放送業界のお話と落研と私的な思い出(瞳尻・黒舟)

「嗚呼!青春の大根梁山泊~東海大学・僕と落研の物語」スピンオフ・エッセイ。放送関係。業界のエピソードと近所の出来事

歳を取ると訃報に良くふれる…

 ラインで中学の同級生Sが逝去したとの書き込みがあった。今年62才の昭和36年生まれ。この手の訃報を聞くことの多くなる年齢だ。S君!ご冥福をお祈りいたします。

 

 S君は中学の2年~3年と同じクラス。彼は静岡県磐田市という田舎では珍しく、洋楽に精通していた男だ。

 我々は海外アーティストと言えば、ビートルズとモンキーーズ、ベンチャーズしか知らなかった。我が家には、吉田拓郎の「元気です」とかぐや姫の「フォーエバー」、井上陽水の「氷の世界」しかレコードが無かった。

 そんな時代にS君だけは「KISSってバンドが凄いんだぜ!」と、私にメイクをしたあの顔のグラビアを見せてくれた。

 

 私は「歌詞の意味が分からないから、つまんないよ!」(頭の悪い答えだ!)と言うと…「何言ってるんだ!ロックはサウンドなんだよ!」とエレキの仕草をしていた。

 S君はブラスバンド部所属だった。田舎では珍しくドラムが叩けた(ブラスバンドで何をやっていたかは不明)。

 

 合唱大会の時。「誰が指揮者をやるか?」という話になり誰かが「S君がいいと思います」と言った。S君は驚いていたがブラスバンド部というだけで決定してしまった。

 彼はまっすぐな人で「嫌だ!」とは言わない。

 

 クラスでサッカーをやると、彼はいつもゴールキーパーの前に居て、誰かがドリブルしてくると鬼の形相で、まっすぐ猪の様に正面から突進する。ボールと言うより、体ごとぶつかってしまう。「鬼滅の刃」の伊之助みたいなタイプだ。

 上手い相手が、チョットボールを横にずらすと、そのまま、空振りして走り過ぎてしまう。まるで立ち合いで身をかわされた力士の様だ。私は、ボールにも触れない運動オンチなので、そんなS君を見るのが好きだった。彼のお陰でオフサイドはほとんど起きなかったが、学校にサッカー部もない我々にはどうでも良かった。むしろ点が入った方が面白い!ジュビロ磐田のホームと最も近い中学とは思えないサッカー後進町だった。

 

 そんな彼の合唱の指揮は、やはり、まっすぐだ!柔らかいタクトの動きは無いが、機械的で正確。ドラム好きの本人には苦痛だったかもしれないが…。合唱大会は学年優勝。S君は唄っていないがなんだか誇らしそうだった。私もハモリのパートを目立たない様に歌っただけだが誇らしかった。

 

 中学のクラス会は時々開催されたが、私は中学卒業以来会っていない。私が初めて参加した時。確か「病気療養中」と聞いた。内臓のどこかを壊していた様だ。

 その後。三度ほど同窓会に出席したが…。私が休みの時にしかS君は参加していない。そのままコロナ禍で同窓会は中止と成り…。今日の訃報である。

 

 今からユーチューブでKISSを聞いてみようか。いまだに曲名も知らない…。

 彼はやはり高校ではバンドを組んだのだろうか?仕事は何をしていたのか?私は何も知らない。ただ、まっすぐな「俺は直角」みたいな思い出が残っている。

 

 印象に残る男…。しかし、家に遊びに行ったことはない…。私はやはり友達が少なかったのだろう!桂宮治の自伝と似ている。

 

PS、今、KISSを聴いてみた。私が昔、構成していた番組、名古屋の「5時SATマガジン」によくゲストで来ていた聖飢魔Ⅱを思い出す。

 今更ながら影響の凄さを感じる!そんなのみんな知ってるよ!」の突っ込みが聞こえてきそうだ。私も聖飢魔Ⅱのメイクを見て薄々感づいていたが…。あらためて思う。名古屋の店で夜中にKプロデューサーと一緒に小暮さんと話したのを思い出す。

 

 でも、KISSの歌詞の意味は今も分からない…。