手は「驚いて何が起こったか」分からない。私より強い相手に奇襲で一本とれるのだ。

 

 私は初めての相手に強い変な組手の選手となった。

 

 私は中学時代に初段を取った。初段になった同期は部長の海野と私だけである。私はそんなに強くなかったが、初対戦に強かった為に昇段試験で勝てたのだ。

 

 ここまでは、良かったのだが…。いつも、卑怯な戦いをしてるのが嫌になってしまった。そこで、練習の時。無理して技をかけて大きな相手を投げてみようと思うようになった。

 

 普段は無理なので背負わない強い相手を無理やり背負い投げしてみたのだ。すると、グキッ!という音がして崩れ落ちてしまった。

 腰を痛めたのだ。この後遺症は二十歳を過ぎるまで続く酷いものだった。数日後、歩行が出来なくなり学校を休んだ程だ。

 有名な整体師に診てもらい、何とか歩ける様になったが、とても柔道が出来る状態には戻らなかった。

 

 中学卒業の時。顧問の先生が私に言った。「小林! 高校でも柔道やれよ! 49キロの中学生で初段とったのは、県西部でお前だけだぞ!高校は軽量級があるから、いけるぞ!」。先生は、同じことをうちの父親にも言ったそうだ。私は意外に期待されていたのかも知れない。

 

 しかし、私にとっては大ショックである。高校からは階級制があることを知らなかったのだ。こんなことなら、無理に技などかけずに「高校」まで待てば良かったのである。

 

 私の柔道生活は終わった。そして、古賀選手の登場で少しほくそ笑んだ!「袖釣り込み腰! 俺の方が先にやってたよ! 私は先見の明があるのだ!」

 

 ちなみに私は、大学の授業で柔道をとった。腰を痛めているので不安だったが他の競技は人気があって入れなかったのだ。

 私は東海大学である。当然、あの山下泰裕さんも練習している柔道場で講義が受けられるのだ。少し心が躍った!

 

 先生は黒帯の私を見て「受け身」の模範をやれと指名した。先生に何回も投げられて受け身をするところを、他の学生に見せる役だ。

 手が痛いし何も面白くない! しかも「お前、受け身ヘタだな~!」と言われる始末(実は受け身をとると一本になってしまうので、試合では受け身を取らない方が得なのだ!身を守るという意味では矛盾している)。 

 

 結局、大学の授業では試合形式の練習は無く、受け身と筋トレで終わった。

 私の得意な「袖釣り込み腰」を出すことなく単位を頂いた。拓殖大・木村先生の本で学んだ技を東海大の道場で出す夢は消えた!(そんな夢は無かったが…)

 

 「やっぱり、落語の練習をしよう!」そう誓った私だった!

 

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談志師匠の「大工調べ」

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 三十年程前。私が若手放送作家の頃のことだ。

 渋谷の「東横落語会」か「東宝名人会」だと思うが…。立川談志師匠が主任(とり)で「大工調べ」をやるという。

 当時、談志師匠の高座はトークが多く、古典落語をネタ出しして演じるのは珍しいケースだった(独演会「談志ひとり会」ではやっていたが、ネタ出しはしていない)。

 

 私はチケットを二枚確保して、事務所の後輩・斎藤君と観に行くことにした(斎藤振一郎君は、後に日本一の野球ヲタクとなる男。ブログを遡ってお読み下さい)。

 斎藤君は日大芸術学部落研出身の放送作家だが、落語はあまり好きでなく、クラブのOBの映画監督・森田芳光さんと放送作家高田文夫さんに憧れて入部していた。

 

 会場に入ると…。前座さんが始めたところだった。すると、斎藤君がいきなり前座さんに手を振った!

 「あっ! 〇〇〇さ~ん!」会場中がこちらを振り返る。

 私は驚いて止めた!

 「こら、落語の最中に大声を出すな!」 

 「今、出てるの僕の落研の先輩なんです!あああ~!」

 まだ手を振っている。

 

 斎藤君はピュア過ぎて、時として常識はずれの行動に出る男である。何とか沈めて前座さんの落語「道灌」を観た。

 リズムが良く流れる様な語りで、上手い! 前座とは思えない技量だった。

 この前座さんは、現在の立川志らく師匠である。談志師匠が主任なので一門の弟子が前座を務めたのだろう。

 

 実はこの日、私は他に誰が出たかを憶えていない。それほど、談志師匠「大工調べ」だけを目当てにしていたのだ。

 

 いよいよ、主任の談志師匠が登場すると…いきなり…。

 「今日、『大工調べ』さらってみたんだけど…うう~ん!…。今日、悪いけど、やるのやめた!」

 

 ドヒャ~! 何と! 何と! 掟破りの「主任・ネタ出し・演技拒否」。四十分程のトークをして去って行った。

 

 その数年後。私は何故か志木市民会館(多分)の談志独演会のチケットを取った。普段は埼玉・千葉あたりの落語会には行かない私だが、何故か気まぐれで行こうと思ったのだ。

 

 その日。一席目はいつもの様にトークを一時間。そして、二席目…。

 やったのは「大工調べ」だった。私は自分の勘に「俺、もってる」と驚いた!

 枕もたっぷりで一時間やったと思う。

 

 余韻に浸りながら、帰ろうとするとロビーが人だかりである。争って客が何かを買っている。見ると板に談志師匠が直筆の言葉を書いて落款を押したものだ。

 板によって言葉は違う。板の大きさ、形もまったく違う。これは、いったい何だ!

 

 書かれた言葉は「黙って食え!」「バカは隣の火事より怖い」「半分あればいい」「状況判断の出来ない奴をバカという」などの名言だ。全て直筆の筆で書かれている。

 販売料金は三千円だったが、飛ぶように売れている。

 

 ここで思ったのだが、いつもの独演会だと談志師匠はロビーに出て、書籍を買った人にサインをするのだが、今日は師匠の姿が見えない。

 書籍を売る代わりに板を売ったのだろうか? 

 

 私も身を乗り出して板を見た。すると、もう三枚しか残っていない。さらに私が前に行くまでに二枚売れてしまった。

 私より先に最後の一枚をとった客が目の前で「これは、いらないや!」と買うのをやめた。

 

 その板を見ると、他の板に比べて墨が薄く、失敗作っぽい。しかも、書かれていたのは名言ではなく「何か文句あるのか この野郎」である。

 さっきまで飛ぶように売れていた板だが、この最後の一枚だけは誰も買わなかった。

 

 この時、私が思ったのは「談志師匠、一枚だけ売れ残ったら気分を害するのでは? 弟子にあたるかもしれない?」

 そう思った瞬間。私はその板を買っていた。

 

 板だけだとあじけないので、東急ハンズで額を買って、談志師匠の千社札(独演会で販売)を数枚張って作品風に仕上げた。

 今では我が家のメインオブジェ、又は神棚の代わりとして大切にしている。

 

 さらに、数年後。仕事で一緒になった立川生志師匠に、この板の事を聞いてみた。

 私「あの、板はなんだったんですか? 大きさも形も違うのは何でですか?」

 生志「ああ、あれは近所の仏壇屋が捨てた廃材です。拾ってきて言葉書いてるんですよ!」

 

 なる程。板の大きさ、形が違うわけである。逆に言うと、世界に同じものは一枚しかないことになる。

 

 そう思うと、買っておいて良かったと思う私である。

 

 わざわざ志木まで行ってよかった! 今、ブログのネタになっただけでも儲けものである。

 

 

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私の知らない私!

 昔…私が子供過ぎて記憶が無い時のことを親が言っていた。

 

 「お前は、部屋の中から縁側に向かって走って庭に出ようとして、そのまま、縁側に落下して泣いた。それも、毎日、何も学ばず縁側に向かって走って、空中で足をバタバタさせて地面に落ちていた」と言う。

 

 私に記憶は無いが、そんな奴が居るのか? アニメ「トムとジェリー」で、よく登場する少し空中で走って、気づいて落ちるパターンだ。そんなの面白過ぎるじゃないか!

 しかも、毎日、落ちるのなら「何故開けた窓にガードを付けるなどの対策をしないのか?」。うちの親こそ、何も学ばない二人だったのだ。

 その意味では、しっかり遺伝している。

 

 そして、親は言う。

 

 「お前が初めて観た映画は『101匹ワンちゃん大行進』だぞ!」

 

 これも、まったく覚えていない。それに、101匹ワンちゃんなんて私は好きでない。ディズニーなら『メリーポピンズ』や『チキチキバンバン』の実写の方が好きである。

 親もディズニーが好きとは聞いたことが無い。多分、近所で「流行ってる」と聞いて、とりあえず連れて行ったのだろう。
 

 私が本当に記憶している初めての映画は「ゴジラ」だと思う。封切かどうかは分からないが、衝撃を受けた映画だ。その後、当時のゴジラシリーズは全部観ている筈だ。特撮の神様・円谷英二が亡くなった後の作品は「英二が居ないと、もう、ダメだな!」と、そこから観なくなるという生意気なことをしていた。

 他には「ガメラ」や「サイボーグ009」さらに、同時上映されていた(田舎では新作も常に二本立て)、ドリフの「全員集合シリーズ」や「前進前進また前進!シリーズ」コント55号の映画などが楽しみになっていた。特撮とアニメとお笑いだ!

 今も好きな物は変わっていない。

 

 親が言った。

 「お前が子供の頃、好きな歌手は? と聞いたら、『畠山みどりが好き!』と言ったぞ!」

 

 私にはまったく記憶が無い。これは多分、親の誘導尋問である。テレビを見ながら、

 「この人好き?」

 「うん!好き!」と反射的に適当に答えたのではないだろうか。

 

 親は決めつけが好きだ! 私は高校ぐらいまで親に「畠山みどりが好きな子と言われていた」。心外だ! どう考えても、山口百恵桜田淳子キャンディーズ、等の方が好きである。

 私は親の間違いを正すのも悪いと思い、そのままにしていた。多分、今、聞いても『お前は畠山みどりが好き』と言うだろう。

 

 私が中学・高校の頃。親は私に言った。

 

 「お前の足のサイズは25.5だよ!」

 

 私は大学に入学した時。初めて一人で靴を買いに行った。すると、靴屋が言った。

 「お客さん、27か26.5ですよ!」(ネット書籍「嗚呼!青春の大根梁山泊!~東海大学・僕と落研の物語~」にも書かれている)

 

 私はいつも、小さな靴を履いて足が痛かったのを思い出した。親に「足が痛いよ!」と言った時は「新しい靴は痛いんだよ!履きならせば大丈夫だ!」

 メチャクチャな答えが返って来た。

 

 しかし、三ヶ月も履いていると…確かに痛くなくなるのだ。

 高校時代までの私の足は、親指と小指が内側に曲がって靴の形をしていた。足の方を靴に合わせてしまったのだ。これでは背が伸びる筈がない!(169.9)

 

 多分、親は私が小学校高学年の頃。足が25.5だったのを憶えてしまい、ずっと、信じていたのだ。「お前は、畠山みどりが好き」と同じ論理である。

 

 今、両親に私の靴のサイズを聞いても「25.5だよ!」と答えるだろう。

 

 今、ZOZOタウンの計測では、私の足はオニズカの26.5が最適と出る。買ってみた。すると、足にピッタリで痛くないのだが、私は不快感を覚える。

 トラウマで、ピッタリは息苦しいのだ。27で少し余裕がある方が快適だ!

 

 良い子の皆さん、親の言うことは「間違い」が多いのでお気お付け下さい!

 

 

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磐田市体育館は文化の発信地・ドリフ、キャンディーズ、歌丸・小円遊・トークショー!

 四十六年程前の話だが…。私が小学校高学年から中学の頃。私の住んでいた静岡県磐田市では、コンサートチケットを買うという発想がなかった。

 

 勿論、コンサートなどは行われていたが、田舎なのでチケットを販売する店が無かったのだ。隣町の大都会・浜松(近隣で唯一デパートがある街)の楽器屋ではチケットが扱われていたようだが、イメージとしては子供が簡単に行ける場所では無かった。

 

 この街でコンサートチケットを手に入れる手段はダダ一つ。地元のスーパーで数万円以上の買い物をすることだった。

 一定期間に大量の買い物をすると、抽選で夢のチケットが二枚もらえるのだ。コンサートが開かれるのは、当時、芸能文化の発信地「磐田市体育館」だ。ここは、磐田人にとっては渋谷公会堂に匹敵する芸能の聖地だ。

 

 その証拠に、あの、山口百恵さんも磐田市体育館でコンサートを開き(スーパーの景品だが)、地元の有名ラーメン店「かにや」でラーメンを食べたとの噂が市内中を駆け巡り、店がパニックになった程だ。

 

 ちなみに、この店は後継者が無く、今は存在しない。私は大人になってから行ってみたが、何と! 店内は落語家の千社札が一杯張ってあった。百恵ちゃんのサインなどは一切ない。

 しかも、千社札が本物でメンバーが凄すぎる!志ん生、八代目・文楽、円生、小さん、柳昇、十代目・馬生、談志、志ん朝、五代目・円楽、小三治松鶴米朝、小文枝、枝雀、仁鶴…と夢の様なメンバーだ。

 これは、ハードな落語ファンに違いない! 私は店の人に聞いてみた。

 

 「落語好きなんですか?」

 「違うんですよ!先代が千社札が好きで、全国の交換会に行って貰ってきた千社札を店中に貼っちゃったんです」

 

 何と! ガッカリの返事が返って来た。千社札ファンとは意外だ。しかし、殆どが落語家だったので、実は、先代は落語好きだったのではないだろうか? 百恵ちゃんのサインが無いのに落語家の千社札を貼っているのだ。そうに違いない!

 そんなことを考えながら、千社札の写真を撮ったのを憶えている。

 

 話は戻るが…。私は磐田市体育館で数回、有名人を観ている。全て、友達の海野君のお母さんがスーパーで沢山買い物をして貰ったものだ。

 我が家ではチケットを貰ったことが無かったので、私は全て海野君経由のチケットで観に行っていた。

 

 思い出すのは、「ドリフターズ・ショー!」 あの!子供たちの大スター・ドリフを肉眼で観られるのだ。前日はなかなか眠れなかった。

 その時は、志村けんさんが加入した直後で、いかりやさんが新人・志村さんをいじりまくるショーだった。「俺達がもりあげて、スターにしてやったんだ!感謝しろ!」的なことをしめのトークでも言っていた。

 まだ、当時の志村さんは反撃はせず黙って聞いていた。確か、コントは無く、演奏と歌を少しとトークだった様な気がする。

 この時、前座として登場したのは、新人の頃のアン・ルイスさん。「グッバイマイラブ」を一曲歌っただけで去って行った。その後、出てこなかったのですぐに帰ったのかも知れない。

 初めて観る歌手だったが、都会には綺麗な人が居るものだと思った。

 

 そして、やはり海野君に貰ったチケットで観たのが「キャンディーズ・コンサート」だ。

 新曲「やさしい悪魔」をリリースしたばかりで、お客さんは指でデビルの形を作って、♪ああ~!デビル~!と歌った直後、客が「デビル~!」と両手の指で作ったデビルを頭上にあげるのだ。

 キャンデーズの指導で、この練習をしていると、ミキちゃんが私の方を見て言った!

 

 「こら、そこの男の子! 指がキツネさんになってるよ! デビルはこれ!」

 と直してくれた(多分、おきまりのネタだと思うが…私は嬉しかった)。

 正しいデビルの形は、人差し指、中指、薬指を折って、親指と小指を立てる形だ。私は人差し指と小指だけを立ててキツネを作っていたのだ。

 

 「おおおお~!キャンディーズ!最高~!これが本物のデビルだ!」

 私のテンションはマックスだった。

 

 しかし、それ以外まったく覚えていない。他の曲は何をやったのだろうか?「年下の男の子」もやった筈だが…。子供の記憶などいい加減なものだ。

 

 そして、またも海野君に貰ったチケットで観たのが「歌丸小円遊・二人会」。

 「笑点」で大人気の師匠二人は、悪口を言い合うライバルとして全国的な人気となっていた。磐田市民体育館での出し物「山口百恵」「ドリフターズ」「キャンディーズ」「歌丸小円遊」の並びを見ても、いかに二人の師匠がスーパースターだったかが分かる。

 

 観に行くと、この会に落語は無かった。座布団にも座らなかったと思う。舞台中央にスタンドマイクが一本あるだけ。

 小円遊師匠が立ちの漫談で「笑点」の裏話や歌丸師匠の悪口を言うと、舞台袖から竹箒を持った歌丸師匠が怒って追っかけて来る。

 小円遊師匠は、逃げ去ってしまう。すると、そのまま、歌丸師匠が小円遊師匠の悪口を始めるという構成だ。

 悪口がマックスになった時。今度は小円遊師匠がチリトリを持って歌丸師匠を追っかける。歌丸師匠が逃げて、また、小円遊師匠が今の歌丸師匠のトークの言い訳をして逆襲する。また、歌丸師匠が追ってくる。

 

 会場は大爆笑に包まれた。客席には誰も「落語が観たかった」「大喜利が観たかった」等と言う人は居なかった。

 二人は、肉眼で喧嘩を見られただけで涙ものの人気者だったことが良く分かる。

 

 磐田市体育館での芸能人体験…。私の放送作家としての礎は、ここからなのかも知れない。全て貰ったチケットだが…。

 

 ちなみに、海野君は地元国立大を出て教師に成ったらしい。同じライブを観ても人それぞれ違うものだ。

 

 

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何と!ラジオ・コント・レギュラー出演!

 二十五年程前だろうか? 記憶があやしいが、S玉の人気FМ局〇〇5でとあるDJの番組を担当していた。

 

 放送はG座のサテライトスタジオからの生放送だが、道に人が群がるので警察にクレームをつけられてしまい、ガラスにはブラインドを設置。中が見えないという設計ミスのサテライトである。

 

 この番組の制作会社の社長は、天才的放送作家のS氏である(ブログを遡ると数回登場)。S氏は作家を続けながら制作会社を立ち上げて、作家ギャラだけでなく番組ごと受け持つという賢い仕事師となっていた。

 

 S氏は自分でも台本を書くのだが、一人では間に合わないので私を作家に起用したのだ(やたらと原稿が多い番組だった)。実は、DJが私の知り合いで、二人を会わせたのは私だった。そんな縁を大切にしてくれたのだと思う。

 

 DJのМ君は、新しいことが大好きで「CМや曲の前後にコントを入れましょう」と提案していた。

 おかげで毎週、コントを何本も用意しないといけないのだ。

 

 S氏が毎週コントを何本も量産。私がコント一本と、全体の流れや電話コーナー、ハガキコーナーの進行などを書くことになった。

 

 しかも、S氏が恐ろしいことを宣言したのだ。

 

 「コントは、スタッフも全員出演します」

 「ええええ~っ!」

 

 これは、大変なことになった。女子高生三人がおバカな会話をするコントで、女子高生を演じるのはS氏、私、ADとなった。作者はS氏である。

 

 最初の放送でAD君は演技が出来ず、男のそのままの声で女子高生を演じて、ゲイバーの様になってしまった。

 しかし、これが怪我の功名。逆に面白いと言われてしまった。そこで、三人共そのままの男の声で女子高生のコントをやることになった。

 

 コントは毎回、女子高生が間違えた情報を「知ってる?」と提供。それを、感心して私が聞くと、AD演じるマヤが知ったかぶりで嘘をつき、二人が納得するというものだ。最後は必ず「マヤは物知りね~!」で終わっていた。

 

 内容はあまり覚えていないが…。唯一記憶にあるものを再現してみると…。

 マック鈴木が大リーグで活躍していた頃で…。

 A(S氏)「ねえねえ!ジェシーマック鈴木って知ってる?なんだか凄いらしいわ

  よ!」

 B(私)「そうなの、それって面白いの?ねえ!マヤ知ってた?」

 C(AD)「何言ってるのよ!二人共、ダサイわね!それは、マック・スズケ!」

 A「えっ!そうのなの?」

 B「それ何?映画?」

 C「何言ってるの!マクドナルドが新しいピクルスを出したの!だから、マック酢漬け!原宿では常識よ!」(こんなやりとりが二分程あって)

 二人「マヤは物知りね~!」

 

※実際にはもっと面白い原稿だったが、私には再現できない。

 

 的なものだったと思う。私は原稿を読むだけなので楽しかったが、S氏は他にもナレーションコントや、CМ前後のショートコントなどを毎週何本も量産していた。

 

 S氏は言った。「小林のてっちゃん!一人コントを自作自演でやってよ!」

 「えええええええええええ~~~!」

 

 私は毎週それは「やめてくれ~!」と思ったが、コントを量産している本人に言われては断るわけにはいかない。

 

 それは「ダンドリ―ダー」という名のコントで、一人の男が世の中のあらゆる段取りを計算して、勝利を収めるというものだ。

 

 これも、内容は詳しく憶えていないが…。

 「中華料理屋で絶妙なタイミングで餃子を頼むダンドリ」「歌舞伎町で呼び込みをかいくぐって目的の店にたどり着くダンドリ」など、どうでもいいことに成功して、最後に「俺は勝った!うお~!」と叫ぶと映画「ロッキー」サントラが流れて終わるというものだった。

 

 私は半年もすると、ネタに困る様になってしまった。設定は会議で決めるのだが、展開がマンネリになってしまったのだ。

 

 そこで、私は友人の桶田敬太郎(元・フォークダンスDE成子坂)に頼んでみた。

 「ラジオのコント、一本五千円で書いてくれない」

 「いいっすよ!」

 

 話は簡単だった。私のポケットマネーでコントを買うことにした。とりあえず、設定を伝えて三本書いてもらった。

 

 番組では作者はシークレットだったが、あの天才コント師が私の為にコントを書いてくれるのだ。私は期待で胸が膨らんでしまった。

 

 そして、一週間後。敬太郎に渡された原稿を見て驚いた! 斬新で面白いのだが、私がやるとツマラナイパターンだった。

 

 多分、敬太郎本人がやれば爆笑になったと思うが、私がやると笑うきっかけが無いのだ(または、村田渚の突っ込みがあれば爆笑になるだろう)。

 

 敬太郎には悪いが、私がベタなギャグに書き直すこととなった。お笑いは本当に難しい。芸人さんのコントと素人のコントは違うのである。

 私が演じるにはベタなギャグでないとうまく出来ない。天才的な「言い回し」「強弱」「間」の必要なコントは素人ではシラケるのである。

 

 私は敬太郎に大幅に直したことは言えなかった。プライドが許さないと思ったからだ。

 

 敬太郎「この前の、コントどうでした?」

 私「いや~!斬新だった!今までと色が変わって評判だったよ!」

 

私は番組の放送時間もタイトルも伝えていないので、聞いてはいないと思う。そこで、嘘をついてしまった。

 

 それ以来。私は人に下請けを頼むことをやめた(番組スタッフには了解を得ての発注だったが)。

 

 番組により必要なギャグは違う。天才過ぎると普通の番組には向かないのである。

 

 

フォークダンスDE成子坂のコントをアニメにするクラウドファンディングはこちら!私と違って、アニメでは成子坂の世界を見事に再現してくれるはずです。

爆笑問題・太田さんのコメントも追加されています。

         ↓

名作コントが女の子たちの不思議な旅で蘇る『其れ、則ちスケッチ。』プロジェクト - CAMPFIRE (キャンプファイヤー) (camp-fire.jp)

 

さらに、

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また、新手の詐欺か?!神奈川編!

 十年程前。私は世田谷住まいから、現在住んでいる神奈川の某所に引っ越していた。ある日、仕事を終えて家に帰ると郵便受けに何か入っている。

 

 見ると、数枚のDVDである。しかも、AVである。封は切られていない。なんだこれ?

 賢い私は封を開けなかった。詐欺だと思ったからだ! 多分、後日訪ねて来て「封を開けましたね。代金払えよ!」というパターンかもしれない。

 

 しかし、一週間しても誰も訪ねてはこなかった。

 

 私の住んでする物件の二つ隣の部屋に、元・フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎君が夫婦で住んでいた。

 よく、一緒に釣りに出かけていたのだが…。ある朝。葉山に釣りに行く車内で敬太郎が聞いた。

 

 「小林さん、最近、何かありませんでしたか?」

 「ないけど…あっ! 郵便受けにエッチなDVDが入ってたよ!詐欺かもしれないから開けてないけどね!」

 「それ、僕です! 見て楽しんで下さい」

 「何でいきなり…」

 「いや、なんとなく…」

 

 敬太郎恐るべし!大した理由もなく未開封のエッチDVDを郵便受けに入れる理由が分からない。

 

 帰ってDVDをよく見ると、どうやら、サンプルで貰ったものらしい。色々な作品のカタログ的なものなのだ。私はそれで納得がいった!

 きっと、敬太郎はどこかで貰ったのだろう? そして、家の玄関で気づいたのだと思う。「これ、カミさんと子供に見られたらマズイな! そうだ! 小林さんの郵便受けに入れちゃえ!」ガタン!

 多分、これが真相だ。それを言うのも恥ずかしいので、理由は言わなかったのだ。

 

 敬太郎の行動は、いつも不思議で面白い!男版「不思議チャン」である。

 

 彼は一年前亡くなってしまったが、今も、仲間の心には残っている。

 

 

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怪しいセールスマン!

 私が世田谷区のとある女子高裏に住んでいた頃。アパートで仕事をしていると、突然、ベランダから人が訪ねて来た。

 「いい天気ですね~!」

 「えっ!」

 

 私はアパートの一階に住んでいたが…。玄関とは逆側のベランダから人が来ることは無い。驚いて見ると二十代後半位のラフな格好をした男がニコニコ笑っている。

 

 「何? あんた、なんでベランダから来るの?」

 「いえ!通りがかったんで!」

 

 子供の頃。静岡の田舎のお婆ちゃんの家では、近所の人が縁側から訪ねることはあったが、世田谷ではありえないことだ。

 しかも、近所の人ではない(隣の人の顔も名前も知らなかったが…)。

 

 私「ダメだよ!ベランダから来ちゃあ!」

 男「布団汚れてませんか?」

 私「は~~?」

 男「布団のクリーニングしますよ!」

 

 聞くと、この男は、CМでもおなじみの企業「☓八」の営業で布団のクリーニングをしているという。

 

 私「いいよ!そんなの!高いだろう?」

 男「それが、普通は一万円以上する完全なクリーニングを、今、三千円でやってるんです」

 

 私の布団は大学一年の時に親に持たせてもらったものだった。つまり、八年ぐらい使っていたのだ。

 

 私「三千円なら、出してやってもいいけど…」

 男「ありがとうございます」

 

 男は注文書を書き始めた、そして、途中で…

 

 男「あの~!布団のクリーニングは新しい布団を買ってくれた人のみ三千円なんです。布団を買いませんか?」

 私「おいおい!新しい布団買うんならクリーニングなんかしないで古いの捨てるよ!」

 男「あっ!じゃあ、良い布団があるんですよ!」

 私「こらこら!話聞いてるのか?布団は買わない!お前は三千円でクリーニングできると言ったんだから、責任もって三千円でクリーニングしろよ!」

 男「クリーニングだけだと一万二千円です」

 私「それ、詐欺行為だぞ!天下の☓八が詐欺まがいの営業するのか?」

 男「いえ!そんな言いがかりされても…」

 私「いいがかりじゃね~よ!足りない金は、お前のポケットマネーで出せ!」

 男「それは無理です」

 私「ベランダから来たくせに、文句言うなよ!名前は?住所は?」

 男「分かりました! 帰ります!」

 

 男は不機嫌に帰って行った。

 

 私は思った! また一つ、ネタが出来た! いつか使えるかもしれない。

 

 三十五年程たった今、このコラムでやっと使えた。

 

 しかし、あの男が本当に天下の「☓八」の営業マンだったかどうかは謎である。

 

 後日、アパートの私のポストに「バカ」と落書きされていた。ポストは私の物ではないので、別に気にならない。そのままにしておいた。

 

 私は今も「バカ」という文字を見るとベランダの営業マンを思い出す。あいつ、今、生きてるかな~?

 

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