思春期の女子が好きな男をさして「あの男子は鈍感だ!」などと言うが…。違う気がする。気づかないフリをしているのだ。女子が好意的なアクションをした時。男子は気づいている。しかし「気づかないフリ」をするのだ。
それは、日本の古き良き「恥ずかしさ」である。
漫画・アニメの「タッチ」だって、タッちゃんは南の気持ちに気づいている。それを前面に出して「ありがとう!俺も好きだよ!」とは言えない。それが「恥ずかしさ」である。アニメの場合「受け入れる」とドラマが生まれない。我々、昭和世代は日常でも、奥ゆかしさの中に、そのドラマ性を追求していたのである。
話は変わるが…。昔の田舎のお婆さんはカメラを向けると「撮らないで」と逃げる。「恥ずかしい」と言うのだ。お爺さんとのなりそめを聞いても「恥ずかしいから」と答えない。そして、カメラから逃げる。
テレビを見ている人からしたら、逃げ回る方が恥ずかしい行為だ。カメラに向かって「お爺さんとのなりそめ」や「愛の言葉を語った」方が「おお~!良い話だ!」となるのである。田舎の人は「恥ずかしがる」方が「恥ずかしい」ことに気づいていない。
カメラに話すから「鶴瓶の家族に乾杯」は面白いのだ。
色々考えると…。「恥ずかしさ」って何だ?
40年程前の学生時代。プロのオープンニングアクトで、1000人クラスの客の前で落語をやったことがあるが…。上がらなかった!
私は10人ぐらいの客や、客席にクラブのOBがいる時の方が「恥ずかしく」上がっていた。「知らない人1000人は良い客で絶対ウケる」「知り合いの少人数」は気難しい!そして、自分は「恥ずかしい」。
「恥ずかしい」って何だ?
私は大失敗も笑いが取れれば「恥ずかしくない」むしろ「美味しい」。シラケれば「恥ずかしい」。
「恥ずかしい」って何だ?「青春って何だ!」「インボイスって何だ?」これは知らなくても恥ずかしくないぞ!